多様性という妄想:ヘザー・マクドナルド『The Diversity Delusion』を読む①
まえおき
アメリカの政治評論家 Heather Mac Donald の著書"Diversity Delusion"を読んでいます。スティーブン・ピンカーやジョーダン・ピーターソンなど錚々たるメンツが賛辞を寄せています。本のタイトルを直訳すると"多様性幻想"となるでしょうか。英語大得意ではないので自信がありません。Delusionなんて英単語を聞くとリチャード・ドーキンスの"神は妄想である(The God Delusion)"という本が浮かびますが、今回取り上げる本はある種のリベラルに対する批判の書という感じです。リベラルといっても当然アメリカ国内の話であり、批判対象は、メディアや大学人であり、アクティビストであります。最近だとBLMに対しても批判的なようです↓
上の動画はBLM支持の黒人とバトルしている動画ではないので勘違いなさらないようにお願いします。過去に"The War on Cops"という本も書かれているので、BLMに関心をもっているのは当然かもしれません。大学の左傾化・村社会性といった問題は日本学術会議の件もありますし、他人事ではないですから日本人も興味を持って読める本ではないかと思います。最後まで読み通していませんが、いったんIntroductionまでのまとめとか感想を書いておきます。
アメリカの状況
ヘザー氏は抽象論ではなく、いまここで起きている具体的な危機について語っています。まずは、イエール大学の生徒がミルトン、スペンサーなどを扱う英語専攻コースの解体を求めた件。解体要求の理由は「西洋古典を読むことが有色人種にとって敵対な文化を生み出す原因になるから」だそうです。コースを取っている有色人種の学生が抑圧を感じるということでしょうか?西洋古典なんて日本に住んでる理系の学生だって読むし、そんな敵対視するもんかなと思います。そもそも文学・宗教・哲学抜きのアメリカやヨーロッパなんて考えられません。西洋が西洋であるからこそ、有色人種がアメリカの大学で学べるのですし。
一方で、一人のアニメファンとして、アメリカ基準のモラルを押し付けられる現象にたびたび遭遇しております(主にTwitter)ので、たしかに有色人種にとって西洋古典って迷惑の源泉かもなあという思いもあります。というのも、アメリカ人が無意識のうちに普遍的だとみなしている倫理観は宗教由来のものだからであり、その基礎を成すものが西洋古典だからです。「西洋古典とか尊敬するけどポリコレジャスティスはうっとうしい」という考えの人間にとってはなんとも居心地の悪い、心が引き裂かれるようなテーマです。
ヘザー氏によると"排他と抑圧の装置としての聖典"に対する攻撃が派手になってきたのは1980年代からだそうです。彼女はそういった流れを作った元凶としてデリダやド・マンなどのポストモダン系の哲学者の名前を挙げています。西洋古典、啓蒙思想に対する敬意は破壊され、多文化主義が科学研究の現場にさえ影響を及ぼしているというのです。業績よりジェンダーや人種が考慮される世界が、どうやらそこまで来ているらしい(ほんとかな?)。アメリカの大学事情に詳しいわけでもないので、ヘザー氏の世界観に完全には掴めていない筆者ですが、ヘザー氏の危機感といいますか、この本を書かねば!といった強い使命感を感じる筆致です。大学を「西洋憎悪者を生産する工場」にしてしまった現状に対する危機感が根底にあります。「西洋の自死」を書いたダグラス・マレーと共通するものを感じました。
最近でいうと、↑のニュースでアメリカの大学の闇を垣間見ました。成功して社会的な地位を築く人間というのは、なにかしら社会の構造を反映しているものだと私は思います。黒人を自称しなければならなかった大学の環境って一体なんなんだろう。想像せずにはいられません。
大学だけじゃない
大学の闇みたいなことを言いましたが、別に大学の世界だけでもないですね。いまや文学の世界も多文化主義、フェミニズム、ポリコレ一色。それに水を差すような者は(宮本輝さんとか)はてなブックマークでボロクソに叩かれ、人でなしの扱いを受ける運命にあります。あれもこれもキャンセル。他人をジャッジ。ジャッジ&キャンセル。キャンセル&アプデ。まさに世は大キャンセル時代です。Twitterを開けば暇な社会学者がいつも誰かをジャッジしています。キャンセルカルチャー全盛の時代で、芭蕉が「アプデしろ 価値観はやく アプデしろ」なんて句を読みかねない。時代はもうそこまで来ています。これまで光が当たらなかった人たちの声を拾うという点ではよい部分も当然あるわけですが、そんなきれいな話では収まらないことにみんないい加減気づいています。文学の世界なんかはいい例でしょう↓
こういう批判が上がるだけ、まだ健全な業界だと言えるのかもしれません。SNS疲れの何割かは絶対にポリコレ疲れだと個人的には思っています。
狂った時代
ここまで読んできて右派も左派も被害者意識をかなり持っているんじゃないかと思えてきました。頭のいい人たちが頭の良さを活かして、かわいそうであることを競い合っている。かわいそうランキング(by 御田寺圭)とはよく言ったものです。ヘザー氏の場合は実際に講演会をアクティビストに妨害されたりしているので、被害者意識もなにも実際に被害者なのですが。
こういった狂乱の時代をかつてのマルクス主義の再来だといった人がいました。たしかダグラス・マレーが「西洋の自死」の中で引用していたと思います(探したけど見つからなかった)。インテリがみんな感染して、人が変わったように専門用語で会話し始めて、大衆を見下して、既存の価値観を破壊しまくって、暴れてるだけなのになぜか満足気で、でも後には何も残らない~♪みたいな。そういうところが似ているんでしょうね。インターネットもありますからアイデアが拡散する速度は昔とは比較になりません。
素晴らしきモラル十字軍
モラル十字軍(moral crusade)というのは、先ほど記事中にて引用した動画の中で、ヘザー氏が使っている言葉です。警察をすべて悪と見なす短絡的なアクティビストを皮肉った言葉ですが、BLM問題に限らずモラル十字軍はそこらじゅうにいます。だからこそ、この本を取り上げる価値があると思いました。この手の保守寄りの本というのは大学人に評判が悪いので、そもそも翻訳されないでしょう。結局それが今の大学なんだと思います。スティーブン・ピンカーやジョーダン・ピーターソンは翻訳されてもヘザー・マクドナルドは翻訳されない。私は大学が好きですが、それは多様性があるからです。私のような人間でも生き生きと過ごせるからです。でも最近はホントに大学ってそうなってんのかいな!などと疑問を持つ機会も増えてしまいました。誠に残念なことです。最後までこの本を読んで納得できるのか自分でもわかりませんが、しばらくはヘザー氏の著書に頼りながら色々考えていきたいです。
では今回はこんなところで。