NYの(新しい)ホイットニー美術館
建築家にとっての「花形」なるビルディングタイプがあったとすれば、それが「美術館」であったことは間違いない。20世紀の巨匠にしても、現在活躍するスター建築家にしても、やはり大体みんな美術館を手がけている。大学の建築学科でも、「ミュージアム」といえば定番の課題だし、私の通っていたところも例にもれず、【3年次の第一設計課題はミュージアム!】と、それこそ何十年も相場が決まっていた。要は、建築家にとって美術館を手掛けることはスターの条件みたいなものだったし、美術品を所有・展示する側としても、所蔵品の「格」に見合うだけの立派な建築家に建物を設計してもらうことが必要だったのだろう。
ただ承知の通り、上記の「立派な建築家による立派な美術館」モデルはいまや絶対でもなんでもない。確かに今でもスターアーキテクトとビッグアート資本による、話題性のある美術館プロジェクトは時折誕生している。だけれども、アートを見せる方法は20世紀に比べれば圧倒的に相対化しているのが事実だ。倉庫をリノベーションした巨大なギャラリースペースや、サイトスペシフィックなアート群(いわゆる〇〇〇芸術祭)、がいい例だろう。そんな訳で、今建築家(を目指す人)の立場としても、「いつかは立派な美術館をデザインするのが夢です!」と言ったりするのは、目標として素敵ではあるけれどもちょっぴりナイーブすぎる感じである。
今回見てきた新ホイットニー美術館(といっても竣工は2015年)、これも世界的建築家レンゾ・ピアノ氏による立派な新築の建物ではあるのだけれど、それでも上に挙げたようなここ数年~十数年の過渡的雰囲気を反映した美術館であると感じた。
美術館が移転する前の旧館にはかつて行ったことがある。2014年だったので、今思えば閉館ギリギリのタイミングだった。マディソン・アヴェニューと75丁目の交差点というハイソな立地に建つ、マルセル・ブロイヤー設計の建物だ。石のファサードを持ったまさにアーバン・スカルプチャーといった佇まいや、豊かなロビーやカフェ空間に、「これがNYの大人の休日かぁ・・・」などと学生だった私は意味もなく感心したのだった。もちろん、目玉作品として飾られていたエドワード・ホッパーの「Early Sunday Morning」にも。(※旧館の建物自体はメトロポリタン博物館の分館として現在使われています)
とにかく、そんな先入観があったから、新しい美術館の立地は少々意外というか、飲み込めないところがあった。住所のMeat Packing Districtという地名が示すとおり、要するに食肉加工業をやっていたようなエスタブリッシュではないエリアである。確かに今でこそ高感度なファッションエリアになっているのだけれど、土地の来歴からしてイメージがあまりに違う。確かに、有名美術館が「分館」を建てる際には、これに近いやり口(本館と全く異なるコンテクストへの建設:ビルバオ・グッゲンハイムやルーヴル・ランスなど)は常套手段だ。しかし今回のケースは美術館自体を移転する訳で、かなりラディカルなイメージ転換だ。勿論用地取得etc.にまつわる現実的な事情もあったのだろうけど。
建築家は、前述のとおりレンゾ・ピアノ氏。氏が設計者として選定されたというのは実に腑に落ちる人選だとは思う。彼は紛れもないスターアーキテクトだけれども、作品はある意味従来のスター的ではない。ロンシャンやキンベル美術館といったマスターピースの増築を軒並み手掛けていることからも伺えるとおり、作家性を残しながら脇役にも回れる、卓越したデザイン技術がある(そいういえば赴任初日に研修で立ち寄ったアトランタのハイ・ミュージアム / リチャード・マイヤー の増築もピアノ氏だった)。そして彼のキャリアを躍進させたきっかけはあの仮設建築物と見紛うポンピドゥー・センターだ。クライアントとしても、「洗練されたアーバン・スカルプチャー」からの脱皮を意図せざるを得ないこの立地においては、最適な選択だったのだろうと想像する。
割と古い建物のひしめくストリートから見える美術館のたたずまいは、まるでオフィスか工場のようだ。特に、ハイライン側からは平気で排気塔や屋外機が見えている。開口のパターンや外装パネルの割り付けも、あえてオーディナリーな表情を狙っているように見える。プロポーションに無頓着な(ように演出された)ボリューム構成や、トップライトのノコギリ屋根が表出しているのも、少々工場っぽい。
要するに、この建築の外観は、「建築家の美術館かくあるべき」というような規範を慎重に回避しながらデザインされたかのように見える。ただし、インストールされているエンジニアリングは間違いなく最先端だ。例えば低層部のカーテンウォール、非常に大きな面がワイヤーで支持されている。金物も隅々まで神経が通っている。
この建物の見どころの一つは空中庭園だ。視覚的には、隣接したハイラインから最上階まで続いている。辺りに高層建築が少ないので、広々とマンハッタンの景観を見渡すことができる。ちなみに、展望デッキの床はグレーチングなので、下が透けていてけっこう怖い。
旧美術館の共用部が「上質なニューヨーカーの大人の休日」みたいな空間だったとするならば、ここはもっと老若男女・国籍も問わずに楽しめる立体パブリックスペースといったイメージだ。鉄やコンクリートの質感をそのまま表出した雰囲気も、肩肘張らないアクティビティに一役買っている印象。明らかにSNSのために写真を撮りに来ている人も沢山居て、「インスタ映えする建築」というのも集客という意味では一種の需要なのだと思う。建築家や設計者が「インスタ映え」を意識すべきかどうかは知らない。
展示室は、美術館建築の定めとして基本的にがらんどうである。但し、所々外観に通じるようなデザインボキャブラリーを見つけることができる。例えば天井。各フロア展示室ともグリッド状の天井構成なのだけど、すべてライティングダクトになっている。寸法は測れていないけれどそれなりに密なスパンである。フレーム感が前面に出てくるような、即物的なディテールだ。天井パネルがないフロアもあって、そこは当然ダクト類が奥に見えている(絶妙なグレーで塗装されて、目立たないように注意が払われているのだけれども)。とにかく、「ホワイトボックスの内装は極力すっきりさせよう」的な、かつては念頭に置かれたであろう意識を超越した判断に見える。ちなみに、最上階はノコギリ屋根のトップライトから自然光が入るようになっていたのだけれども、訪問時の展示ではあまり活用されていなかった。残念。
展示はフロア単位で全然違う企画が縦積みされている。基本エレベーターで上から下に降りていくのだけれども、各階ドアが開くとすぐ展示が目に飛び込んでくる。すなわち、エレベーターホールやロビーみたいなバッファーゾーンがないのだ。「美術館設計はシークエンスが肝」みたいな教育を受けた身としては、この切断性もけっこう新鮮な違和感である。搬出入用のエレベータも堂々と展示室に向いて並んでいて、「いかに裏勝手を見せないか」みたいなモダンな配慮からも無縁である。
要はこのミュージアム、内部空間も倉庫っぽいのだ。実際どういう会話がクライアントと建築家間であったかは分からないけど、少なくともアートの見せ方が多様化し、建築家によるモダンな美術館が、数ある選択肢の1オプションに過ぎなくなった影響があることは間違いないと思う。
さて、生半可なアートの教養しかない私にとって、未だにホイットニーといえばホッパーである。前回旧館に行った時も、奥の部屋で「Early Sunday Morning」がうやうやしく飾られているのを見つけて感動したのだった。今回はというと、コレクション展フロアの片隅で簡単に見つかってしまった。有難そうに見ている人も居なくていやにあっさりしている。前回と違ってスペクタクルの演出が全然ない訳なのだけど、その分素直に絵画を見れるような気はした。
ミュージアムがイメージ転換されれば、展示されるアートも新しい印象を纏わなければならない、ということだろうか。その是非は分からないけれど、個人的には(元?)目玉作品の余りにサラリとした展示のされ方からは、建築と並走するポジティブな意思のようなものを感じたのだった。
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