今更献血ポスターについて言いたい事

献血の広告に「宇崎ちゃん」というキラクターを使用したことでツイッターで大田弁護士がが「環境型セクハラである」とツイートことを発端にフェミニストたちが続々と「このポスターは公共の場にふさわしくない」と声を上げた。この議論をツイッター上でみていて、アンチフェミニズム側もフェミニズム側も、どうも論点がずれてしまっているのではと感じたため、ここでまとめてみようと思う。


そもそも宇崎ちゃんを使用したポスターが「乳房が強調された」「アニメ、漫画」のイラストであるため、話の焦点がずれてしまったのだと感じる。
「アニメが嫌いなだけだろ!巨乳が悪いというのか!街中の巨乳の人はどうなのだ!」と反論する宇崎ちゃん支援勢。
それに負けじと「巨乳の女性を否定しているのではない!男性が性的な消費をするために作られたキャラクターを利用するのがだめなのだ!より万人受けするポスターも作れたはずだ!」というフェミニスト。「この画像を見て!これが献血のポスターに使われてたら男は嫌な思いするでしょ!私たちの気持ちわかって!」と男性が嫌がりそうな献血ポスターの例を試行錯誤して創作する始末だ。

この様子を簡単に説明すると
「お前はこの画像のAが嫌なだけだろ!Aである事は世間的に許されているのでとやかく言われる必要性はない!」「ちがう!私たちがこの画像で嫌なのはBだからよ!」というふうに
画像の嫌なところ、嫌だと思われているところを各自説明しているだけなのである。

はっきり言って不毛だ。

宇崎ちゃんのポスターに関して不快感を示す人の中でも、理由は千差万別なのだから。

以下ではわたしが宇崎ちゃんのポスターを不快と感じたであろう意見を真似してみたいと思う。

「そもそも漫画の女の子って、男が興奮するためのものじゃん。それが既にきもい」
「おっぱいデカすぎだわ!なんか表情もエロっぽいし、こんなの子供とかに見せたくない!」
「明らかに男性向けだし、男性だけをターゲットにするのはおかしい!」‪
「記号化された女性の特徴があたかも女性はこうであれと言っているようで不快だ!」

など例に挙げた上の四つの意見だけでも、「漫画が嫌い」「性的に興奮する男性に対して恐怖心や不快感を感じる」「胸の大きいキャラが嫌い」「性を想起させるものを子供に見せたくない」「男性に重きを置かれていることが嫌」「女性像の押し付けが嫌」「女性=性的という認識が嫌」などと様々な理由が類推できる。
宇崎ちゃんのポスターに嫌悪する者の中にも
「漫画は好きだし可愛いキャラクターは好きだが、子供には教育上見せたくない人」もいるだろうし、「男性をターゲットにしているのは構わないが、アニメなのがキモオタを想起させられて嫌だと感じる人」もいるだろう。

残念ながら私はフェミニストではないので一部には「嫌なポイントはそこじゃない!まだ嫌なポイントある!」と思う方も居ると思うが、
ここで私が伝えたい事は、**
不快に思うポイントは人それぞれなのだいうことだ。**

不快に思うポイントをお互い言い合ったところで、それが理解できるか、理解できないかも人それぞれの感覚によるし、そもそも様々な人の意見を挙げ始めたらキリがない。と思う。

では我々が話すべきポイントはどこか。
一部の人が嫌だと思う表現を公の場に晒す事はどこまで許容されるべきなのか。という点だ。
似たような例をあげてみる。

以前と比べてよく見るようになったボーイズラブ(B L)の広告がある。
池袋駅はみんながつかう「公共の場」でありながら、BLに関心が高い人(主に女性)をターゲットに「顔を赤らめて若干はだけた男性二人」を使った広告をアニメや漫画、実写映画、ドラマの宣伝として大々的に掲示している。
当然、男性にも女性にも、不快感を感じる人もいれば、無関心な人、みかけると嬉しい人もいるだろう。また、ホモセクシャルの性的消費であり、公の場に晒すべきではないと感じたり、LGBTQに対して社会が寛容化したと考える人もおり、「差別意識を感じさせる可能性」もはらんでいる。

他にも差別意識を感じさせられたり、なんとなく不快感を感じさせるものなのに、その情報が自然と入ってしまうことはそこら中にある。テレビで番組の後半に流れる国民的アイドルのセクシーな写真集の宣伝や、唐突な温泉リポートなどだ。
温泉リポートなんか特に、女性を起用せずにやってる番組もあるし、谷間を見せてるのは嫌らしいし、ターゲットは男女両方であるべきなんだから、フェミニストのいう「女性の性的消費」に当てはまるだろう。

(なにも日常の差別意識とは女性に関することだけでなく、「黒人歯磨き粉」という商品など、みる人によっては不快感を感じるというものはたくさんある。ここでは話が逸れるので言及しない。)

では、そういった人が不快に思うかもしれない表現は全て規制すればいいのだろうか。
そうだ。という人も居るだろう。
しかし、私は何もかもが規制されてしまうのは文化としての面白みがなくなってしまい、とても残念だと思う。町の広告が全方位の機嫌を伺うために全てイラスト屋じみたものになってしまったなら…?
女性向けのスレンダーなモデルを起用した宣伝だって、その考えの上では「日本人の若年層の栄養不足、拒食症を助長するものであり不快」なんて理由で規制されてしまうのだから、不快に思ったことをなんでもかんでも規制していたら窮屈でしかない。
また、公共の場にふさわしいものとしての基準を設けるには、R18以外の方法を考えるとなると、人の主観が関わるものでかなり曖昧になってしまう。

不快と思うものを受け入れ難いと思うのは仕方のない事なのかもしれない。しかし、フェミニストな人たちは自ら不快なものにいちいち目を向けてしまってはいないのだろうか?寛容というのは社会においてやはりなくてはならないものだと思う。
女性の社会進出、社会的立ち位置を悪くする可能性を孕んでいるものを無理矢理排除するのでは、その事で困っていない女性や、排除されたものを愛好する人々から反感を買うだろう。
女性が社会的に優秀で大切な存在であり、女性たちのパフォーマンスを上げるために社会がより寛容になってはくれないかと訴えかけるのであれば、フェミニストもまた他の社会に寛容になってほしいと願う。

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