#114「How Many Boogie feat.青春」4年 尾山雄基
こんにちは、関西学院大学4年経済学部 尾山雄基と申します。
本当に軽く自己紹介。三兄弟のB型として産まれ、小学校に入り、中学校に入り、高校に進学、そして大学に進学しました。兄が11個上で姉が9個上なので両親も溜まっているものがあったのでしょう。お察しします。
けちょんけちょん
おふざけはこのへんにしておいて、みんな勉強になることや素晴らしいことを書くんだけれども、ちょっと飽きてきたと思いますので、俺はこの4年間(青春)について書こうと思う。
結論から言うとこの4年間はめっちゃ青春で、関学サッカー部に属しているという環境が青春で、こんな熱い仲間、おもろい仲間、生涯の仲間がいるのは超貴重だってこと。この環境を楽しんでほしいってこと。
このnoteを読んでサッカー部に入りたい、ファンになりたいと思ってくれる人が1人でも増えれば、私としてはバンバンザイです。なので部員はなるべくこのnoteをいろんな人に共有してください。よろしく。
※青春とは、 夢や希望に満ち活力のみなぎる若い時代を、人生の春にたとえたもの。(俺調べ)
1年
4月5日月曜日の午後19時、関西学院大学第4フィールドに私はいた。この日は入部をかけた入部テスト。この日入部テストを受けにきたのは約40人、いや50人、いや60人はいたんじゃないかな。走りのメニューの時、横にいたのは当時から前歯がオフサイドしていた米田。
「こいつだけには負けたくない」
なぜかそう思った。そう思って走ってたら入部テストに合格してた。もちろん隣の前歯も。もし、この時、前歯が隣にいなければ、俺は今頃何をしていただろう、こんなnoteも書いていないのであろう、ありがとう米田。
2年
「お前寝てんの!?」
キーパー不在だから代わりでやっていたキーパーでもない俺に本気で怒鳴ってきたやつがいた。それが現主将の末次。最初は「こいつ頭いかれてんのか」と思ったけど、全員に厳しく要求する姿や身体を投げ出して相手を止める姿を見て、こういうやつが上に行くのかと思ったのと同時にこんなやつらとサッカーがしたいと思った。ここで思い出したので余談を挟むが、私は当時vintage大学生(森翼)と今はなき進撃の巨人(野崎)と共に人権の授業を履修していた。その授業を最後列で受けていたスポーツ推薦組の現Uber eats日本代表(佐伯)を見た時、俺は衝撃を受けた。なぜなら、彼の足元を覗くと授業を受けながらチューブトレーニングを行っているのだ。彼はそのせいもあってか今でも私と授業を履修しているがこのような意識の高さが関学サッカー部にはあたりまえに存在する。
3年
Iリーグ優勝を目の前で見たり、新入生歓迎会での司会をしたりと様々なことを経験させてもらった。Iリーグ優勝の裏には当時3年生の団結力があったと勝手に分析している。たぶん早崎さん(BチームBOSS)も感じていただろう。芸人でも扱いきれないような変な絡みしてくるやつ(田中心)とか、人の嫌なところつっこんできてニヤニヤしてるやつ(徳弘)とか、夜勤明けやから調子いいとかいうて練習くるやつ(千葉)とか、ずっと家の鍵閉めへんからたまにほんまに知らん人が家に入ってくるやつ(小島)とか、パン好きなやつ(?田・?井)とか、アホ(平野)とか、こんなくせ者集団でIリーグ全国大会中に人狼したりとか前日練習でふざけたボール回ししたりとか、なにげない毎日がものすごく楽しかったなと今思う。と同時にくせ者が力を合わせた時とんでもない力が発揮されることを学んだ。
また、新入生歓迎会の司会の準備では、毎日夜な夜な某総合商社内定スキッパクソ野郎でお馴染みのやつ(辻)と打ち合わせという名のおふざけ会を開催し芸人を目指しかけたのを今でも覚えている。その中でもなんとか考えた小出しを大勢の前で披露し、就職活動にもつなげることができたため良い経験になった。
4年EURO鑑賞会という名のマリオカート大会やIリーグ反省会という名の人狼大会2時間スペシャルを毎週毎週、宮崎の大田舎野郎(鬼束)宅で行い、生活が充実していた。
思い浮かぶのをざっと書くとこんな感じ。ここに綴ったようにこの関学サッカー部にはサッカーうまいやつ、暑苦しいやつ、おもろいやつ、変なやつがいっぱいいる。だからこそ4年間はサッカーもサッカー以外もめちゃくちゃ楽しくなるし、めちゃくちゃ青春できる。こんな環境はあたりまえじゃねぇ。改めて関学サッカー部のみんな、特に同期ありがとう。今所属している現役生はこの時間・環境を噛み締めてほしいし、サッカーもサッカー以外も存分に楽しんでくれよな。
拙い文章にはなりましたが読んでいただきありがとうございました。今後とも関西学院大学体育会サッカー部をよろしくお願いします。