男性不妊体験記 ~俺のスペルマが無精子でキンタマ切開した話~
「無精子症」の診断に至った経緯について
2022年12月、妻と結婚
2023年7月の結婚式を経て、お互いに子どもを望んでいたので、まずはタイミングを測っての夫婦生活をスタート。しかし、数か月が経っても授かることができなかったので、「早めに確認しておくに越したことはないよね」ということで、妻がレディースクリニックを受診することになりました。その際、私の精液も持参してもらいました。
2023年12月、レディースクリニックでの診断
検査の結果、精液中に精子が確認できないことが判明しました。専門医療機関での検査を勧められましたが、当初は危機感がありませんでした。「調子が悪かっただけかも。日によってコンディションは変わるだろうし、専門医療機関で再検査してもらおう」と軽く考えていました。現実から目を背けていたのかもしれません。
2023年12月、大学病院での精液検査でも精子は確認できず
医師から「辛うじて、形が正常でないし動いていない精子だけど、一匹だけ見つかりました!」と告げられたのですが、それを希望として伝えてくれているのか、ただの事実として伝えてくれているのか私には判別が付きませんでした。あまり現実を受け止められずに、「もう一度検査したら、精子が見つかるかもしれない」と思ってしまう自分もいました。でも、自分の子どもを授かることが不可能かもしれないという現実が、じわじわと迫ってきたのです。
2024年1月、無精子病の確定
さして意味がないとわかってはいながら買い込んでサプリメントで対策して臨んだ再度の精液検査。根拠のない期待ばかりあったのですが、あえなく撃沈。奇形精子の一匹すら見つからず、ここに至って無精子症が確定し、手術の決断を迫られることになりました。
2024年2月、セカンドオピニオンを経て、大学病院での手術を確定
無精子症の診断と手術の必要性を確かめるため、セカンドオピニオンを求めてクリニックを受診しました。大学病院の診断書を確認してもらったところ、「男性不妊治療の領域で非常に信頼できる医師であり、診断内容や治療方針に問題はない。クリニックで治療しても方針は大差ないだろう」とのことでした。同月、大学病院で改めて手術の説明を受け、そこで手術を受けることを決意。5月の手術日程を確定しました。
無精子症・精巣内精子採取術(TESE)について
ここで、医師から説明を受けた無精子症や精巣内精子採取術(TESE)についての理解を共有します。ただし、私は医療従事者ではないので、あくまで素人の理解ですし、ここに書いてあることは真に受けないでください。ちゃんとした説明は、ちゃんとした専門家から聞くべきです、マジで。
無精子病とは
無精子症とは、精液中に精子が全く存在しない状態を指します。原因は大きく二つに分けられます。一つは、精巣で精子が作られていないケース(非閉塞性無精子症)。もう一つは、精子は作られているものの、精巣から精液中に運ばれる通り道が詰まっているケース(閉塞性無精子症)です。要は、工場に問題があるのか、配送に問題があるのか、ですね。
診断までには、いくつかの検査を受けました。精液分析を2回以上行い、触診で精巣の大きさや硬さなどを確認する身体検査も実施ありました。私の場合、精巣は左右で大きさに差があり、いずれもやや小さめだそうです。ただ、致命的な程ではないとのことでした。
余談ですが、医師が葡萄のようにいろんな精巣サイズの見本がぶら下がったものを片手に、私の精巣と交互に握りながら、「13…12…13かな…」と触診されるのが妙に気恥ずかしかったです。調べてみたら、オーキドメーターという器具らしいです。オーキドが睾丸を意味するとのこと、そういえば、そんな名前の博士がいましたね…。
血液検査ではホルモンバランスや染色体異常の有無をチェックしましたが、異常は見られませんでした。結果、明確な原因は見つからず、いずれにしても精巣を切開して精子を直接採取する精巣内精子採取術(TESE)をするしかない、という診断でした(原因をもう少し詳しく調べる方法もあるにはあるようですが、私の場合は、結局TESEをするしかないという結論に変わりはなく、あえて原因究明に時間を割く意味はなかったようです)。
精巣内精子採取術(TESE)とは
TESEは、精子が射精液中に見られない男性に対して行われる医療処置です。この手術では、医師が局部麻酔または全身麻酔の下で、直接睾丸から少量の組織を採取します。この組織から精子を探し出し、見つかった場合は体外受精のステップに進むことができます。正規ルートで出てこない精子を、切って直接取りに行くということですね。
TESEの成功確率
TESEによって精子を採取できる可能性は「30%」程度という説明を受けていました。正確には、先ほど説明した非閉塞性無精子症と閉塞性無精子症のどちらなのかによっても可能性は変わるようです(前者のほうが確立は低い)。私の場合は、どちらなのかはっきり判別されておらず、控えめに見て30%という説明だったのだと思います。
TESEで左右どちらかを切るか両方を切るか
左右の睾丸どちらか一方のみから採取するか、または、採取できなかった場合もう一方からも採取するか、手術までに選択することになります。片側の睾丸のみから採取する場合は手術リスクが低いですが、精子を見つけられる確率は低くなる可能性があります。逆に、両側の睾丸から採取する場合は精子発見の確率が高まりますが、手術リスクや将来的なテストステロン生成への影響が懸念されます。私は、リスクとリターンの総合的な判断として「片側のみ」を選択しました。最悪、もう一回切ればいい、と当時の自分は思っていましたが、それは愚かな感覚だったと手術後の私は思っています。これをもう一回は、本当に勇気がいります。
TESE成功後の体外受精について
TESEによって精子を採取した場合は、必ず顕微授精(ICSI)になるとのことです。ICSIは体外受精の一形態で、特に精子の数が少ない場合や運動性が低い場合に適しているそうです。ICSIのプロセスでは、単一の精子を直接卵細胞に注入するため、ごく少数の精子でも受精の可能性を最大化することができるため、TESEで採取された精子に適しています。
妻との対話のプロセス
前述の通り、最初の診断は、妻がレディースクリニックでの検査結果を持ち帰ってくれたことからはじまりました。そのタイミングでは、まだ確定的な状況ではなかったので、比較的サラリと「ちゃんとした検査が必要みたいだよ」と伝えてくれた記憶があります(それでも、きっとどう伝えようか悩んだとは思いますが)。
大学病院での精密検査の後、妻から「子どもができようができまいが、一緒に生きていきたいと思っているよ」という言葉をもらいました。今思えば有難い言葉なのですが、当時の私は、まだ気持ちがそこまで至っておらず、二人の将来よりも私個人の身体の欠陥をどう受け止めるかという感覚が強くて、「今そんな話をしたいわけではない」と少し言い合いになってしまいました。
そんなこともあり、二人で向き合って対話するために、システムコーチングを受けることにしました。システムコーチングとは、個々の行動や考え方だけでなく、個々が形成するシステム全体との相互作用に着目し、行動を促すコーチング手法です。前職の尊敬する先輩にコーチをしていただいたのですが、二人の間にあった気持ちやシステムが以前よりも見えるようになり、どんな結果であっても「自分たちはこうしていたい、こうしていきたい」という方向性を二人で確認することができました。
また、個人的にカウンセリングも活用し、一人で打ち明けたい気持ちはそこで話したりもしました。勤務先で法人契約のカウンセリングが導入されており、この3年ほど月1回程度のペースで、同じカウンセラーと定期的にお話してきたので、困難な状況下に自分のことを時間軸で理解してくれている心理の専門家がいることの有難さを感じました。
そんなプロセスを経て、二人の手術に向けた心構えがある程度、できあがっていったのです。
手術を大学病院で受けるか、クリニックで受けるか
手術を大学病院で受けるか、クリニックで受けるかは、私たちにとって重要な決断でした。私が調べた限りでは(かつ私が検討していた大学病院とクリニックでは)、概ね以下のような違いがありました。
大学病院の場合:
2泊3日の入院が必要
全身麻酔で手術を行う
精子採取術を行う医師と、採取後に体外受精を担当する医師が別々である
受診日の調整などは大変で、待ち時間も毎回半日がかりになる
一方、クリニックの場合:
日帰り手術が可能
局所麻酔で手術を行う
精子採取術を行う医師と、採取後に体外受精を担当する医師が同じである
ある程度柔軟に受診日の調整ができる(それでも待ち時間はかなり長いが)
最終的には、大学病院で手術を受けることに決めました。
理由は以下のポイントが大きいです。
男性不妊について調べていた際に、『中国嫁日記』という作品で登場していた大橋正和先生がその大学病院にいたこと。だからどうというわけではないのですが、なんとなくそういうことに安心感を覚えるタイプだったのです。
手術中に意識があるのが嫌だったので、全身麻酔を選びたかったこと。
余談ですが、私は乃木坂太郎の漫画が好きで、病院の待ち時間に『医龍-Team Medical Dragon-』を久しぶりに読み返しました。ただ精巣を切って精子を採取するだけの手術なのに、まるで壮大な手術を受けるドラマの一幕のような気分になれるという意味でも、大学病院を選んでよかったです(半分くらいマジで)。
手術までの流れと過ごし方
手術までの細かな流れの時系列
既に書いた内容と重複する箇所もありますが、わかりやすいように網羅的に記載しています。まとめてみて、こんなに通院していたのかと驚きました。
2023年12月07日:レディースクリニックで最初の診断
2023年12月28日:大学病院で精液検査+血液検査(ホルモンバランス)
2024年01月11日:大学病院で再度の精液検査+血液検査(染色体)
2024年02月01日:クリニックでのセカンドオピニオン
2024年02月08日:大学病院で手術について説明を受ける
2024年02月12日:手術の日取り決定+妻の血液検査
2024年04月13日:手術のための術前検査
2024年04月22日:全身麻酔に関するオリエンテーション+体外受精についての説明
2024年05月22~24日:入院&手術(23日)
一応手術までに準備したこと
基本的には、特にできることはないくらいの気持ちでいるのが良いようです。縋るような気持ちで、しないよりはしたほうがマシかもしれない、程度のことを、手術までの半年弱、一応やっておいたという感じです。繰り返しになりますが、これによって成功可能性が高まったとは思っていません。
サプリメントを一式揃えて飲んだ
病院でもらった「精子性状改善のための代替治療(経験的治療)」をもとに、マカ、亜鉛、コエンザイムQ10、葉酸、ビタミン剤を購入
ボクサーパンツからトランクスパンツに変えた
精巣は高温に弱いので、蒸れる密着したパンツよりも通気性の良いパンツが望ましいとのこと
もともとUNIQLOのパンツを履いていたので、UNIQLOのエアリズムトランクスにしたら、素材感も変わらず違和感はなかった
長風呂をやめた
精巣は高温に弱いので、長風呂は望ましくないとのこと。
私はお風呂に1時間くらい入る習慣があったので、入浴時間を少し短くするなどは意識した
アルコールを控えめにし、睡眠時間を増やした
特に言われたわけではなかったが、健康であることに越したことはないだろうと思って意識した
手術までに行った情報収集
情報収集によって何か意思決定が変わったという類のものはありませんでした。基本的に、医師の指示や判断が最も的確なはずであると信じて従っていましたし、その内容が収集した情報と異なっていた場面も特にありませんでした。ただ、なんとなく自分たちに訪れているこの出来事をちゃんと理解して言葉にできるようにしておきたい、という欲求があったのである程度の情報収集は行いました。
医療従事者向けの『男性不妊症診療ガイドライン』なる専門誌まで取り寄せたのですが、これは全く以て理解できませんでした。妻は、英語文献などもあたっていました。今回、この記事を書いておこうと思った理由でもあるのですが、男性当事者の目線で残されている記録が極端に少なかったのは印象的でした。
手術前2週間くらいの心境
じわじわとリアルになってきたのが、手術の2週間前(5月9日)あたり。医師からの指示で、そのタイミングでサプリメントをやめたのですが、大した意味はないとわかりながら飲んでいたものの、とはいえ、サプリメントを飲むことぐらいしかできない私にとっては、いよいよもう何も為すすべなく手術を迎えるのだとソワソワする気持ちでした。
その週末(5月11日)に、手術前最後のシステムコーチングのセッションがありました。このタイミングでこの時間を設けられたことが、本当に大きかったです。手術の結果がどうであれ、そこに肯定的な意味を見出して二人で生きていけそうだ、という感覚を持つことができました。
その頃までには、知るべきことは一通り知って、考えるべきことは一通り考えて、話すべきことは一通り話した、という気持ちになったので、あとは直前まで仕事に集中していました。ちょうど年に一度の全社会議などの大きなイベントもあったので、ある意味で気は紛れました(コロナ感染などで手術を受けられなくなることだけは避けなければいけなかったのでマスクや手洗いうがいはかなり気を使いました)。
最後の、入院する当日の朝は、あまりに嫌すぎて「行きたくない、やめたい!」と大騒ぎしました…。手術すること自体も嫌でしたし、「可能性が30%くらいはある」という状態から「可能性がない」という状態に確定してしまうことが本当に恐ろしかったです。妻が大人になだめてくれて病院まで付き添ってくれたのですが、私は無愛想に無言で入院棟に入りました(あのときはごめんなさい)。
いざ手術、入院中のあれこれ
手術前日(入院1日目)
入院は2泊3日で、手術はその2日目です。1日目は、入院手続きを行ったあと、採尿・採血があるくらいで、あとは自由に過ごしてOKでした。特にすることもないので軽く仕事をしながら、10階からの景色を眺めて「ワーケーションみたいだなあ」と思うなどしていました。
いざ手術(入院2日 午前)
入院棟は6:00起床でした。手術後1日、排便がけっこう大変なのは聞いていたので、なるべくそれが発生しないように、手術前に出せるだけ出しておきました。水も6:30以降はNGなので最後に少し口に含んで、あとは手術までなるべく何も考えないように適当なYouTubeを見るなどしていました。
9:00前に看護師が迎えにきてくれて、手術室に移動しました。行きはもちろん自分の足で向かい、自分でよいしょっと手術台の上にあがりました。私はこれが人生はじめての手術だったので、どんどん緊張が高まっていきました。その緊張を拭いたくて「あー、緊張するなー!」とか「皆さん、よろしくお願いします!」とか無駄に声を出してみるなどしていました。
主治医から「事前に相談のとおり、片側だけ切りますね。左右どちらを切るかは最後に見極めて判断します」と声を掛けられ、それに頷いたあとに、点滴で麻酔を投入されました。『医龍-Team Medical Dragon-』に、麻酔は7秒くらいで意識を失うのがベストと書いてあったのですが、たしかに10秒くらいでは意識が飛んだ気がします。「腕がしびれるような感覚があると思いますが麻酔によるものなので安心してくださいねー」と言われた直後に、点滴を刺している手の甲から、腕、肩にかけて、焼けるような痺れが走って、それがそのまま脳まで届いて、意識を保っていることが困難になり、飛んだような感覚です。
そして、体感「一瞬」で、「●●さん、●●さーん」と呼ぶ声がして、ハッと目が覚めたら、もうすべて終わっていた、という感じでした。右側の睾丸に鈍痛、ああ、やっぱり右を切ったのだな。尿管に刺さるカテーテルの違和感、これを後で抜くのが恐ろしいな。ああ、そうだ、結果はどうだったのだろう。みたいなことが頭にワッと浮かんで、主治医のほうを見ると、主治医が「精子は採取できました。奥さまにも電話でお伝えしました」と一言伝えてくださいました。なんとなくその伝え方から、最も良い結果ではなかったのだろうというニュアンスは感じつつ、けれども、最も悪い結果ではなかったことにまず胸を撫で下ろして「ありがとうございました!よかったです!」と答えました。これが11:30くらい。
その後、部屋に戻る前に、一時的に容態が安定しているか確認するスペースに移されて、痛みの度合いなどを確認されました。「痛みは、10段階でどれくらいですか?」と聞かれて、「わからない…たぶん4か5ぐらい…痛いと言うほど痛み止めを投与してもらえる感じなら、痛み止めはたくさんお願いしたいです…」など答えていました。数十分くらい経過を見た後に、ベッドのまま自室に連れて行ってもらいました。これが12:00過ぎくらい。
手術直後(入院2日 午後)
部屋に戻ってから、妻からもらっていた連絡に返信するなどしました。
よくわからないけれど、全身麻酔の名残なのか、2時間くらいはすごく元気で、仕事の連絡をスマホで確認して打ち返すなどもしていました。
しばらくすると元気がなくなってきて、明朝の退院までどのように暇をつぶそうか…と絶望の気持ちに。切ったところはジンジン痛いし、尿道のカテーテルもずっと気になる。寝返りは打っていいと言うけれど、自分の陰部まわりがどうなっているのかイマイチわかっていなくて、見るのも怖いし、身動きが全然取れない。
今のこの気分じゃないと書かないだろうなあと思って、この記事の構成を簡単に下書きしたあたりで集中力も切れて、あとはひたすらTVerで何も考えなくていいバラエティ番組を見続けました。最初は、せっかくだからこの機会に映画10本ノックやるかーなど思ったのですが、映画に耐えられる集中力はなく、なんとかシティーハンターだけ見ました。後半よく覚えていないですが…。
あと、ずっと仰向けの状態で、顔の上に手でスマホを持っている姿勢によって、首に大ダメージを抱えて、退院後は患部よりも首コリのほうに苦しみました。もし入院前に戻れるなら、私はこういうのを持ち込んだかもです(許可されるかどうかはわからないので病院に確認してください)。
あと、手術後は喉もつらかったです。手術中に呼吸器を装着されていたらしいのですが、私はもともと扁桃腺が大きく割と繊細で、おそらく呼吸器が当たっていたことでかなりガスガスしていたのと、全身麻酔後は1日、水も飲めないので、それによって完全にやられてしまいました。これも首のコリと合わせて退院後にわたってつらかったポイントです。
手術翌日、退院(入院3日目)
入院棟は6:00に起床なので、それに合わせて看護師さんが来て、退院までの流れを説明してもらいました。採血とレントゲン検査を行って問題なければこのまま退院とのこと。また、朝食の前後に回診があり、その際に先生に尿道のカテーテルを抜いてもらうとのこと。朝食はなんでもない食事ですが、しっかりアツアツで提供してくださり、1日半ぶりの食事が染み入りました。
そしていよいよカテーテルの引き抜き。これが、本当に怖い。前の晩からひたすらこれに怯えていました。いま書きながら思い返しても震えるくらい。怖くて一度も患部を見ていないが、絶対にそこに入るわけがないはずの太さのものが、絶対にそこまで入るわけがない深さまで入っている。それは感触でなんとなくわかる…。
「痛いですか?そっとできますか?すぐ終わりますか?」など不安そうに聞く私に先生は「痛いっちゃ痛いですが、入れるときより全然楽なので、一瞬ですよ」と答える。私は、入れるときは全身麻酔中なので知らないんですよ、その様がどうだったかは考えたくもないし、先生側の大変さは聞いていないんです、という気持ちになる。あがいてもしょうがないので観念して身を委ねる。「ンゴッアアムリガアア!」みたいな私の雄叫びと共に、確かに一瞬でカテーテルが抜けた。おそろしいので、その抜けた管を絶対に視界に入れないよう目をそらして、先生に「ありがとうございました…」と声を掛けて終わりました。
そのあと、レントゲン検査に。1日ぶりに立ち上がったのですが、これは怖い。何も当たっていないときは、それほどの痛さということもないのですが、何かの拍子に陰嚢が足に軽くでもぶつかると、陰部デットボール直撃級で食らう感じ。なので、とにかく陰嚢を刺激しないよう、ぶつけないよう、圧迫しないよう、慎重に慎重に動く必要がありました。それでも、じわっとした痛みで脂汗が出てくる感じでした。
無事にレントゲン検査も終えて退院となりました。そのあと、妻が産婦人科で顕微授精に関するオリエンテーションが入っていたので、私も一緒に参加しました。そこで、私の手術結果についても詳しく聞きました。
手術結果はどうだったのか
「精子は採取できました」と聞いてはいたのですが、改めて、その結果の詳細について産婦人科の先生に聞きました。
採取はできており望みはつながっている。ただし、まずもって大丈夫だろうという十分な量の採取ではなかった
具体的には、管5本に分けて冷凍しているが、その1本あたりの精子の数が多くて3桁か、下手すると10数という可能性もある。多く採取できているケースであれば、1本あたり数千~数万の精子を保管することができる
すべての精子が正常に運動しているわけではないし、冷凍・解凍を経てどうしてもダメージも出るので、この管5本で何回チャレンジできるか、実際にやってみないと何とも言えない。最悪のケースで言えば、すべて解凍してもダメで、一度もチャレンジできませんでした、ということだってあり得る
難しい~~!!!!
前日に採取できましたと言われて「子ども授かれるんや!」と正直浮かれていたので、結構しんどかったです。妻は「や、これはもういけるっしょ!ここまで来たら、これくらいの確率なら私は引き当てられる!」と自信満々な様子です。半分くらいは優しさでそのように振る舞ってくれていて、半分くらいは本当にそう思ってそうな人です(そしてたしかに、米国のグリーンカードを抽選で引き当てちゃうような強運の持ち主です)。
というわけで、これを書いているいま現時点では、それが子どもを授かるという結果につながるかどうかに関しては、まだ結果は保留中です。が、希望を持って次のステップに進んでいます。
退院後の生活はどうか
5月24日に退院して、これを書いているのが5月26日なので、いま退院から3日目、手術から4日目のタイミングです。
患部は、横になって刺激を与えずにいれば痛みなどは特に気にならない。でもやはり何かの拍子に陰嚢に刺激が加わると、ズーンと鈍い痛みがくるので慎重にカニ歩きで暮らしている。あと数日で普段通りに生活できそうな予感がする。
ベッドに仰向けで横たわっているのが一番楽な姿勢。オフィスチェアに座るのが結構しんどくて、デスクが昇降式なので主にスタンディングでこの記事は書いている。あとは、ベッドで枕をいくつか置いてリクライニングの立膝姿勢で膝の上にPCを置いて作業もできなくはない。
もはや手術とはあまり関係ないが、入院中ずっとTVerを見続けた姿勢による首コリと、喉を痛めたところからの扁桃炎、軽い発熱が結構しんどかった。これは退院3日目の今日は概ね落ち着いている。
痛み止めにカロナールが処方されており、痛みがある場合に6時間置きと指示されている。めちゃくちゃ痛いわけではないが、痛くなるのが怖すぎてきっちり6時間置きに飲んでいる(6時、12時、18時、24時)。
今回のプロセスの振り返りポイント
診断・手術の意思決定スピードは◎だった
3~4か月の自然妊娠のチャレンジ後に、一応、双方の生殖能力を確認しておこう、と速やかに判断できたことは非常に大きかった。ここに1~2年費やしてしまった可能性も十分にあった(結婚時にブライダルチェックを行おうかという話も実はあがっていたが、その際は忙しくて後回しになってしまっていたので、もっと理想を言えばそのタイミングだったかもしれない)。
また、診断が出てから手術することを決める意思決定のスピードもある程度、最短距離だったと思う。大学病院の医師からは、基本的にそれ以外に選択肢がない、というお話があり、クリニックでのセカンドオピニオン、自分たちで収集した情報とも相違がなかったので、そうするしかないならそうしよう、と必然的な判断だった。
あらゆる不妊治療(男性起因・女性起因問わず)の信頼できるソースに、とにかく早いに越したことはない、と書かれているので、できる限り早く意思決定すること、そのために不足している情報はすぐに集め、不足している対話もすぐに行うことが大事だと思う。
二人きりで対話するのは本当に大変で、プロの第三者に入ってもらう価値はめちゃくちゃある
今回のプロセスで何よりも、これをしてよかった、と思っているのは、二人でシステムコーチングを受けたことです。
手術までに3回のセッションを受けたのですが、実はその中で、不妊というテーマについて直接的に言及された場面はありませんでした。コーチの方はより根源的に、長い時間軸で、二人の関係性、そのシステムについてしっかりと向き合うための時間をつくってくれたと思います。
結果的に、なぜ私たちが一緒に生きているのか、この先の様々な困難に対して私たちのシステムはそれをどう乗り越えていくのか、ということについての洞察を得ることができて、手術に向けた本当の意味でのマインドセットを固めることができました。
誰かの悩みながら前に進んだ経験の言語化は、他の誰かにとって指針や心の支えにもなる
やはり先に経験して言葉にして残してくださっている方がいることは有難かったです。
繰り返し書きますが、私も妻も、専門家(医師)が言うことは基本的にまっすぐ受け取るし、少なくともむやみに疑わないタイプです。とは言え一方で、それにどんな背景があるのか、他にどんなオプションがあり得るのか、知れることは知って一つずつ納得して決めたい気持ちもありました。そんなときに、先に誰かが書いてくれていることでショートカットできたことはあった気がします。また、どうにも気持ちがついていかない場面では、同じように悩んで前に進んだ誰かの言葉が勇気になったりすることもありました。
この記事も、誰かにとってそんな一助にもしなったらいいなという気持ちで書き残しています。
さいごに
前述の通り、私はいま、手術前よりも一歩ステップは進んだものの、まだ子どもを授かることができるのかどうか可能性の揺らぎの中にいます。なんとなく、それがこの先、どちらかに確定したらもう書けない記事なような気がして、このタイミングでいま一気に書き上げました。
術後の入院室で、夜眠れずに窓の外を見ながら、もしこれが採取できていない状況だったらいまどんな気持ちでいたのだろうかと考えました。退院後に妻と顔を合わせた際に、もしこれが採取できていない状況だったらどんな顔をして会っただろうかと考えました。
今回、やっと一つステップを乗り越えましたが、でも、まだそんな居た堪れない気持ちに、数か月後に向き合わなければいけない可能性があります。
もしかすると、読んでくださっている方の中で、TESEを受けたものの精子が採取できない結果になる方(なった方)もいるかもしれません。あるいは、妻として夫に、どんな顔をしてどんな風に接したらいいかわからない人もいるかもしれません。それに対して本当に何もアンサーを持っていなくて申し訳ないのですが、同じような気持ちを抱えている私がいるし、たぶん私の妻もいるよ、ということだけ書いておきたかったのです。
以上、長くなりましたが、
男性不妊体験記 ~俺のスペルマが無精子でキンタマ切開した話~
でした!
(このタイトル、すごく語感がいいので、ぜひ声に出して読んでみてください)