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タテモノを [見る] テーマ : ガラス編(その①)

こちら(アメリカ)に来る前、日本の担当プロジェクトに入りたての頃、僕はとにかく毎日叱られていた。叱られる内容はもちろん実務的なアレコレが中心なのだけれど、中には建築設計者としてのアティチュードに関わるものもあった。例えば、参考物件の視察のときには、「タテモノの見かたから学生気分が抜けねえなぁ」と毎回のように言われていた。

要は、「その建築を設計するつもりで見てるの??」「なんなら同じ(以上の)モノが君は設計できるの??」というメッセージで、あるときは、「ヨシ、それじゃさっき見たディテールそこに描いてみろ」とテストされたりもした。

とにかく、この一言をきっかけに、若葉マーク設計者の建築の「見かた」はずいぶんと一変した。メジャーを持って挙動不審に見学をするようになったのもこの頃からだ。(その分失ってしまった「見かた」もある訳なんだけど、その辺は今の所は建築で飯を食わせてもらうニンゲンの宿業みたいなものとして割り切ることにしている)

がっつりと教え込まれた「見かた」は太平洋を渡ったくらいでは抜けるものでもなく、今でも僕は設計者の視点でなるべくくまなく建物を見る努力をしている。とはいえ、週末の小旅行でいくつも建築を巡るとなると、どうしても一件一件の時間は限られてしまい、「くまなく」見る訳にいかないことがほとんどだ。

そういう時には、何か「テーマ」を決めて、そこだけでもよく見るようにするのが有効だ。階段や手すりみたいなパーツでも、壁や床の素材でもいいんだけど、絞り込んで見ることで、短時間でも頭に入ってきやすくなる。(これも日本にいるときに教わったこと。おかげで僕のスマホには大量にトイレの写真が保存されている。※人は写ってませんし全て男子トイレです)

例えば、ここ数ヶ月のあいだに駆け足で見て廻ったミース・ファン・デル・ローエの建築。見学記を書いたものもあれば、書いていないのもある。スタイルが確立されたように見える彼の作品群も、あるテーマに沿って眺めてみると多種多彩なことに気づく。

今回は、「ガラス」に注目してみよう。


レイクショア・ドライブ・アパートメント(シカゴ)

・柱間を4枚に分割
・各階上下にガラスを分けて、上部はfix、下部は開閉式
・色がバラバラなので、幾度もの交換を経たことがわかる


ファンズワース邸(シカゴ)

・大版の単板ガラス。存在感があるけど薄く、軽い印象。
・柱間は2枚に分割し、スクエアに近いプロポーション
・色は限りなく透明。わずかに緑を感じる。


クラウンホール(シカゴ)

・無目(水平の仕切り)を境にして2種類のガラスを使い分けている
・上は透明、下は緑がかったくもりガラス
・ガラス幅は約3,000mm(下部は半分なので約1,500mm)


シーグラムビル(ニューヨーク)

・有名なブロンズカラーのガラス。重厚感のある印象
・柱間を6枚に分割。結果細長のプロポーションに


マーティン・ルーサー・キング・ライブラリー(ワシントンDC)

・重厚感はシーグラムビルに近いが、こちらはガラスの色がグレー
・柱間は3枚で分割。一枚一枚の幅も広い。

改修されたり、建築家の死後に出来た作品もあるので条件はまちまちだけど、とにかくパッと見類似して見えるミース作品も、「ガラス」だけに絞り込んで見てみると「うわー全然違うんだなー」と気づくのだ。

1950年代には「完成」してしまったように見える大巨匠も、表現の向上を目指して、あるいはコストや工期みたいな現実と闘いながら、試行と苦悩を続けていた跡がこういうところから読みとれると思う。でも、勘の悪い僕なんかは、予め見るべき「テーマ」にしておかないと、うっかり見過ごしてしまったりするのだ。

なので、創作や設計をするときに負けず劣らず、何かを「見る」ときにも、「テーマ」は大事なんだと思う。これは建築に限らないだろう。

さて、ここからはしれっと話題を「ガラス」にずらしたい。どんな建物にも使われるありふれた材料でありながら、大巨匠にも試行錯誤を強いるような素材。モダニズムを体現する理念的重要性にも負けず劣らず、「物質」それ自体が奥深い。僕の少ない実務経験の中でも、外装用のガラスを決めるために、色々なメーカーの大判サンプルを何個も取り寄せて、現場に並べて朝と夕と見比べ、ようやく決めたことがあったくらい。その時も、並べて初めて浮かび上がるそれぞれの違いに驚いたっけ。。。

ミースのガラスがモダニズムの到達点だとしたら、現代アメリカ建築における究極のガラスの使い方はどこで見れるだろう。そう思いを巡らすと、1つの建築に心当たりが。そうだ、「ガラスパビリオン」に行ってみよう。きっとすごいものが見れるに違いない。

(つづく)

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