[僕が漫画家になるまで] ハタチのころ② <専門に入ったあと>
<2005年/個人サイト・Web拍手イラスト>
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有料版の方では商業仕事のネーム公開など、こういった形でコラムを書いていますので気になる方はそちらも宜しければゼヒ(定例文)。
<2005年/落書き>
[どの学科に?]
僕が2年間通った学科は「キャラクターデザイン学科」というところでした。
他の学校では明確に「アニメーション学科」、「マンガ学科」、「ゲームデザイナー学科」などやりたいこと・進路がハッキリしている学科があるのが普通…なのですが、この「キャラクターデザイン学科」は、"オールマイティに、どの分野も満遍なく学べる・スキルが身につく"的な立ち位置で、進路はキャラクターデザイナー・イラストレーターが中心的でした。
まさに、まだ明確に「何の絵の職業に就きたいのか」がハッキリしていない自分にとって打って付けであり、とてもキャッチーな学科でした。
その時の自分のまずの目標が「どの進路に行きたいか決める」ことよりも「絵が上手くなりたい」ということでした。
3つほど専門学校に足を運んで説明を聞きに行きましたが、3つ目のこの学校の「キャラクターデザイン学科」に出会って「これだ!」となり、即決でここに通うことに決めました。
<2008年6月/課題>
[通い始めて変わってきたこと]
色んなアナログ画材、PCを使ったCG、道具は様々で色んなテイストの絵を描く授業が最初は多かったです。特に最初は基礎的な要素が多く、独学で絵を描き始めた自分にとってはかなり学ぶことが多かった。
あとは各講義によって先生が違うんですが、その先生方のお話を聞くのがかなりタメになりました。過去に自分が描いてた絵を気軽に見てくれて意見を言ってくれて、まだまだ基礎ができてないんだなぁ、とか勉強になることがたくさんありました。
勉強といえば…、登校初日の時に仲良くなった同じ学科に通うクラスメイトたちで同人サークル『AChaDe-8th』(アキャデイト。言いだしっぺではなかったけどリーダーをしていました)を結成したのが一番専門に入って刺激的だったかもしれません。
<2008年8月/コミティア85サークルカット>
[専門学校とコミティア]
AChaDe-8thは2008年8月のコミティア85から8年間欠かさずコミティアに参加し続けてきたサークルで、その経験が糧になって今の自分があると思います。
この時は趣味でメンバーと同人をやる、というよりはあえてフィールドを「コミティア」を選んだことでより、真剣に・高め合おうという気持ちが強かった。なので頒布して全然売れなかった時は「なぜ売れなかったのか」という所までメンバーと話し合って次回に活かす、ということもやっていました。かなりガチだったけれど、メンバー同士楽しくやれてたと思います。
そこで僕が特に学びや気付きがあったことといえば、リーダーだったので本の編集・デザイン・入稿作業を全部やっていたこと。
<2008年11月/コミティア86表紙>
[マーケティングのいろはは同人イベントで]
絵が自分にしろ、メンバーの誰かにしろ、表紙のデザイン次第でイベントで手に取ってくれるかどうかが全然違うことや、合同誌というスタイルだったため「テーマがいかに大事か」、「そのテーマがちゃんと手に取る人に刺さっているかどうか」という部分に対してすごく勉強になりました。
要はマーケティング・市場調査ってやつですね。自分が描いたことないテーマは難しかったけど、より勉強になりました。
上にある表紙は2冊目の合同誌なのでタイトルが『02』と付いてるのですが、「ちゃんとタイトルだけでどういう内容の本なのか分かるようにしないといけない」という事が分かったのでこれ以降ナンバリングタイトルを廃止しましたね。これも勉強になった結果。
表紙デザインを毎回やったおかげで「デザインって奥深いな~」と興味関心が広がる一方で、向き・不向きが自分の中で見えてきたことがありました。
それが、「イラストレーター向いてない」ということと「グラフィックデザイナー向いている」説でした。
(続きます)