#66「やり続ける」2年 大川遼
こんにちは。関学サッカー部唯一の村出身、2回の大川遼です。
私は高知県の日高村という小さな村で育ちました。人口は5000人くらいで周りには田んぼか畑、学校は1学年20人しかいませんでした。そんな環境でサッカーを始めた私は、正直天狗でした。中学も地元の村立中学の部活でサッカーをしてました。中学2年の時に運良く四国トレセンに行かしてもらい、そこで周りのレベルの高さに衝撃を受けました。それと同時にこんな環境でサッカーをやりたいと思うようになりました。
高校は高知県の高知西高校という今は閉校した高校でサッカーをしました。高知西高校は県内ではそこそこ強かったため、高校3年間で絶対全国に出れると思っていました。しかし、蓋を開ければ3年間で全国に1度も出ることが出来ませんでした。特に3年生の時は自分達の代が最後の高知西高校サッカー部ということもあり、ヤンサカの密着やテレビの取材などたくさんのメディアに取り上げてもらいました。しかし、逆にそれがプレッシャーに感じ、最後の1年間はサッカーを楽しむことが出来ず、とても苦しかったです。密着動画はYouTubeにも載っているので良かったらぜひ見てください。
大学はもっとレベルの高い環境でやりたいと思い、大学サッカートップレベルの選手が集まる関学サッカー部を選びました。しかし、今まで全国を目指してサッカーをしていた私が、いきなり日本一を目指す組織でやっていけるのか、正直、自信はあまりありませんでした。何とか入部は出来たものの、もちろん一番下のカテゴリーからのスタート。こっから絶対に這い上がってやろうと思って日々、活動してました。
ここまで、これまでの私のサッカー人生を長々と綴ってきましたが、ここからは関学サッカー部に所属して大切だと感じたことを書こうと思います。
「やり続ける」
何を言ってるん?そんなん当たり前のことやん。と思う人もいると思いますが、この当たり前のことがめちゃくちゃ大切だと感じさせられました。この環境でサッカーをしてると自分のヘボさに嫌気がさすことやこんなんでAいける訳ないって思う時がたくさんあります。でもそんな時に歯を食いしばって自分の目標に向かって常に努力し続けられる奴が上に行くなって感じました。もし、目標を成し遂げられなくてもその過程で絶対に成長できてるし、何かは残るなって思います。自分を客観的に見た時に「Aチームで試合にでることなんて無理やろ」って、ほとんどの人が感じると思うけどそれでもやり続けることに意味があると思います。だからこそ私はこれからもどんな時でも努力し続けます。
ど田舎で育った私はこんな環境でサッカーをしてるなんて1ミリも思っていませんでした。まず、練習が芝でできることが当たり前じゃないです。周りには日々、刺激をくれる同期、先輩、後輩ばかりです。サッカーをやらしてくれてる両親や周りの人、環境に日々、感謝を忘れず、必ず自分の目標を達成します。
最後までご覧頂き、ありがとうございました。