#119「私らしく。」4年 佐藤優里
はじめまして。
関西学院大学体育会サッカー部4年マネージャーの佐藤優里です。
4年間の思いを記させていただきました。
最後まで読んでいただけると幸いです。
「何者か」になりたい。
高三の春。
「関学目指してみよっかな。」
何気なく言った一言に、周りは驚いていた。
というのも、それまで私はろくに勉強なんてしたことがなかった。
習い事をしても、部活をしてもいつもワンテンポ遅れていて、上手くいった試しがなかった。
そんな自分を変えたかった。
「何者か」になりたかった。
だが、受験は口で言うほど簡単ではなかった。
最後の模試判定はE判定。
何度も挫けそうになりながらも、絶対に関学に行きたくて、思い出したくないくらい必死に勉強した。
やっとの思いで手にした「合格」の二文字。
もちろん、心の底から嬉しかった。
でも、不思議と「これで終わりでいいのか?」という疑問が浮かんだ。
もっと何かできる。ここでなら、「何者か」になれる。
──そんな中で見つけたのが、関学サッカー部のスローガン「俺が原動力」と「日本一」だった。
一旦やってみ。
本当にその通りだった。
気が付いたら、入部の問い合わせをしていた。
いざ入部してみると、周りはみんな「すごい人」ばかり。
自信を持って入部したはずが、何にもできなくて、刺激だらけの毎日だった。
みんなに原動力をもらうばかりで、自分は何も返せていない。気づけば一年が過ぎていた。
「私はこのチームにとって何なんだろう。」
そんな風にに考えるようになった。
二年目、Bチームに配属された私は全国大会を経験させてもらった。
頼もしい先輩たち、全国の舞台で活躍する同期、後輩たち。
日本一には届かなかったが、なぜか自分も少し成長したように感じていた。
でも、蓋を開けてみればひとつも成長できていなかった。
なんとなく、みんなのおかげで全国に連れて行ってもらって、なんとなく、与えられた仕事をこなしていただけだった。
「何者か」にはなれていなかった。
三年目。
Cチームに帯同することになった。
「不安」
シーズン当初、ずっとその感情があった。
もう三年目。次が最後の一年。
何もできていない。
夏の御殿場遠征、甲南大学との決勝。
試合はPK戦の末、敗北。
正直自分でもびっくりするくらい、なぜかめちゃくちゃ悔しかった。
ピッチに立って戦うことのできない私に何ができただろうか。
考えてもわからなかった。
「公式戦じゃなくてよかった」
そんな発言をする選手に腹が立った。
遠征を終え、チーム状況は少しずつ良くなっていった。
自分のスタッフとしての軸みたいなものも生まれて、Iリーグも勝ち進んでいた。
でも、なんか違う。
コンダクター1年目としてもがく同期、どんどん成長していく後輩。
日本一まで後一歩の舞台で活躍する同期。
みんなに置いていかれたような、そんな気持ちになっていた。みんなが羨ましかった。
まだ私は、「何者か」になろうとしていた。
結局答えは出なかった。
最後の年。
トップチームに帯同させてもらっている。
なかなか結果が出ない苦しいシーズン。
何度も自分の無力さを痛感した。
自分は何のためにこの組織に入ったんだろう。結局、何にもなれていない。
もう、辞めてしまおうかな。
今までの私は、自分の人生における意義や価値を認めてもらいたくて、「何者か」になろうと必死だった。
何もできない自分が情けない。
何をしても中途半端。
そんなふうにずっとずっと思っていた。
「ゆりはそのままのゆりで頑張ってほしい」
1番辛かった時期、同期の健太朗がかけてくれた言葉。
「何者か」になんてなれなくても、そのままの私の存在を必要としてくれている人がいる。
私は私らしくいよう。
誰かに認めてもらうためではなく、ただ自分の好きなことに私らしく向き合っている姿が、誰かの原動力になれたら。
辛い時、みんながわたしの原動力であったように。
リーグ戦も残り一節。
結局、私はみんなが楽しそうにプレーしているところを見ている時間が1番幸せです。
本気でサッカーを楽しむみんなと、一日でも長く一緒に戦いたい。
みんななら獲れる。日本一。
4年マネージャー 佐藤優里