さよなら、シティ・ポップ(改訂版)
昨夜、閉店寸前のファミマに行くと「真夜中のドア/Stay With Me」のカヴァーが流れていた。
ボクはその曲を耳にしながら「ああ、終わったな」と思った。そつのないカヴァー。ある意味完璧なアレンジで原曲の旨味もちゃんと残してある徹頭徹尾プロの仕事。
悪くない。
だけどこの数年続くブームはこれで終わるなと思った。
「真夜中のドア/Stay With Me」は名曲ですよ。
サビ頭で始まる林哲司ワークス(シングル限定)で考えるとやはりこの曲がいちばん。「悲しみがとまらない」(杏里)、「デビュー」(河合奈保子)、「アイドルを探せ」(菊池桃子)に「北ウイング」(中森明菜)と林ワークスで頭サビに名曲は多い。それらの楽曲の起点はすべてこの「真夜中のドア/Stay With Me」。
なんておおげさですかね。アハ。
ちなみにシティ・ポップ。
好きか嫌いかと言われればボクはこのジャンルが大好物である。おそらく誰よりも好き。これは自信があります。
愛情度では負けやしないですよォォォォォォォォォ。
いわゆる70〜80年代のグルーヴィーかつ洋楽純度高めなポップ・ミュージック。ボク自身、インチキなDJとしてこの手の音はかけまくった時期があるんですよね。
具体的にいえば2000〜2010年ぐらいの間か。
コンピレーションの企画もたてて何度も没になった。
「はいはいはい。なるほどね」
「鈴木さん好きだもんねえ、アハ」
「こういう曲ねえ。なるほどねえ、アハ」
「タコ社長、アハ」(これは間違いby高嶺菊fromリングにかけろ)
この場合のアハは原秀則「さよなら三角」の「アハ」じゃあないんですよ。タコ社長のほうじゃなきゃ。
いつだったか。2015年の春ぐらいか。知り合いのレコード会社のディレクターが言われたことあるんですよ。
「これからシティ・ポップ、くるからなんか仕掛けないの」
へえ、くるのか。ボクのそのときの感想はそんなかんじ。で、きた。実際きた。
アナログ盤やら80年代後半のレアなCDが高騰し始めた。
中古レコード屋の壁に燦然と輝く山下達郎の「FOR YOU」の値段がどんどんあがっていった。
だけどね、4000円を超えたあたりでボクはどんどん気分がダウナーになっていった。
ちっとも「SPARKLE」じゃねえよ。どっちかといえば「潮騒」だよなァ、なんて。フィーリング的に。
要するにボクはブームが苦手なんだな。
80年代の、特に84年以降のアイドルのアルバムってかなりクオリティが高いしいわゆるシティな気分で制作されているのも多いし、実際のところ松本伊代の三部作とか素晴らしいじゃないですか。
あとは早見優の84年暮れにリリースされたアルバムとかさ。タイトルは「MUSIC」。かなり今の時代の気分ですよ、とか。収集もしてるしそれなりにライブラリーもあるし。でもどうにも波に乗りたくない自分がいるわけだ。もういいよ、オレは「AXIA」聴いてるよってそんな気分ね。どうでもいいけどこの夏はずーっと南佳孝をヘビロしてたけど、「FOR YOU」と並んでもっと注目されるべきですよ。
「忘れられた夏」「SOUTH OF BORDER」「MONTAGE」はモッ最高。
「これで準備OK」とかいいよ。
だよねえ、と唸ってしまう説得力。
おそらくサウンド先行の評価と歌詞についての言及が少ないってのが不満なんだろうな。
そんなことないって言うひといるでしょうが少ないよ。少なすぎる。松本隆と、この数年でようやく語り始めた売野雅勇だけですよ。時代の証人めいた発言してるのは。
ボクなんかは難しいかもしれないけど康珍化と秋元康。このふたりが当時のシティ・ポップの裏側を語る場をもって欲しい。ザ・シティ・ポップって意味でやっぱりボクの中でこの2人の作詞家は外せない。
特にシティ・ポップな秋元康は最高。「トランジット・イン・サマー」(杉山清貴&オメガトライブ作詞/秋元康)、「SUMMER EYES」(菊池桃子作詞/秋元康)の歌詞は最強である。ただ淡々と情景を歌う言葉がメロディ、歌が乗っかると妙にリアルに響く。
ここで歌われる情景はまぎれもないシティ・ポップだ。
今はない、失われたバブル前夜の狂騒にまみれたブライト・ライツ・ビッグ・シティなTOKYOの姿。
そこからリゾートへと逃げるひとびと。
都会(まち)と海が織りなすセンチメンタルな色彩。
それこそがボクにとってのシティ・ポップ。
稲垣潤一の「夏のクラクション」、「想い出のビーチクラブ」。世代のせいもあるでしょうがユーミンがかつて歌った中央フリーウェイな光景よりもリアルに響くんですよ。カナダドライのジンジャーエールCMソングだったからとはは無関係に。
でも外国の方々からみればそんな情景はいい具合にフィクションとして響くのだろう。コトバ、わかんねえじゃん、じゃなくて。見えるものはあるんだと思うわけです。
竹内まりやの「プラスティック・ラブ」も大貫妙子も。
おそらくボクが70年代中期〜80年代頭ぐらいのAOR括りのなもなきアーティストのレコードを聴きながら
当時のNYやLAの情景を思い浮かべるように。
なので好きなんですよね、当時のB級も含めたアメリカ映画。そこで映されている街並み、ファッション。
懐古趣味と言われようがボクはその手の匂いにどうしても惹かれてしまうわけです。
もはや2度と戻ることのない風景の追体験。
1983年の年末に発売された月刊「明星」音楽ページでは「くたばれシティ・ポップス」なる匿名座談会対談が行われている。
「カフェ・バーとか歌詞のシチュエイションが一緒」
「なんでもかんでもリゾートを舞台に歌われてもちっともリアリティがない」
「どのアーティストも同じに聞こえる」
「その中でも佐野元春は別格だよな」
「大滝詠一のニューアルバムが待ち遠しい(EACH TIME発売前)」
「来年はバンドブームくると思う。昔のGSブームみたく元気なバンドがどんどん出てくるんじゃない」
「期待したいね」
まあなかなかひどい対談座談会だった。アーティストの具体名をあげてバッシングしてるし。なよなよした軟弱な音楽なんだよなの一点張り。あ、文中で硬派な浜田省吾、長渕剛には頑張ってもらいたいなんて発言はありました。もはや単なる好みじゃねえかよ!と中学生なりにボクは憤慨した記憶がある。
だけど最後のバンドブーム云々は見事的中した。ほんの二ヶ月後にチェッカーズの「涙のリクエスト」がバカ当たり。
バンドがお茶の間を席巻する時代はあっという間に訪れ、ロックバンドという形態は90年代初頭までに市民権を獲得、アンダーグラウンドなアイテムだったロックバンド然とした風貌は街中でちっとも珍しいものではなくなったわけだ。
この座談会の半年間、同じく明星でアルバム上半期売り上げベスト50なる記事があった。
杉真理「STARGAZER」
山本達彦「MATINI HOUR」
井上陽水「とまどうペリカン」
松任谷由実「REINCARNATION」
佐野元春「No Damage」
稲垣潤一「シャイライツ」
順位までは覚えていないので申し訳ないけど、このへんのアルバムがランクインしていた記憶がある。
これが年間総合となると顔ぶれはだいぶ変わってくる。YMOの「浮気なぼくら」とかが入ってくるし。
だがいわゆるシティ・ミュージックって流れが時代とあまり合わなくなってきていたのは事実。
翌年に始まるチェッカーズ旋風、吉川晃司。安全地帯に杉山清貴&オメガトライブ、鈴木康博が抜けた新編成のオフコースなど、顔ぶれは1984年を起点にがらっと変わっていく。そういう視点で考えると面白いんですよね。1984年って。尾崎豊のデビュー、80年代後半のチャートを席巻するEPICレーベル所属のアーティストによる水面下進行などなど。
さて話がそれました。
ボクはあえて言いたい。さよなら、シティ・ポップと。
ブームで消費されることなく、永遠に聴き継がれていって欲しいから。
iPhoneをデバイスにヘッドフォンで聴くにはかなりマッチングもいい音楽スタイルだし、適度に昭和という遠い時代への憧憬も感じつつ、新しいアーティスト群でいえば音数も少なくタイニー・ソウルなサウンドプロダクツはシンプルにヘッドフォン・ミュージックとしても心地よいわけで。そりゃあ皆聴くよね。シティ・ポップって語感もいいし。
だからこそ、願わくば廃れることなく聴き継がれて欲しい。だってボクはシティ・ポップが大好きなのだから。