#108「俺の原動力」3年 石田達己
こんにちは。
関西学院大学サッカー部3回の石田達己です。
このような貴重な機会をいただいたので、あまり文章を書くのが得意ではないのですが一生懸命書かせて頂きました。拙い文章にはなりますが最後まで読んでもらえると嬉しいです。
自分はサッカーを何のために続けているんだろう?と思うことがある。
中学校、高校、大学、常に周りには辞めていく人がいる中でここまで続けてこれた原動力について考えていこうと思います。
私は幼稚園の時におばあちゃんに連れて行ってもらったサッカースクールがきっかけでサッカーを始めました。
小、中学時代はただがむしゃらに楽しいから、上手くなっていっている自分が好き、成功した瞬間、点を取った瞬間が最高だからという思いからサッカーを続けていました。
中学時は今も同じカテゴリーの匠真君と同じドリブルチームに所属しており、毎日リフティングから始まりコーンドリブル、1対1をひたすらやっていました。
ドリブルやコンビネーションを多用したブラジルのようなサッカーをしていました(石川県大会ベスト16)。なので、出来なかった技が出来たり、練習したコンビネーションが上手く決まったりした時はすごく楽しかった思い出があります。
しかし、親には試合終わりには毎回怒られて、口酸っぱくサッカー辞めたら?と言われる日々でした。文句を言われ続けても見返して黙らせてやるこの感情から努力できていたと思う。
もちろん親のためにサッカーをやっているわけでは無いが、怒られてばかりだったため見返すことが出来た時や褒められることはすごく嬉しかったです。
それだけサッカーが楽しくて好きだったしサッカーを嫌いになることが無かったです。
高校は憧れていた選手権に出たいという思いから地元の星稜高校に入学した。これまでは自由にテクニカルなサッカーをしていましたが高校に入り楽しいサッカーではなく、勝つための決まり事の多いサッカーになっていきました。
また、部員が100名以上いる、その中で自分の存在価値、試合に出るための武器を探し続けた3年間だったと思う。楽しいよりもきつい、だるい、辞めたいというネガティブな感情が多く悩んだ3年間だったと思います。
それでも幼い頃からの夢であった選手権に出るために頑張ってこれたと思います。
もちろん、選手権に出たいという思いも強かったが同じ学年、ポジションのライバルに負けたく無いという思いがすごく強かったです。
ライバルは中学時代から全国大会に出場、トレセン常連で対人が強く守備能力に長けていた選手でした。
当時はこいつに勝たないと試合に出れないという焦りが強かったし、いいプレーをされたら腹が立ったし、ミスしたらめちゃくちゃ内心嬉しかったことを覚えています。
当時の考えは、守備が上手い、それなら攻撃の部分で上回ろうであった。
サイド攻撃が有名な星稜でクロスを武器にしたら最強だろという考えから毎日クロスをひたすら上げまくった。
これまで、努力することが無かった自分であったが、自分の中で努力したと言えるほどクロスに対して考えて自主練習出来たと胸を張って言えます。
この時から自分は反骨心や見返してやるという気持ちから自分を奮い立たせて頑張れるという事に気づいた。
結果としてラストイヤーはスタメンを獲得することが出来た。(インターハイでは鈴木君率いる米子北に負けてベスト4でした。)
大学では、カテゴリー昇格することなくここまで2年半続けて来ました。
そんな大学生活では、愉快な仲間と共に過ごしてきて、いろんな経験から良いも悪いもわかるようになった気がする。
人から嫌われることを恐れていない龍馬や毎日TikTokの撮影、将来への自己投資を頑張る紹吾、ピッチ外ではだらし無いけどサッカーになったら人が変わったようにカッコよく見える祐悟、いつも一緒にいるけど何事にも努力できるしん、最初は一緒にプレーしていたのに今ではAチームの亮汰、文句を言いながらもストイックにサッカーに打ち込む京祐。
そして、常にチームのことを考え視座が高い秀哉君、向上心の塊で人として自分の憧れでもある健太朗君。
自分はピッチ外でもピッチ内でも身近にこんなにも尊敬出来る人がいる。
尊敬や憧れもあるが常に危機感を持たせてくれて負けたく無いという感情にさせてくれるすごくいい環境にいると感じます。
振り返ってみて自分の原動力は反骨心、こいつには負けたく無いという気持ちである。
この気持ちがあったからサッカーを続けてこれたと思うし、この気持ちが無くならない以上自分は成長できるし頑張らないといけない。
残りの一年と少しの間で必ず成長して見返してやる。
まずは残された今シーズンで変わったなと思われるようにプレーでもピッチ外の組織に対する取り組みにも一生懸命頑張ります。
最後まで読んでいただきありがとうございました。