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町洋食。そして「なぜ働いてると本が読めなくなるのか」を読んだ。

けっこう本は読んできたほうだとは思う。学生時代よりも社会に出てからのほうが確実に読んでいる。理由は簡単で社会に出てから得た経済力があったからこそ読めるようになったし、ためらわず買えるようになったけど読み始めてちょっと違うな、、と思ったら即売り払ってきた。学生時代は好きな本を何度も繰り返し読んでいたので自分にとっての「好き」度合いの構築、というか純度は間違いなく高かった。

いまさらのように先日「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」を読んだ。著者は 三宅 香帆さん。ボクは週に数回は本屋に足を運ばないと調子悪くなるのでもちろんこの本の存在は知っていた。手を伸ばさなかったのは働き始めてからのほうが読書量が増えた自分にとって関係ないと思ってたから。ところがある日ふと手を伸ばしてパラパラ読んでみるとボクが想像していた内容とまるで違ってたんですよ。なので即買いしました。吉祥寺BOOKSルーエです。ちなみに買ったあと吉祥寺の老舗洋食屋「らすぷーる」にて和風スパゲティを食べながら一気読みさせていただきました。

いわゆるビジネス書というものをボクはほとんど読みません。むしろその手の本を読む人々を理解できなかったし疑問すらありました。そんなボクの疑問を映画「花束みたいな恋をした」を例にあげつつ、実にわかりやすく明快に書かれており、「あ、この本は世代論か」と腑に落ちたわけです。ポップ・カルチャー好きの彼氏が働き始めて自己啓発書を読んでるくだりを指摘してるのもボクとしては納得。

1970年生まれのボクの世代は前後10年(上下と言ったほうがいいかも)の昭和〜平成の価値観に挟まれています。昭和焼野原世代とバブル崩壊後という両極端な世代に挟まれたまま、なんとも中途半端な居心地があまりよくない心持ちのまま現在に至る方々、けっこう多いと思ってます(お前だけだ!と言われればそれまでです。ごめんなさい)。

たとえば世の中が「明快さ明確さ」を求めるのはどうしてなのか。特にこの10年ぐらいでその傾向が進んでいると思っていますが、コレがよくわからない。理由があってのことではなく、なんとなくそうなってるようにしか見えないんですよね。Wikipediaやネットニュースが世論を作りがちな時代なのも、そういう傾向が進みすぎてるがゆえのこと。Yahooコメントが時代の鏡みたいになってるのはやっぱりおかしいんですよ。そんなモヤついた時代になっていったことをボクは勝手に「思考停止」の時代と呼んでいます。zoomなどが当たり前に定着、なんならLINEやメッセンジャーでちょっとしたやりとりが可能です。ゆえに考えてるフリが容易にできます。なんとなく波に乗ってるじゃないけど特に考えがなくても物事がぼんやり成立してしまいがち。ゆえにどうでもいいことでハレーションが起きやすい。つくづく嫌な時代になったものです。

書評にすらなってませんが、この「なぜ働いてると本が読めなくなるのか」という一冊はなんとなく物事成立しがちな現代を考えるきっかけとなる気がします。ひさびさにがつんときた読後感でした。

自己啓発書やビジネス書を否定するつもりはまったくないんですが、大手書店の大半がメイン商品として扱わざるを得ない状況はなんとかなんないものかと思います。文学フリマが盛況で、なんて話を聞くにつれ。ひとは書籍に触れるのが好きなんですよ。コレは間違いない。ボクの中に明確な答えがあるわけではないのですが「本と触れ合う形」みたいなものが日常の中でもっと簡単かつ身近にあるといいのになと思います。ポップでいい意味で下世話な形でね。

それにしても街に根づいて長年やってきた洋食屋はイイねえ。笹塚のロビンやマック、吉祥寺のらすぷーる、四ツ谷のバンビに知らぬ間に移転してたキッチン南海とファミレスでは体験できない「昭和の食堂」感がたまんない。町中華とは違うヴァイブス(笑)がとにかくイイんですよ。同じオムライスでも、人工的ふわとろオムライスより、焼き目が多少雑でもガッツ溢れるケチャップ味で勝負する昭和のオムライスが好きだもんね。

とりあえずシティ・ポップブームとほぼ同時並行で巻き起こった町中華リヴァイバルに続くように町洋食ブームがくる予想は誰もしてないが、ボクの中のマイブームとしてしばらく続きそうではあります。

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鈴木ダイスケ
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