#61「青春」3年 齊藤慎之助
まずはこのnoteを開いてくださりありがとうございます。初めまして、関西学院大学体育会サッカー部 3回生の齊藤慎之助(さいとう しんのすけ)です。
あまりこういった文章を書く機会が少なく、拙い文章になりますが、最後まで読んでもらえたら嬉しいです。
まずは今までのサッカー人生について。
私は小学校2年生時に、野球をするかサッカーをするかという選択に迫られました。そこで仲の良い友達がみんな小学校のクラブでサッカーをしていたためサッカーを選んだことがサッカーを始めたきっかけでした。小学4年生から本格的にGKを始め、小学5年生時にチームが兵庫県トップリーグ1部で戦ったり、小学6年生時の全日本U12サッカー選手権は、受験勉強のため出られなくてチームは全国大会に出られなかったという思い出があります。
中学では関西学院中学部に合格し、文武両道を目標に努力する日々でした。そこでも生活の中心はサッカー。中学1年時にチームで唯一トレセンに選ばれたり、中学2年から試合に出させていただいたりと順風満帆なサッカー人生でした。
高校もそのまま関西学院高等部に進学。もちろん、生活の中心はサッカー。高校1年の秋からトップチームに入らせてもらい、現在FC大阪で活躍されている望月想空選手を筆頭に、当時の私からしたらもの凄くレベルの高い環境で練習をさせてもらっていました。その結果、高校3年時、インターハイ出場、兵庫県予選優秀選手賞受賞を果たし気持ちよくサッカーをしていました。冬の選手権ではベスト8で滝川第二に負けるも、楽しかったと思えるような高校サッカーでした。
そして、大学サッカー。関西の強豪で知られる関西学院大学サッカー部に入部。周りはJユース出身、元日本代表、選手権の雑誌の表紙に載るような選手などばかり。それでも絶対にトップチームで日本一になったろうという思いで練習に取り組んでいました。
「半月板損傷」
僕のサッカー人生最大の挫折。大学1年の秋に手術をして、そこから約7ヶ月の離脱。大学2年のスタートも遅れを取り、思うようなプレーをすることができず負の連鎖でした。
最初はDチームスタート。それでもすぐC2に上がり夏までC1、最後にはC1のベンチメンバーとしてIリーグ関西トーナメントに出場しました。そして今に至ります。
これが私のサッカー人生であります。私のサッカー人生そのもの、またサッカーをする上で、成長したなと感じた瞬間、怪我で味わった挫折、みんなと勝利を掴み取った喜び、スタメンを取られた悔しさ、すべてが私の"青春"です。
「日本一」
私はこれを絶対に成し遂げたいです。立場、カテゴリー関係なく全員が日本一の組織、日本一になるために毎日取り組みましょう。それを成し遂げた時、やり切ったと感じた時、日本で1番の"青春"を手に入れることができます。
俺らがインカレ日本一なって、日本で1番長くサッカーをして、サッカーをしている大学生の中で1番の「青春」を味わおう。
長くなりましたが、最後まで読んで頂きありがとうございました。
関西学院大学体育会サッカー部 齊藤慎之助