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#88「壁は最高の成長材料」3年 近藤琉斗


noteをご覧になられている皆さん、こんにちは。
関西学院大学体育会サッカー部3年の近藤琉斗(こんどう ゆうと)と申します。

今回、noteを担当する機会をいただいたので、現在まで16年間サッカーをしてきた、あるサッカー選手として、感じてきたことについてお話ししたいと思います。

拙い文章ですが、最後までお付き合いいただけると幸いです。


私の人生曲線はジェットコースターだ。
ぶち当たっては乗り越えて、を繰り返してきた。
その中で、壁が気づかせてくれるものがあった。


1度目の壁は小学生4年生の頃。
私は男3兄弟の次男として生まれ、父と兄の影響を受け、気がつけばサッカーをしていた。

地元のチームでサッカーを始め、小学3年生までは、毎試合のように点を決めるなど順風満帆なサッカー人生を送っていた。
しかし、4年生でセレッソ大阪の下部組織に入ると、状況は一変した。今までのようにチームの絶対的な存在ではなくなり、ベンチを温める時期もあった。当時の監督から言われた今でも忘れられない言葉がある。1学年10人しかいないなかで、私ともう1人がベンチにいた時のこと。「ここにいる2人が現状の下から2番目だ」と伝えられた。理解はしていたが、はっきり伝えられると、やっぱり悔しかった。
だけどここで見返してやろうと、次の試合では2得点を奪ってみせ、練習や試合でも必死にアピールした。
それから、小学5年生の時には、1学年上の試合にも呼んでもらえるまでに序列を上げることができた。しかし、全日本少年サッカー大会を前にして、何をしてもうまくいかない時期があった。うまくいかないと感じていながらも、「まぁ、選ばれるやろ」と思っていた。結果はメンバー外。一気に地に落とされた感情になった。さらに、チームは全国優勝。嬉しいよりも悔しい気持ちの方が大きかったことを覚えている。


2度目の壁は中学3年生の頃。
全く試合に絡めない日々が続いた。
どれだけ練習を頑張っても、実力が足りず、評価されない。
この期間はサッカーをする楽しさやサッカーをする意味を全く見出すことができなかった。ただ、仲の良かったキャプテンがずっと気にかけてくれていた。練習前に一緒にボールを蹴ったり、着替えるのも食べるのも遅い私に毎日付き合って、一緒に帰ったりしてくれていた。この時の練習前の時間が今の自分の強みでもあるキックに繋がっている。
中学生の間に成果が実ることはなかったが、彼がいたから、諦めることなく毎日を全力で駆け抜けることができた。


文章が長く、飽きがきているかもしれませんが、もう少しだけ付き合ってください。


3度目の壁は大学に入学してすぐのこと。
周りはJユースや高校サッカーで名を馳せていた選手、強豪校の選手ばかり。
僕はスポーツ推薦組を除いた、一般入部組の中でもサブスタートという立ち位置だった。数多くのプロ選手を輩出している、関西学院大学サッカー部に入部する以前も覚悟はしていたが、自分はこんなものなのかと肌で感じた。
しかし、反対にこんなにレベルや意識が高い環境でサッカーできているんだと受け取ることができた。そこから、チームメートに刺激を受けながら、日々の練習を120%で取り組み、筋力トレーニングにも懸命に取り組んだ。
すると、C2から始まったシーズンが、1年生の終わりにはB1にまで上げてもらえることができ、自身の成長を感じることができたシーズンとなった。


私がここで伝えたかったことは、壁があったからこそ、自分を大きくしてくれて、壁があったからこそ、今の自分がいるということです。
振り返った時に、もちろん嬉しいこともたくさんありましたが、大変だった経験の方が覚えています。それは、「大変」という漢字が「大きく変わる」と書くように、大変だった経験が自分を大きく変化させてくれたからだと感じます。

だからこそ、もし大変な状況にあったとしても、自分が大きく変わることができるチャンスだと思って、全力で走り続けること、周りには辛い時にも両親や友人など支えてくださる方々がたくさんいるので、感謝しながら、頼れるところは頼ることが大事です。

自分自身もここからさらに、ひと回りもふた回りも成長できるように。
「壁は最高の成長材料だ」


「壁というのは、できる人にしかやってこない。
超えられる可能性がある人にしかやってこない。
だから、壁がある時はチャンスだと思っている。」
イチロー


最後までお読みいただき、ありがとうございました。まとまりがなく、読みづらい箇所もあったかと思いますが、この文章が誰かの背中を押すきっかけとなれば幸いです。

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