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#110「諦めなければチャンスは来る」1年 山本爽楽

みなさんこんにちは!

関西学院大学体育会サッカー部1回、社会学部の山本爽楽(やまもとそら)です。


文章を書くのは苦手ですが一生懸命書いたので是非最後まで読んでもらえたら嬉しいです。



まず内容に入る前に自分のことを知らない人がほとんどだと思うので自己紹介をします。

〈所属チーム〉
西宮SC→ヴィッセル神戸伊丹U15→関西学院高等部→関西学院大学

私がサッカーを始めたのは幼稚園の6歳頃らしく全く覚えていません。小さい頃からスポーツが好きで小学生まではサッカーと野球の両方をやっていました。小学生時代は西宮SCに入り、そこで市トレや県トレに選んでもらったりと恵まれた環境でサッカーをさせてもらっていました。中学に上がるタイミングでなかなかチームが決まりませんでしたが、セレクションでヴィッセル神戸伊丹U15に入団しました。1年の初めから色々な所に遠征に行かせてもらったり、2年以降は試合に使ってもらったりと沢山のことを経験させてもらいました。高校は関西学院高等部に入学しました。高校はどちらかと言えば挫折の方が多かったですが、仲間にも恵まれ、共に全国大会を目指し充実したサッカー生活を送れました。そして今、関西学院大学体育会サッカー部に所属させてもらっています。

これが私の今までのサッカー人生です。



本題に入りますが、ノートを書く機会をいただき何を書こうか悩みましたが、私が13年間サッカーをしてきて、色々なことを経験してきた中で1番感じたことを書こうと思います。

「諦めなければチャンスは来る」

私は3回これを実感しました。


1回目は中学2年の春。1年の頃はチームが関西リーグを戦っておりその中で出場はわずか3試合でした。とても悔しくて何回1人で泣いたか分かりません。しかし頑張っていたら何かがあると思い不貞腐れず、必死に練習に取り組んでいました。その中で2年の時に相方キーパーが怪我をしたことにより回ってきたチャンスでした。仲間の怪我を決して望んでいたわけではなく、ただただ自分の出番がくるのを待っていました。結果、そのチャンスをものにでき、3年の最後までずっと試合に出させてもらいました。

2回目は高校1年。この時私は1年だから試合に出れないのは仕方がない、3年になるまで待てばいいという最悪な考えをしていました。その結果、練習に取り組む姿勢や考えが甘く、ほとんどチャンスすら来ず、全く試合に絡めませんでした。

3回目は高校3年夏。最終学年の最後の夏で、とても重要な時期でしたが夏休み前にスタメンを奪われ、夏の1ヶ月半はずっとサブの試合に出ていました。しかし、自分の試合を見て分析をしたり、諦めずに練習に取り組みました。その結果、夏過ぎの選手権前に自分の調子が段々上がってきてリーグ戦でチャンスが回ってきました。最終的には選手権予選の試合にも出ることができました。


私はこのサッカー人生で何度もスタメンとサブを行き来しています。それは決して良いこととは言えません。しかし、その中で私がサブからスタメンを掴むことができた時に必ず共通していることは、諦めずにチャンスを待っていたということです。チャンスはいつ来るかは分かりません。1ヶ月後、1年後、3年後かもしれません。


私には好きな言葉があります。

『何かを必死でやりたいと思えば、道は開けていくものだ』

これはベッカム選手が言っていた言葉です。高校で悩んでいる時期にこの言葉をみて、まさにその通りだなと思いました。必死でやる奴にしか道は開けない、チャンスは来ない、ずっとその言葉を胸に留めながらプレーしています。


私は今、現状でいうとサッカー部で1番下にいます。今はあいつの方が上手い、敵わない、そう思うことはあります。でも全く諦めてはいません。そしてこの4年間で必ずチャンスをものにします。

4年後、自分の目標を達成してこのnoteを笑って見れたら良いなと思います。



長くなりましたが、最後まで読んでくださりありがとうございました!




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