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【雑感】社会福祉の目線で「ホームレス要らない」発言を考える

某メンタリストさんが「命の軽い・重い」のような発言をして炎上されています。私が関わっている保育という分野は「社会福祉」に分類されるわけですが、社会福祉分野においては、このようないわゆる「優生思想」問題は結構身近にあったりします。
2016年に神奈川県の障がい者福祉施設で、職員が利用者の方を何人も殺害するという大変な事件が起きました。これも動機は「優生思想」に基づくものだと報道されています。
「優生思想」は歴史的にも様々な事件を引き起こしてきました。例えば第二次世界大戦下のナチスドイツ。ナチスドイツと聞くと、ユダヤ人の迫害が先に浮かんでくる方が多いと思いますが、当時のナチスドイツは「優生思想」に基づいて、障がい者や病人を虐殺していました。日本においても、優生保護法の下、障がい者や特定の病気の方々が強制不妊をさせられるなど半世紀ほど前までかなり幅を利かせていた思想でした。

優生思想とは

そもそも「優生思想」とは何でしょうか。詳しいことはWikipediaにお任せしたいと思いますが、平たく言えば、劣った(とされる)形質を子孫に残さない、という発想です。そこから派生して、社会に貢献していない(とされる)人たちの人権を否定するような考え方も含む場合もあります。
今回の騒動はまさにそれなわけですが、自身が社会的・経済的にそれなりに満たされた状態(差別的な扱いを受けない、経済的に困窮していない)にいると、思わずそういった考え方をしてしまう危うさは誰しもが持ち合わせていると思います。

「良い社会」を作るための考え方

私はあまり真面目な学生ではなかったのですが、学生時代に勉強した中でよく覚えていることの一つで、こういった社会問題を考える際にとても大事にしているのが「無知のヴェール」という考え方です。
ジョン・ロールズという哲学者が提唱した考え方ですが、「正義」を考えるときに、今の社会の状態を認識したうえで「自身の立場や能力が一切わからない」状態で考えれば、様々な立場で考えられるため「正義」が導き出されるという理論です。(専門家ではないので、厳密には違うかもしれません。またこの理論はのちに有名なサンデル教授に否定され、修正されているそうですが、ここでは割愛します。)
この考え方は、政策などを考える場面でも有用だと私は思っています。今の日本の社会において自分が「病気で満足に働けない」状態「富裕層として何不自由ない」状態、どのような状態で放り出されるかわからない前提で、どのような社会であるべきなのか、を考えるとより良い政策を考えられるということになります。

私たちができること・すべきこと

保育行政に限らず、社会保障(社会福祉)という分野は、その恩恵を受ける当事者にならないとなかなか重要性が理解されにくい分野です。
人間はどうしても自分を「普通(標準)」と考えてしまいがちですから、社会福祉について、当事者でない人に「理解」をしてもらうには、客観的かつ論理的な情報(なぜその制度が必要なのか、どんな問題点があるのか)を発信していくしかありません。
政治や行政に届けることはもちろん大切ですが、あわせて世間の「理解」が伴わないとややもすると「税金の無駄」(とそれに集る人たち)と見られてしまいます。
幸い、万人がこうやって情報を発信できる時代です。わざわざこのような記事を書かなくてもニュースにコメントが出来たり、SNSで記事などをシェアをすることで「発信」ができます。
事業者、利用者それぞれの立場で社会保障の必要性と現状の問題点を論理的に発信し建設的な議論と理解を広めていくことが、誰もが住みよい社会の基礎となると考えています。


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