俺物語ー林大智(商3)
〜俺物語〜
タイトル:振り返ると人生野球尽くし
小学生の頃に兄の影響で野球を始め、小学生の将来の夢は常にプロ野球選手でした。すごくおデブで、市内では注目選手であり本当にプロ野球選手になれるのではないかと錯覚している時期もありました。中学では、部活動には所属せず、硬式野球のクラブチームである兵庫伊丹ヤングで野球を続けました。兵庫伊丹ヤングに入ったと同時に現実を突きつけられ、プロ野球選手を目指せるのではという勘違いは儚く散りました。中学入学時点で身長が190センチ近い同級生のチームメイトがおり、自分じゃ絶対に叶わないと感じました。それに加え、毎日走り込みの日が続き、小学生でたくさん溜めた脂肪が気づくと無くなっていました。しかし、なんやかんやで中学時代は頑張って強豪チームである兵庫伊丹ヤングでレギュラー番号をもらえたことは自分の野球人生の中で1番誇れるところかなと思っています。高校進学の際は、野球進学をする選択もありましたが将来のことも考え親と話し合い受験する選択をしました。どのように進学をするか考える中で親には多くの迷惑をかけましたが、野球ではなく勉強を選び進学したことに後悔はなく良い選択だったと感じています。高校の野球部では、指導期間というものがありその期間が非常に辛く、辞めたいと思うこともありました。オフの日に食べる唐揚げ弁当が唯一の楽しみでした。指導期間後の部活は楽しいことが多く、チームメイトと野球をする日々が充実していました。高校3年生では、副主将に選んでいただきましたが、選ばれた時は自分が1番驚きました。高校3年生からは、急に投手起用をされ投手を始めました。投手デビュー2日目で中京大中京を抑えたのは自分でもすごいと思います!しかし、今考えるとこの時が全盛期でした。打つ方が得意だったので、投手にならず打者を続けていたら高校・大学とどのような選手になっていたのかなとたまに考える時があります。高校最後の大会が無くなり不完全燃焼だったため大学でも野球を続けることを選びました。入部当初は順調で、1年秋からメンバーに入れていただき大学生活で1度はタイトルを取ってみたいと思っていましたが無理でした。1年生の時に紅白戦で偉大な先輩の頭にデットボールを当ててしまい、そこから投げるのが怖くなりました。今でも当てた時のことを鮮明に覚えており、たまに実戦中にその場面がフラッシュバックすることがあります。1年生の時から2個上の先輩である西村晴樹さんに憧れており、この人のようになりたいと思い背番号15番も背負い努力を続けましたが、目指せば目指す程、晴樹さんのすごさを実感するばかりでした。憧れの先輩に追いつくことはできませんでしたが、少しでも近づけるように最後のリーグ戦頑張りたいと思います。今のチームメイトは、高校時代からのチームメイトも多く、思い入れが非常に強いため皆んなと少しでも長く野球ができたらいいなと思います。最後の大会、頑張りましょう。
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