強い言葉の正体と魔力、その罪
読解力を高めるためにコラムや小説の要約をするという、塾の宿題がありまして。仕事しながらそれに付き合っているんですけど、今回たまたま題材になった文を読み、感じたことがありました。
スマートフォンを見つめながら歩く危険極まりない「スマホ歩き」。英語ではある怪物にたとえてこう呼ぶそうだ。「スマートフォン・ゾンビ」
なるほど、あのふらふらした歩き方はホラー映画でおなじみの生き返った死者に似ている。ゾンビには知性も人間らしい感情もないが、この点も他人の迷惑や危険も顧みぬ、あの歩き方に共通するか。
十二月一日からスマホを操作しながら車を走らせる「ながら運転」の罰則が強化された。視点の定まらぬゾンビがハンドルを握る。想像すればどんなホラー映画よりも怖気(おぞけ)が走る。厳罰化は遅すぎたくらいだろう。
引用元 中日春秋 2019/12/16 紙面から
https://chuplus.jp/paper/article/detail.php?comment_id=703410&comment_sub_id=0&category_id=146
「パパ、この文の要約これで合ってる?」
「ん、どれどれ・・・」
「!」
仕事中の僕は「あ、めんどくさ」と思っていましたが、手にとったそのノートには「スマートフォン・ゾンビ」という見たことも聞いたこともない言葉が飛び込んできて一瞬で僕のハートをわしづかみ。
その謎の言葉の正体を確かめるために、作業中の手を止めてガッツリ文章を読んでしまう結果に。最後には息子(小6)と一緒に「これおもろいなぁ」と笑いながら感想を述べ合いました。
強い言葉の正体→認知的不協和
奇を衒った戦術にも該当するかもしれませんが、違和感を感じたり、聞いたことがなかったり、断定する強い言葉を使えば、人の視線を集めることができます。
「メロスは激怒した。必ず、かの 邪智暴虐 ( じゃちぼうぎゃく ) の王を除かなければならぬと決意した。」-太宰治「走れメロス」
「吾輩は猫である。名前はまだ無い。」-夏目漱石「吾輩は猫である」
強い言葉が起因して認知的不協和の状態になってしまった人は、その理由や根拠を知りたいという欲が生まれ、ついつい次に続く文章を読んでしまうんでしょうね。
人が自身の中で矛盾する認知を同時に抱えた状態、またそのときに覚える不快感を表す社会心理学用語。アメリカの心理学者レオン・フェスティンガーによって提唱された。人はこれを解消するために、自身の態度や行動を変更すると考えられている。有名な例として、イソップ物語のキツネとすっぱい葡萄の逸話が知られる。
引用元 ウィキペディア https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%8D%E7%9F%A5%E7%9A%84%E4%B8%8D%E5%8D%94%E5%92%8C
LPやSNSでも効果を発揮する強い言葉(魔力)
「せっかく文章を書いていてもなかなか読んでくれない・・・」
「呟いてもいいねもRTも生まれない・・・」
おそらく、それはあなたが強い言葉を使っていないからでしょう。
同じ内容をこんな風に書き換えてみました。
「一年前に失語症になり、精神的ダメージを受けました。復帰した後は周りの環境が大きく変わっているのを実感しています。高いレベルで活動することで、自然とレベルが上がっていくことを感じます。まずはお客様を喜ばせることを最優先に、自分がやらなければいけないことを一生懸命やりましょう。」
どうですか?※文字数の制限は一緒です。
前者のツイート文は断定したり「劇的」「明らかに」「異なる」「高み」「トリガー」などの比較的強い言葉を使っているので、後者の内容と印象が違ったはず。
今回の「スマートフォン・ゾンビ」のような一見お互い交わらないような言葉が交わることで、相手に対して印象付けさせることを意図的に仕掛けることも大事ですし、普段の言葉遣いを意識的に「強め」に変えるだけでも印象は大きく変わり、相手に自分の意図を伝えやすくなります。
その罪
とはいえ、強い言葉を使うにもデメリットがあります。
・主語が大きくなりすぎて誤解を生む
・多用すると間違った人物像につながる
強い言葉は自然と人の視線を集めてしまうので、曲解されたり歪曲されて伝わる可能性も十分内包しているので注意してください。
「そんなつもりじゃないのに・・・」
全体の文章を読まない人が増え、一瞬、一部分だけを切り取る人もいるのでトラブルを起こすこともあります。なので強い言葉はバランスよく使いましょうね。使い過ぎは危険ってことです。
あの博多華丸師匠も言っているじゃないですか。
「スピーチとスカートは短い方がいい」って(謎)