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私的KAN論(仮)第8章 よければ一緒に〜変わりゆく季節の中で
言うまでもないですがポップソング、特にラブソングというカテゴリーの基本は「哀しさ」だと思います。哀愁と言い替えてもいいですが、ハッピーなラブソングって洋邦問わずスタンダード化したものってかなり少ないと思います。いや、あるのかもしれません。ただ底抜けに明るいイメージの曲調でもどこか裏側に「哀愁」めいたものがないとスタンダード化はしないのではないでしょうか。例えばポップスの黄金律の権化、モータウン・ビートを基調にした楽曲を思い浮かべてみてください。シュープリームスの「恋はあせらず」に影響を受けたビリー・ジョエルやフィル・コリンズ、ジャパニーズ・ポップでも底抜けに明るいビートの裏には必ず「哀愁」に彩られたメロディがそこにはあるはずです。
実際、ポップスは哀しいものです。だけどビートルズやビーチボイーズ、カーペンターズといった大御所のレパートリーを思い浮かべると能天気なイメージを思い浮かべる方が多いのかもしれません。ですが実際彼らのバックストーリーを追っていくとドラッグや摂食障害に苦しむ姿を容易に捉えることが出来ます。ビーチボーイズのブライアン・ウィルソンに至っては未完成に終わった「SMILE」の亡霊に苦しみ廃人寸前まで追い詰められました。多くの大衆(マス)を相手に常に自らの作風をアップデートし続けるのには常人離れの才能が必要となりますし、どうしてもそこに「光と影」が生まれるのは必然なのでしょう。ゆえにポップスは哀しい。80年代中盤、初のソロアルバム「KEISUKE KUWATA」(小林武史プロデュース)に着手した頃の桑田佳祐の名言ですが本当にその通りだと思います。
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