「デコン」時代の残り香をたずねる(その③:オハイオ州立大学建築学科+α)
「デコン(脱構築)」建築がなぜか数多くひしめく、オハイオ州の2都市(シンシナティ、コロンバス)の見学記。ここまでは、ムーブメントの牽引者であったザハ・ハディドとピーター・アイゼンマンの実現作について書いてきた。
「デコン建築巡り」という趣旨からは脱線してしまうのだけど、本記事では、通りがかりに訪れ、軽くショックを受けてしまった建物を紹介したい。何かというと、オハイオ州立大学の建築学科である。
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オハイオ州立大学建築学科棟
大学で6年間も建築学科に在籍した身としては、他大学・とくに海外の教育環境がどんなものか、というのは常に気になるトピックである。
このオハイオ州立大学の建築学科棟であるが、まずその立派さにギョッとせざるを得ない。キャンパスブロックの一角を占める一棟が、まるごと学科の建物として新築されていた。全景写真がうまく撮れないくらいにはデカい。辛うじて課題スペースを確保していたような自分の学生時代を思い返して、ちょっと目眩がした。
白い外装の正体は大理石の下見張り。これまたリッチな仕上げである。大理石は美観に優れる反面、耐久性・対候性の観点から現在は外装に向かないとされているので、きっと色々工夫ないし無理もしているのだろう。実際、板を一枚一枚下からステンレス金具で支持していたりして、かなり厳重なディテールで何とか成り立っているようにも見えた。
下見板は3種類ほど幅のバリエーションがあり、それがランダムに割り付けられている。もちろん場当たり的に並べている筈はないので、こんな膨大な板割りをどうやって管理したのだろうかと想像すると、気が遠くなる。
エントランスを探して建物の周りをぐるっと歩く。すると、中庭に突然古典建築のオーダーが出現。教育目的の実寸モックアップのようだ。モックといっても立派な大理石製である。ドリスだのイオニアだの、今ひとつピンと来ないのは建築学生あるあるだと勝手に思っているのだが、ここまでされたら覚えざるを得ない。
内部に入ると雰囲気は一転して、コンクリート剥き出しの仕上がり。その肌合いも、いわゆる化粧打ち放しというよりは、躯体そのままといった風情に近い。手すりや建具のディテールもかなり即物的に収めてあって、外とは180度異なるブルータルな世界観だ。こんな場所で行われる講評会なんてかなりクールに違いない。
校舎を貫くスロープを2階・3階・4階・・・と昇っていくと最上階には広いスタジオ空間が。課題が終わった時期なのだろうか、人影も疎らだったが、普段は与えられたデスクでみんな熱心に制作に取り組むのだろう。あらゆるモノが散乱した戦の後のような状態に、熱気の余韻を感じる。
キャンパス片隅の地下室にしか設計スタジオがなく、廊下で模型を作るような大学生活を過ごした僕からすれば、ここはとんでもなく恵まれた環境に見える。一方、オハイオ州立大学があくまで地方の公立大学であることを鑑みると、ここも全米では特筆するほど充実した施設という訳でもないのかもしれない(例えば、有名なハーバード大学のガント・ホールなど、もっと強力な環境が存在しているのは事実だ)。正確な実態については詳しくないので断言はできないし、高額な学費など、とりまく状況の違いもある訳だけれども、端的に教育環境格差は感じざるを得なかった。
(ふと見ると窓際にはふぞろいな鉢植えが。課題中に何かを無性に育てたくなる気持ちは日米共通らしい。)
建築学科のHPはこちら。施設や授業の紹介だけでなく、学生の作品ギャラリーなども整備されている。
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さて、本題に戻って、今回の建築巡りで見てきたその他の「デコン」建築たちを、最後にザザッと一挙紹介したい。
シンシナティ大学アスレチックセンター
オハイオ州には、「建築トランプ」で登場したデコン建築の「J:ジャック」が手掛けた作品も、バッチリ存在している。誰かというと、パリのラ・ヴィレット公園で知られる建築家、ベルナール・チュミだ。
この建築は割と最近出来た作品で、竣工は2006年。「ラ・ヴィレット」で知る彼のスタイルとは異なり、曲面パターンで構成されたファサードが特徴的だ。なんでもこのプレキャストコンクリート外装は構造体としても機能しているらしい。ちなみに、事務所のHPでプロジェクト説明を調べたら、もはや「デコン」思想の面影もないプラクティカルな説明に終始しており驚いた。
うねうねした外観とはうって変わって、内部は吹き抜け中廊下の極めて明快なプランだった。あまりのギャップにさらに驚く。
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シンシナティ大学キャンパスレクリエーションセンター
「デコン」建築という一種のムーブメントを、さらに無理やりカテゴライズするならば、デリダの思想をインポートしようとしたいわば「本流(アイゼンマンやチュミ)」のほかに、もっとプラグマティックなアプローチに基づく「アメリカ西海岸派」があるといえるだろう。
もちろん(?)「西海岸派」の作品もこの街にはラインナップされている。ひとつはモーフォシス(トム・メイン)のこのレクリエーションセンターだ。とにかく巨大な建物で、学生寮やジム・プール、カフェテリアなどが複合されている。
大学キャンパス内の不定形な敷地に、アドホックにも見える複数の形態ボキャブラリーがグシャッと詰め込まれていて、メイン氏らしさが存分に発揮されている建物だった。
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シンシナティ大学ヴォンツ分子科学センター
「デコン」西海岸派のもう一人のリーダーといえば、もちろんフランク・ゲーリーだ。彼の作品も抜かりなく(?)存在している。
ゲーリー氏の作品とパット見で分かるこの建築は、医学部の分子科学研究施設。うねるレンガの壁にガラス面が突き刺さったような構成をしている。開口部のエッジはいわゆる「かざしガラス」で、端部が切りっぱなしになっている。何かこだわりがあるのか、ゲーリー作品はかざしガラスの採用率が高い(特に、ガラスを平坦な面として扱う際、多用していると思われる)。下手したら蹴られそうな場所もこの仕様になっていて、かなり強気である。
それにしても、やたら顔っぽさを感じるのは意図的なんだろうか。
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グレーターコロンバス・コンベンションセンター
前回の記事で紹介しなかったが、ピーター・アイゼンマンの実作はさらにもう一つ、コロンバスに存在している。それがこのグレーターコロンバス・コンベンションセンターだ。竣工は1993年なので、「ウェクスナー」と「アロノフ」の間にできた建築である。
用途は展示・会議施設。とにかく巨大なフットプリントの建物である。当然ファサードも長大で、端から端までが全然見渡せない程。それをアイゼンマン流の造形手法が巧妙に分節し、都市的スケールのブレイクダウンに寄与しているのは興味深い。色使いはなぜかテーマパーク的なのだけれど、これも塗装やカラーコンクリートを使い分け、色々と工夫された様子が伝わってきた。
内部も直角をズラして重ねたようなアイゼンマン氏らしい造形で構成されているが、あまりの巨大さからか、全体的にスケールがインフレーションしてしまい、若干大味な印象を受けざるを得なかった。もしかすると、この経験が建築家をして「アロノフ」の執着的デザインに駆り立てたのかもしれない。
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「デコン」建築が世界に広く認知されたきっかけは、1982年のラ・ヴィレット公園のコンペ、そしれ1988年にニューヨークのMoMAで開かれた展覧会「Deconstructivist Architecture」だった、とされている。正直僕は当時生まれてすらいないので、この「ムーブメント」が実際のところどのように受け入れられたのかは知らない。そこにあったのは驚きと高揚感だったかもしれないし、嫌悪も渦巻いたのかもしれないし、案外みんな冷静だったのかもしれない。いくらテキストを読んで、人づてに逸話を聞こうとも、当時の空気を体感することはもうできない。
ただ一つ言えることは、今やもう誰も「デコン」を語ろうとはしないし、「ムーブメント」的なるものへの興味もないということだ。でも、ムーブメントが去っても、建築は残る。思想が漂白されても、取り壊しの日が来るまでは、建築は敷地に残ってその「時代」の残り香を匂わせ続ける。
あらゆるものがハイスピードで更新される世界の中で、ここまで「遅さ」を引きずっている業界って、いまや建築ぐらいかもしれない。数年サイクルの価値観変化が明白ななかで、何十年と残ることをふつう求められる建築は、耐用年数内で「時代遅れ」になることがもはや宿命づけられている。
いっぽう、建築は、時代のスピードに拘らずこうして「残る」ものを造り得る数少ない営為であるのも事実だ。つくられた建築は施工者はじめ、多くの人にとって仕事と誇りの証であり続けるし、住み手や利用者にとっては思い出のよすがとなり得るかもしれない(そういえば、僕の先生は「建築は記憶装置」とかつて言っていたっけ)。
建築家・設計者にとって、この職業特有の「遅さ」を直視しなければいけない場面は今後さらに増えていくような気がしている。これは果たして宿業なのか、特権なのか。
(おわり)
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