12月のテキサス : 水と素材と光と (その① ・・・フォートワース・ウォーターガーデン)
それにしても、寒い。
僕は今、仕事の都合でアメリカの北のほうにある地方都市に住んでいる。赴任前にもいろんな人達から「冬は寒いぞー」とは聞いていたが、実際にこの空気の中に身を置くと結構コタえる。なんせ11月中頃からの雪である。これまでずっと東京近郊で暮らしてきたので、なかなか衝撃的なのだ。しかも身寄りもいないし、英語も自由に使えるレベルからは未だ程遠いし、こうも厚い雲の日々が続かれると、さすがにニブい僕でも気分がどんよりしてくる。
という訳で、南のほうに逃避を企てることにした。今回の目的地はいかにも温暖そうなテキサス州。航空券も、ホテルもレンタカーの予約もよし。いい加減準備の手際もよくなってきた。さあ早朝フライトへ。
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約3時間のフライトで到着したのはダラス・フォートワース空港。ゲートを出て、早速自分の見当違いに気づく。ふつうに寒い。確かに地元よりはマシだ。でも寒い。しかも雨降ってるし。12月のテキサスは想像してた "TEXAS" と随分印象違うなあ、と思うものの、来てしまったものはしかたない。レンタカーに乗り込む。ちなみにこの空港は、ダラスとフォートワースという2つの街の真ん中あたりにある。だから「ダラス・フォートワース」。名前のまんまである。まず向かうのはフォートワース。
30分弱のドライブでダウンタウンに到着。今回、本当の目的地は町外れにあるのだけれど、まずはこちらに立ち寄る。見たいのは建物、ではなくて公園。その名は「Fort Worth Water Gardens」。
ここを知ったのは、本当に偶然。日本で某プロジェクトの参考事例を探してネットサーフィンしていたときに、一枚の写真が目に留まったのだ。スリバチ状のランドスケープに水が流れて、底が滝壺みたいになっている写真。それだけなら何てことないんだけど、スケールがどう見てもおかしいのだ。滝壺に立ってる人が妙に小さい。これが本当なら、ランドスケープのほうは相当巨大、ということになる。
この公園をデザインしたのは、フィリップ・ジョンソン。以前の記事でも少し触れたが、彼は学生の時に父(弁護士)から受け継いだ株の高騰によって莫大な富を手に入れたり、23歳にしてニューヨークMoMAのキュレーターを務めたりした人物だ。要するに本物の上流階級であり金持ち建築家。仕事中も、「今月の生活費のため」なんてチンケなことは頭の片隅にもなかったに違いない。代表作の自邸「ガラスの家」は現在ナショナル・トラストによって公開されている。その他、ニューヨークのポスト・モダンアイコンである「AT&Tビル(現ソニービル)」が有名。
公園に到着すると、写真で見たそのまんまのランドスケープがそこにあった。むしろ、実物の印象の方がデカい。深く彫り込まれた滝壺に向かって大量の水が流れ込んでいる。音がすごい。滝壺は渦を巻いている。間違って落っこちたら死ぬんじゃないだろうか。公園で溺れて。「水を景観に取り入れた公園」という手法のありがち感を、スケールの巨大さで圧倒的に超越している。「私にやらせたらタダでは済まんよ・・・」と怪しく笑う建築家の声が聞こえてきそうだ。
あるいは、これくらいやらないとテキサスの暑い夏は吹き飛ばせないということだろうか。ちなみに12月上旬にこれを見て喜んでいるような物好きはほとんどおらず、下までわざわざ降りてたのは僕と、多分僕につられて降りてきたオバチャンくらいだった。記念写真を撮ってあげた。
目眩がするような轟音だけど、少し冷静になってあたりを見回す。すると、一見野放図なデザインが、かなり抑制されたルールので成り立っていることに気づく。
一つ目は、極限まで切り詰めた素材使い。この公園で用いられている仕上げは、「赤茶色の洗い出しコンクリート」「植栽」そして「水」だけ。水平面と垂直面で素材を切り替えないことで、ソリッドな大地を掘って出来上がったかのような雰囲気が漂っている。行ったことないけど、石切場ってこんな感じなんだろうか。水も、掘り進んで行った結果湧き出し、噴出したもののようにだんだん見えてくる。
造形のルールもポイントだ。この庭園は上に下にととにかく高低差がすごいんだけど、そのエレベーションは約60cmの段々だけで表現されている。さっきは「掘り進むような」と例えてみたけど、別の見方をすれば、スチレンボードを重ねたコンター模型がそのままデカくなって具現化したようでもある。60cmというと階段の蹴上(段の高さ)の3〜4倍。いちいち登るのが大変なんだけど、それがまた楽しい。気づくと山のてっぺんに居たりして。
最後は水。「Water Gardens」というだけあって、この公園はさっきの滝以外にも至る所に水が使われており、対照的な【静】の水庭や、途切れることなくミストが噴き続ける庭がある。様々な水の様態を訪問者に楽しませることを明らかに意図している訳だけど、一点だけは水の扱いにおいて通底している。それは、必ず「面」として水を用いること。例えば【静】の水庭。中心に据えられた水盤が面であるのはもちろんのこと、実はそれを囲う擁壁にも、全面に絶え間なく水が流れ続けている。つまり「垂直の水面」というわけ。
正直写真では分かりにくいんだけど、これが意外なほど効いている。視点に近いところで水を感じることができるし、洗い出しコンクリートの粗面を水がなめることで、僅かながら場が動きと振動を含んだものになる。そして音という新たな位相が空間体験にインストールされる。夏場であれば、涼しさという皮膚感覚もここに加わるのだろう。ミストの庭も、「動」と「静」の中間としての「水面」といって差し支えないだろう。
12月の雨空のもと、震えながらの建築的水浴び。個人的には、今まで、仕事でも大学の設計課題でも、建築意匠における「水」について意識することって殆どなかった。むしろ、モダニズム建築によく使われている「水盤」は過度に上品に思えて、自分がいつか使うことはなさそうだなぁ、と薄々感じていたくらい(ついでに、防水や設備や耐久性みたいな実務的面倒臭さを避けたがっていたことも白状しちゃおう)。けど、このランドスケープは、そんな浅い認識を軽々と超えてきたし、上品一辺倒ではない水の素材性を、まざまざと見せつけられた感じがする。また、「タテモノを見るテーマ」がひとつ増えた。