#111「俺が原動力。」4年 宮井天晴
こんちは。
社会学部4回学生トレーナーの宮井天晴(みやい てんせい)と申します。
まず初めに、日頃より関西学院体育会サッカー部をご支援いただいているすべての皆様に深く御礼申し上げます。
今回は私を大きく成長させてくれた、この関西学院大学体育会サッカー部への感謝を綴ろうと思います。
長くなってしまいますが4年間の想いを詰め込んだので暖かい目でみていただけると幸いです。
まず、あまり詳しく話したことがないので私の経歴を紹介します。
幼少期
サッカーは幼稚園に通っていた頃から気づいたらやっていました。多分自分がどっち利きかもわかっていなかったです。
小学生
小学生の時は地元のクラブチームと学校のサッカー部でやっていて、クラブチームの方は行きたくない日もあってうだうだ言っていました。
中学生
中学に上がると部活動でサッカーをしました。
この頃はサッカーも勉強もかなり上手くいっていたかもしれません。
サッカーの楽しさに気づき、この時にやっと本気で好きになりました。
中学の頃、地元の公立高校を受験しようと考えていた中、中3の12月に関西学院高等部の存在が気になり、自分のサッカーの限界に挑戦するために受験を決意しました。
高校生
満を持して入学した高校で私は多くの挫折を経験しました。
勉強も部活も上手くいかない日々。
せっかくAチームに呼ばれても実力不足で緊張もして毎回落とされ、勉強が上手くいかないことも中学とのギャップで余計嫌になっていました。
唯一めげずに頑張れるサッカーは、高2の時に患った椎間板ヘルニアと腰椎分離症によってモチベーションを維持することが難しくなっていました。この頃離脱もしたくなかったし、情けないから誰にも言わずに騙し騙しやっていました。しかし、高3の時に試合中、足が思うように動かせなくなって交代させられて、ベンチでずっと泣いていました。
このように中学までは不自由なく過ごし、高校3年間挫折し続け、自分にあまり自信を持てないまま大学生になりました。
高校生の私はなぜ上手くいかないのか原因が全くわからず、時の流れに身を任せていました。
しかし今この組織で活動して周りの人を見ている中、ふと気付きました。
中学生までの私は「やらされて」勉強やサッカーが上手くいっていたということです。
関西学院高等部は良くも悪くも自由な校風でした。
あの時、私は完全に自分の弱い心に負けました。
中学みたいに勉強に必死こかなくても進学できるし、サッカーもいつかAチームに上がれるだろうという慢心がありました。
友達とゲームするかなんとなくサッカーするかの日々で、その生活も貴重な楽しかった思い出です。
ただ、どこかで不甲斐なさややるせなさを誤魔化しながら言い訳して日々を過ごしていたのも事実でした。
前置きが長くなりましたが、そんな私の転機となったのが大学サッカー部への入部です。
高3の冬頃、私は本気で大学サッカー部に入部しようとランニングをしていました。
しかし、高2の時に患った椎間板ヘルニアと腰椎分離症が私を苦しめ、走っていてもどうしても腰が痛くなり
「これは無理だな」
と思い、この時やっとプレーヤーとしてサッカーをすることを諦めました。
その後5月に授業で学校に行った帰り、甲東園の駅のホームで久しぶりに田中舜に会いました。
その時、舜は大学サッカー部に入部していて、
「学生スタッフがほんまにすごい」
と私に話してきたことを今でも覚えています。
その言葉もあって私は大学サッカー部にスタッフという右も左も分からない立場で入部しました。
入ってみると選手じゃないのに誰よりも影響力のあるコンダクターと呼ばれる学生スタッフの先輩がいて
1番下のカテゴリーでもめっちゃサッカー上手いし、どの学年も目が死んでいる選手が全くいなくて。
チーム全員が当時のスローガンである
俺が原動力。
を体現しようとそれぞれの強みを活かして活動しているのをみて私も自然と変わっていきました。
特にこの環境にいて1番変わったことは主体性です。
やらされてやることと自分からやることは全く違いました。
1回生ではコロナ禍でオンライントレーニングを担当して毎日必死にメニューを考えて
リハビリメニューも自分で考えて、テーピングも先輩の足を何回も借りて巻かせてもらって練習して、虎志郎と整骨院に学びに行ったりもして
2回生ではさらになにか変わるために関西学生サッカー連盟という組織に虎志郎と田中心と参加して
人生で初めての全国大会。準備完璧だと思っていたら試合中、春輝のコンタクトが取れて用意してなくて、バタバタしてたらその試合で負けて1年間後悔して
イギリスに行った衝動で英会話が楽しくて、オンライン英会話12ヶ月分12万円を一気に使ってしまい、必死で1年間やり遂げたり(Camblyめっちゃおすすめです)
3回生でIリーグ(Bチーム以下の大会)のルールを変えるために動いてみたり、(今年大きくルールが変わったことにちょっとは貢献したかも?)
昨年の反省を胸に完璧な準備をしてみんなのおかげで全国制覇できたり、
4回生で部内の活動の一環である集客プロジェクトに参加して、主に関関戦のために1年間動いてみたり
なんとなく始めた筋トレも楽しくなっちゃって、今では1人でも学校のジムに行って同期や後輩に補助してもらったり(みんないつもありがとう笑 ベンチプレス100kgあげて卒業します)
他にもいろいろと主体的に試行錯誤して自分なりのやり方を見つけていきました。
その過程では辛いこともあったかもしれないけど、今ぱっと思い出す記憶は自分のやり方を見つけて努力が楽しかったことや、それが報われた瞬間ばかりです。
自分で始めて、自分で悩んで、自分のやり方を見つけて形にする。
これほど楽しいことはないと思いました。
主体性の価値に気づいてから私の生活は今までにない彩りがあったと感じています。
もっと早く高校生の時に気付けていたら、
今頃このチームでみんなと一緒に選手としてサッカーをしていたのかなとか思うこともあるけど
この関西学院大学体育会サッカー部に入部していなかったら変わってすらいなかったかもしれない自分を想像すると、この組織での出会いに本当に感謝しかありません。
私は関西学院大学体育会サッカー部の学生トレーナーでとても幸せでした。
そして私たちが1回生だった時のスローガン
『俺が原動力。』
このシーズンから3年が経った今でも話にあがることのあるこの言葉。
そして何より私を変えてくれたと言っても過言ではないこの言葉をこれからも胸に刻み、これからの人生で誰かの原動力になれるように自分を磨き続けます。
最後に、これから関学サッカー部員になる人と今いる後輩たちへ。
中にいると気づきづらいですが、最高の先輩方が残した最高の環境がここにあります。
4年間で主体的にいろんなことに挑戦して関学サッカー部をより良いものにしてください!
また、このnoteが誰かの何かを踏み出す原動力になれれば幸いです。
最後まで長い文章をお読みいただきありがとうございました。
今後も関西学院大学体育会サッカー部をよろしくお願いいたします。
関西学院大学体育会サッカー部
宮井 天晴