見出し画像

俺物語ー中井裕大(商3)

〜俺物語〜

タイトル:サラダは味ぽんで食う

小学3年生から野球を始めた俺はバッティングが好きだった。バッティングセンター『シャローム尼崎店」には何度通った事だろうか。野球というよりシャロームにはままっていたのかもしれない。シャローム月間ホームラン王2回(小学4年・6ホーマー、小学5年・9ホーマー)これが俺が積み上げた実績だ。By the way、野球を始める2年前からプロ野球が好きで初めて買ったユニフォームは「阪神タイガース城島健司」の背番号2のユニフォームだったことを思い出した。どうして鳥谷じゃなかったのか「城島は2010年しか活躍してないぞ」そうあの頃の自分に伝えたい。
中学時代は宝塚ボーイズで野球をしていた。奥村幸治監督、別名『イチローの恋人』のもとで3年間野球を続けた。青山コーチと出会い、元気キャラで声をからして頑張っていた。

そして高校は関西学院高等部に進学し、予想だにしていなかったある出来事が起こる。突如告げられた指導期間制度。3年生が引退するまでランニングと筋トレ、応援歌練習をするという過酷なものだった。思い返せば中学3年生の時、関学野球部の見学に来て中学時代の先輩が色々と説明をしてくれたのだ、終わったとたんに高速ユニフォーム着替えと全力挨拶、全力ダッシュでグランドを後にしていた。「そういうことか」入部一日目の時すべてを理解した。まぁ翌年自分が指導係になったのだが、、、


大学ではこの準硬式野球部に入部した。そして投手を始めたのだが持っていた球種は1つだけ、その名も「曲がるボール」これだ。過信していたんだ。4年間もあれば「155キロのストレートと七色の変化球を操る男」と新聞にでも載ると考えていた。3年経てみればストレート(ツーシーム)、スライダー。たったの2種類だ。馬場皐輔とでも呼んでれ。「まだだ、卒業まではあと1年残っている」そう言い聞かせておこう。By the way,高校時代はホームランを2本打ったんだ。ホームランボールをくれたマネージャーありがとう!

準硬式野球部での活動は残り少なくなったがまだ時間はあります。去年の最強世代よりも高みを目指して偉業を成し遂げましょう。今後とも関学準硬式野球部のご声援のほどよろしくお願いします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?