#83「出会に感謝」3年 成田三太郎
初めまして。関西学院大学法学部3年成田三太郎です。ブログを書くのは初めてで拙い文章ですが最後まで読んでいただけると嬉しいです。
私は名古屋市出身で中学までは地元のサッカークラブ、高校は静岡県の藤枝東高校、そして関西学院大学へと進みながらサッカーを続けてきました。よく名古屋出身と言うと周りから「本当に名古屋市内?」「愛知県出身っていえや」と言われることがありますが本当に名古屋市内なのでこれからも名古屋出身と言い続けます。※家から名古屋駅までは1時間弱かかるため都会っ子ではありません。
サッカーを初めて約13年。たくさんの人と出会ってきた。どれだけ私が出会いに恵まれてきたのか。
小学5年か6年の頃サッカーをやめたくなった。サッカーが全く楽しくなかった。うまくいかないことだらけで母にやめたいと言った。母がそれに対して肯定的だったのか否定的だったのかは覚えていないがとにかくコーチと話してこいと言われたことは覚えている。
そしてコーチと話をした。やめる覚悟は決まっていた。しかし話し終えた時にはサッカーを続ける覚悟に変っていた。
ここで終わっていたはずのサッカー人生がそのコーチのおかげで続いていった。
高校に進学して恩師と言えるキーパーコーチと最も尊敬できる1学年上のキーパーの先輩と出会った。
恩師は少し変わった人だった。普通のチームではやらない練習をし、1つのメニューを連続で1人の選手が行う回数もバグっていた。
しかし中学時代は自チームにキーパーコーチはおらず練習はフィールドプレイヤーと一緒に練習をして試合でキーパーをやっていただけなのでキーパー練習の内容やキツさなどの常識を知らなかった。
だからこそひたすらに食らいついていった。入学して1か月で5キロくらい体重も落ちた。
それでもメデシンボールをもってのロープジャンプは出来ないし、60,70センチある石段に足を持たれながらの腕立ジャンプは届かないし、跳び箱4、5段を横っ飛びで飛びながらのセービングは出来ないし、ゴールエリアくらいからゴールのバーを連続でつかむことは出来なかった。
試合で何か使うのか。分からなかったが続けた。続ければ続けるだけうまくなっていった。
どれだけキーパーコーチのおかげで成長できたかは計り知れないし自分のキーパーとしての全てを築き上げてくれた。
そしてもう1つの出会い。1学年上のキーパーの先輩。
この人はキーパーコーチのメニューをすべて完璧にこなし常に背中で引っ張ってくれた。こんなの無理じゃんと思っても先輩ができたなら不可能ではないし頑張ろうと思えた。
先輩は必ず最後までグラウンドで自主練をするか筋トレルームで筋トレをするかしていて帰るのが一番遅かった。
この先輩のようになりたいと思い2年時は毎日一緒に自主練をし筋トレも一緒にやらせてもらっていた。コロナの影響もあって大人数で練習できない期間も一緒にやらせてもらった。
先輩のおかげでサッカーに向き合う姿勢や自分に何が足りてないのか、自分のすべきことは何なのかを考える力が身についた。
多くの人と出会ってこれまでのサッカー人生を歩んできたが、誰が欠けていても今の自分にはなれなかった。今回書けなかったが大きな出会いはまだまだたくさんあるが省略させてもらいます。
小、中,高、大どの組織でも最も時間を長く共にしているのは同期の仲間であって、そいつらと出会ってなければつまらない人生だったかもしれない。毎回最高の同期に出会えてラッキー。
出会いは自分を成長させてくれたし人生を豊かにしてくれた。今まで自分と出会い関わってくれた人たち、ありがとうございます。
最後まで読んでいただきありがとうございました。