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コロンブスを救え(定例食事会の謎12)

定例食事会 コロンブスを救え!

 月に一度の夕食会。今夜も、春山、高橋、南田、ケゾえもんの四人は、馴染みのレストランに集まっていた。ワインを片手に、知的な議論に花を咲かせるこの時間を、彼らは心から楽しんでいる。

「マーズグリニッジの話、おもしろかったね」

 ケゾえもんがグラスを傾けながら言った。

「うん、おかげで、地球で航海者がどうやって位置を知ったのか、よくわかったわ」

 南田が頷く。

「でもな、それができるカギは、正確な時刻を知れるかどうかだったんだよ」

 高橋が話を引き継ぐ。

「グリニッジで今どう見えるかが航海暦でわかる。だから、船での見え方とのズレを計算すれば、現在地がわかる。つまり、『今、グリニッジで何時か』が正確にわかることが絶対に必要なんだ」

「正確な時計が必須だったのね」

「その通り。時計がなかった時代、船乗りは北極星の高さで緯度は測れたけど、経度はまるで測れなかった。だから、西へ向かったコロンブスは、どれくらい進んだのか全く分からず、船員たちは疑心暗鬼になり、反乱寸前だったんだ」

「で、その正確な時計って誰が作ったの?」

 春山が興味津々で尋ねた。

「それはイギリスの時計職人、ジョン・ハリソンだ」

 ケゾえもんが得意げに語る。

「彼は30年研究を続けて、1761年にH4という時計を作り上げた。同じ年の大西洋横断テストでは、81日間の航海で誤差5.1秒。つまり、1日あたり0.63秒の誤差という驚異的な精度だった」

「すごいじゃない!」

「ハリソンがここまで頑張ったのは、当時イギリス議会が設定した賞金の影響もあったんだ」

「賞金?」

「1714年、イギリス議会が『経度法』を制定し、経度を正確に測る方法に賞金を出すと発表したんだ。賞金額は精度によって異なり、最も高額な条件は『経度を30海里(約56km)以内の誤差で測定できる方法を開発したら』というもので、現在の貨幣価値に換算すると約30億円にもなる」

「そんな大金が! じゃあ、ハリソンは報われたのね?」

 南田が感心しながら聞く。

「まあ、報われた……と言いたいところなんだけど、イギリス議会は最初、ハリソンに賞金を渡すのをあれこれ難癖をつけて拒んだんだよ」

「ええ? そんなのひどいわ!」

「でも、ハリソンは当時の国王ジョージ3世に直訴して、国王の仲介でようやく賞金を手にすることができたんだ」

「なにしろ精度は抜群なんだから当然でしょ。なんにしても、よかったわね」

 春山が微笑む。

「じゃあ、その1761年以前は、航海では経度を測ることはできなかったのね?」

「その通り。測れなかった」

 高橋が断言する。

「おー、ハリソンすごいね。でも、時計の代わりになるものはなかったのかしら?」

「船の上では振り子時計は使えないし、なかなか難しかったんだよ」

「でも、天の星の動きを観測すればいいんじゃない?」

 春山が提案する。

「確かに、星の動きは正確だから、理論的には時計の代わりにできるはずなんだけど……」

 ケゾえもんが言葉を選びながら続ける。

「星の南中時を測れば理論上は可能だ。でも、船は揺れるし、南中観測はピークを見極めないといけないのできわめて難しい。それに、船が移動した分の補正が必要になるんだけど、その補正に必要な『どれだけ動いたか』がまさにわからないわけだから。結局、実用的ではなかったんだよ」

「それに星の南中観測で得られる1日の時間は地球が太陽のまわりをまわっている関係で1日あたり4分程度短くなるそれも補正しないとね」 

と高橋が補足する。

「なるほどね、やっぱり難しいのね」

 南田が腕を組む。

「じゃあ、巨大な砂時計を積んでったらどう? 砂が落ちるのに30日もかかるやつを」

 春山が冗談交じりに言うと、高橋が笑いながら首を振る。

「船は揺れるし嵐もある。とても一定に砂は落ちてくれないよ。30日の間に、相当な誤差が蓄積しちゃう」

「じゃあ、どうしたらいいのよ!」

「こういうときは、チャクラポンに聞こう」

 みんなの注目を集めたチャクラポンは、新しい料理をテーブルに置いたばかりだったが、いきなり振られて咳払いをひとつした。

「砂時計ですが、悪いアイデアではないと思いますです」

「えっ? でも誤差がひどいのに?」

 南田が驚く。

「誤差がひどくても、だいたいの1日進んだ距離がわかるのです。砂時計を基準にして24時間ごとに同じ星の高度を観測すれば、1日に進んだ距離を知ることができます」

「でも、現在地を知るには役に立たないだろ?」

 ケゾえもんが言った。

「ええ、誤差が蓄積しますし砂時計もぜんぜん正確でないですから。しかし、コロンブスの最初の大西洋横断では、どれだけ進んだかもわからないまま何も見えない海を進み、船員たちは疑心暗鬼になりました」

「彼らは『あと3日進んで陸が見えなかったら引き返す』と極めて強く主張し、コロンブスは仕方なくこれを受け入れた。そして、その3日目にバハマ諸島に到着したのです」

「船員たちの恐れは、いくら進んでも陸地が見えないこと。そして、自分たちがどれくらい進んだのかもわからなくなっていたことでした」

 チャクラポンが淡々と続ける。

「もし、この砂時計を使って1日の進捗具合を知ることができていたら、コロンブスはそれを船員たちに示すことができて、彼らはもっと冷静に航海を続けられたでしょう。つまり、砂時計は、正確な位置を知るためではなく、航海のモチベーション維持のために有用だったのです」

「なるほど! モチベーション!そういう役割があったのね」

 春山が感心する。

「わかるわー。あたしも毎朝、木刀振り200回を日課にしてるんだけど、いつも回数がわからなくなって嫌になっちゃうのよ」

 一同は笑いながら、再びワインを傾けた。

 その夜、海の向こうへ旅立った航海者たちの苦労と、時を測ることの難しさについて、熱い議論が交わされたのだった。


写真は グリニッジNational Maritime Museum所蔵のH4。現在でも動くが貴重なため動かしていない。近代の職人が作ったレプリカが動いているのが見れる。 ちなみにH4はこれひとつしか作られなかった。したがって、まさにこのH4が2度の精度確認の大西洋横断テストに使われた。
https://www.rmg.co.uk/collections/objects/rmgc-object-79142