#82「心躍る方へ」2年 好宮叶翔
部員ブログをご覧の皆さん初めまして、関西学院大学体育会サッカー部トレーナーを務めさせていただいています、2年の人間福祉学部 好宮 叶翔(よしみや かなと)です。自分自身のことを書く機会を頂いたので拙い文章ではありますが最後まで読んでいただけると幸いです。
特にいい事も書ける気がしないのでこれまでの自分の人生と自分の考え方について書こうと思います。ぜひ最後までお付き合い下さい。
自己紹介も兼ねてこれまでの私の人生について述べようと思います。私は兵庫県宝塚市で生まれ育ちました。兄の影響で小学校のチームでサッカーを始め、中学は地元のクラブチームに進みサッカーを続けました。特に上手くもない特徴のない選手だったため高校から推薦が来るわけもなく地元の宝塚西高校という高校に進学し、サッカーを続けました。みんなが戦っていたプレミアやプリンスの舞台からは5つ6つほど下の舞台でサッカーをしていました。最後の総体はくじ運が良く仲間にも恵まれ県ベスト16まで勝ち進みました。ベスト8を賭けた試合で市立尼崎高校に0対7で敗北。私の高校サッカーはここで終了し、すぐさま受験勉強をし関西学院大学に合格、そして入学をしました。好きなことを好きなだけさせてくれ、好きな学校に進学させてくれる自分の選択をNOと言わないとてもいい親の元で育ちました。これが私の高校までの人生です。
私の人生の1番の転機は関西学院大学体育会サッカー部のセレクションです。ごく普通のどこにでもいる選手だった私ですがサッカーを辞める決断ができませんでした。サッカーを辞めたら何をすればいいか分からなかったし何者になるのか分かりませんでした。サッカーを続けたい一心で走り込みをし、セレクションに挑みましたが結果は走り切れず不合格。日本一の最低ラインはこれほど高いのかと壁にぶち当たりました。このセレクションで自分はプレーヤーとしてはもう終わりなんだと諦めが着きました。
このようなことがあり現在に至るわけですが、昨年1年間、普通の大学生として過ごし、バイトをしたり遊んだり楽しいことは多くありました。ですが自分の中で根本的な何かが欠けていました。小学校から高校までサッカーをし、大学でもサッカーを続けたいと思うほど好きなサッカーから離れるということは自分が思っているよりつまらないものでした。1年間ほとんどサッカーをしなくてもやはりサッカーが好きなんだなと思い、どうにかしてサッカーに関わりたいなと思いました。社会人のチームでサッカーをするかトレーナーをするかの2択が私の頭にはありましたが、自分が挑戦してみたいと思ったことがトレーナーとしてサッカー部に入ることだったのと、この関西学院大学体育会サッカー部というものに憧れがあったのでトレーナーとしての入部を決意しました。
この関西学院大学体育会サッカー部にトレーナーとして所属して4ヶ月が経とうとしています。自分が経験したことないことが多く起こる毎日で、この立ち位置は知識がないとなにも選手に与えることができきません。自分の無力さを突きつけられる刺激の多い毎日です。右も左も分からない自分に天君はじめこじろう君やたっきー君、こうすけ君はいつも自分を助けてくれます。様々な人に感謝しつつこれから日々成長を続け、頼られるような存在になること、2回のみんなに叶翔がトレーナーとして入ってきてくれてよかった。最高の仲間だったってみんなに言ってもらえることを目標に残りの日々を送っていきます。大人になった時、自分が選んだこの選択が正解だったと胸を張って言えるように。
自分が何をしたらいいか分からない時、何をするべきなのか迷った時、たとえ自分のしたいことが自分にとって修羅の道だと分かっていてもワクワクする様な、心躍る方を選ぶこと。心躍る方を選ぶことによって「やっぱりやっとけばよかったな」といった後悔はなくなると思います。自分が迷った時、心が躍るのはどちらかなと考えてみて下さい。この考え方が誰かが迷った時の道標になればとても嬉しいです。
中身のない文章でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。
関西学院大学体育会サッカー部
2年 好宮 叶翔