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接近遭遇について考える。

さてさて。いまさらのように考えてみたのは、初めて間近で目撃したアーティストは誰だったのか?ということ。あくまで間近、いわゆる接近遭遇。

そんなことはいままで、ほぼほぼ考えてこなかったが、さっきふと思い出した。京都の太秦撮影所でバイトしていたので中村雅俊か?大河ドラマ撮影中だった真田広之か・・それとも金田一シリーズドラマ版の古谷一行か・・と思いきや、ボ・ガンボスのどんとだった。

ローザルクセンブルク時代からその異能性は田舎に住んでる僕にも伝わってきた。そしてボガンボス。もちろんライブは観たことはあった。だが間近で目撃したのはバンドライブではない。どんどそのものだ。

京都大学の西部講堂という、僕が足を踏み入れたアーリー90年代。まだ日本はバブル経済に踊っていた真っ最中。柳沢きみおの「妻をめとらば」主人公の八一はちっとも結婚できず、「美味しんぼ」は究極至高の対決は始まっていたのだろうか。その辺まったく記憶にない。とりあえず友人に誘われて西部講堂に行った。地元のミュージシャンが多く出演するイベントだったと思う。今でもよく覚えているのは床に古新聞が敷きつめられていたこと。よく見ると昭和30年代の新聞が多かった。それを見た時点でなんだかものすごい遠いところに来てしまった錯覚を覚えてしまった。そしてその錯覚を助長したのがどんとである。いきなり彼は視界に入ってきた。その日出演予定も告知されてないのに。ギターを持ち、ただ客席エリアにどんとはいたのだ。会場にいたほとんどが気づいたことだろう。派手なメイクと衣装。つまり出演する気満々てことだ。

そんな彼とは別にイベントは進行していく。いくつかのバンドが出演し、そろそろ終演タイミングでどんとはステージに上がった。何の予告もない。ただオンステージ状態。そしてギター1本で「さかなごっこ」を歌い出した。ぐっと掴まれた。どんとのステージはMCもなくただ続いていく。もう22時過ぎの段階でも終わらない。つまり僕らも帰れない。1時間ばかり続いたのだろうか。ライブは唐突に始まり、終わった。ステージから降りてきたどんとは間近で観るとやはり異才さを放っているのがよくわかる。視線はどこを見ているのかよくわからない。ただ汗だくの彼を僕は間近で観た。それだけのことだ。西部講堂というシチュエーションも妙なドラマ性を感じさせてくれたのも手伝ってか、あれから30年近く経過したのに、あの夜のことはやけに鮮明なのだ。

昨夜、京都老舗のライブハウス磔磔のドキュメンタリーを観た。磔磔もそうだし拾得も、どうして京都のライブハウスってあんなに独特の雰囲気なんだろうか。店に入った瞬間から京都のライブハウスでしか感じることの出来ない空気感。酒蔵を改造したとか、建築物的ルーツだけじゃない、あの土地じゃなきゃいけない必然性。楽屋の壁の落書きはボクもした記憶がある(残ってるんでしょうかね)。

その後ボクは東京に住むようになり、初めて下北沢のライブハウスに足を踏み入れたとき、「なんて洗練された場所なんだ」と驚いた記憶がある。1998年の春、場所は下北沢CLUB QUE。たしかアドバンテージ・ルーシーのライブだった。あの空気の違いはいまだに覚えている。街の匂いのせいなのか?それとも時代のせいなのか。まあ、そういう違いがあるからライブハウスは面白いんですけどね。画一化されたものなんて、やはりつまらないもの。







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鈴木ダイスケ
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