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シティ・ポップ時代の渡辺徹。

渡辺徹の「約束」って曲を教えてくれたのは同じクラスのジャッキー・チェンマニア、春日くんだった。

その頃のボクはといえば毎週少年サンデーを購読しながら時折ジャンプもつまみ食い。心のどこか片隅に「漫画家」になりたいと思う自分はいたけれど難しいんだろうなァと思いストーリー作りの勉強と称して星新一や筒井康隆、眉村卓といった日本SF界の巨匠作品に手を伸ばす日々。つまり音楽など入るスキマはなかった、、はずがある日を境に変わってしまったんだな。


春日くんは運動神経抜群だったがなぜか部活に入ることはしなかった。そりゃそうである。当時ヤンキー全盛期で体育会系部活はほぼヤンクな連中が牛耳っており、シンナーの臭いが充満する部室でなにをされるかわかったもんじゃない。実際この年(1982年)ボクらの中学でバスケットボール部は休部になっている。理由はキャプテンが喫煙を見つかり停学、その処分に「納得がいかねえ」仲村トオル似の副キャプテンが職員室の前で「異議申し立てをしなきゃいけないんだ」と口調だけは佐野“LION”元春だが行動は梶原一騎もしくは本宮ひろ志イズム全開で醤油一升瓶一気飲み。当然副キャプテンは速攻病院送りでバスケ部は休部となった。小学生の頃までバスケをやってた春日くんにすればそんな荒れた現場でばバスケをする勇気がなかったのだろう。彼は率先して帰宅部という選択を選んだ。もともと同じ小学校出身だったので彼とボクは親友ってわけではなかったが帰宅方向が同じだったので一緒に帰ることが多かった。


運動神経が悪くない春日くんが帰宅部という道を選んだことで、運命は動き出す。ジャッキー・チェンと石原軍団ドラマが好きだった彼は有り余る体力を持て余すように休み時間、自ら幅跳びをしたりマラソンしたりカンフーのトレーニングに余念がなかった。そして歌である。ある日の帰り道、彼が口ずさむフレーズがボクの琴線を刺激した。


さよならさ good-bye my sister さりげなく言うよ 

めぐり逢いを約束に


「知らねえの?遅れてんな。渡辺徹の「約束」って曲だあ」(福島弁)

当時のボクはほんとに音楽というものに無頓着だった。高橋留美子の「うる星やつら」はアニメもチェックしていたのでオリジナルサウンドトラックを購入したりはしてたが(しかもカセットテープ)音楽番組を見ることはほぼなかった。春日くんいわく「渡辺徹はいま「太陽にほえろ」のラガー刑事役で出てんだよ。グリコのCMにも出てんべ?知らねえのほんとやばいぞ」と追い立てられ、ボクはここで初めて音楽番組をチェックし、当時毎月親が買い与えてくれた旺文社の「中一時代」の芸能ページを真面目に読む決意をすることになる。

すでに「約束」に続き次作シングル「愛の中へ」もヒットしており、両作を収録したアルバム「TALKING」も発売が決まっていたタイミング。おそらく1982年の暮れ間近。ボクは春日くんに言い放たれた「遅れてんな」の一言で危機感いっぱいのまま当時の邦楽/歌謡シーンをチェックするようになる。


いま考えると渡辺徹の歌手活動は音楽性こそシティポップ歌謡と解釈できるが、同じ文学座の先輩である中村雅俊やのちに初主演ドラマがオンエアされる日本テレビ土曜グランド劇場の看板役者である水谷豊といった先行ランナーたちが敷いた音楽性のアップデート版がこの時期の渡辺徹の音楽性だったと思っている。後年、なにかの番組に出た際に「ヒットしたのは「約束」1曲だけですから笑」と自虐ネタにしていたが、実際は「愛の中へ」が「約束」と同時にベストテンにランクインしていたし、続く来生たかお作品「灼けつくメモリー」こそふるわなかったものの、「AGAIN」は「約束」を彷彿とさせる青春歌謡でチャートの20位前後ぐらいまで上がっていたはずだ。つまり俳優のみならず歌手としても十分認知されていたんですよ。 

1984年春に「太陽にほえろ」のラガー刑事は殉職、その翌日に始まったのが渡辺徹の初主演ドラマ「風の中のあいつ」である。その主題歌「瞳・シリアス」は作詞が松本隆、作曲が筒美京平のゴールデンコンビ。遊ぶように生きた俺でも真面目すぎる時もあるんだよ、という完璧な歌い出し。ボクは売れると思いましたね。この曲で歌手渡辺徹はもういちどチャートを席巻すると。だが期待に反してチャートは苦戦、主演ドラマこそ「気になるあいつ」「春風一番」と続いたし主題歌は変わらず歌っていたものの、「約束」を越えるヒットにつながることはなかった。「熱情」とかいい曲だと思うんだけどなー。 そして土曜グランド劇場での最後の主演ドラマ「春風一番」を最後に歌手活動はほぼ行うことがなくなり、俳優/バラエティとしての活動がメインとなっていく。大河ドラマに朝ドラと活動の幅は広がっていく中、「ハングマンGOGO」とかありましたけど個人的には荻野目洋子と兄妹役で共演した「こまらせないで!」好きでしたね。現代版寅さん的なダメ兄を快活に演じてたのは妙に印象に残ってるんですよ。あといま気づいたんですけど「春風一番」の後番組って「新熱中時代宣言」だったんですね。主演は榊原郁恵で主題歌は1986オメガトライブ「君は1000%」。時代的に音楽もモードチェンジしていく最中だったんだよなァと。「春風一番」は明石家さんまとの掛け合いが見事なドラマでした。渡辺徹の土曜グランド劇場もの、一挙配信とかするべきですよね。作品に触れてもらうことこそ表現者冥利じゃないですか。アマプラかネトフリ、Disney +でもいいのでお願いします。


そして、いつしか俳優が青春歌謡を歌うケースも少なくなっていった時期でもありましたね。あくまで結果につながってるかどうかって意味で。柴田恭兵や渡辺謙も歌はやってましたが青春歌謡ってカテゴリーではないし、永瀬正敏のCBSソニー時代(キャッチフレーズは「男だぜ永瀬だぜ」)も結果にはつながっていない。風間杜夫も「約束」の作曲を担当した鈴木キサブローによる「夏も泣いている」で歌手デビューを果たしましたがベストテンヒットまでは至らなかった。「太陽にほえろ」の元同僚、神田正輝もファンハウスでもろシティポップな作品群を残してますがマニアックなところにとどまる結果だったと思います。加藤和彦による「思い出のキーラルゴ」とかいい曲だったんですけどね。


あらためて「約束」を聞いてるとやはりよくできてるんですよね。歌詞世界的には太田裕美の「木綿のハンカチーフ」の逆パターンで夢を追いかけて街へ去っていく年下の女性へのエール。これが当時俳優としても駆け出しで初々しい渡辺徹のビジュアル、そして声に見事にはまった。サウンド的にもAORなアプローチをしつつもぎりぎりのところでベタさを失わない絶妙なバランス感。五十嵐浩晃の「ペガサスの朝」を思わせる切なくもキャッチーなグリコ王道CM路線と聞き返すたびに売れない理由を探す方がむずかしい完璧な楽曲ということがわかる。なによりも渡辺徹が歌わないと説得力が激減する作りになっている点はちゃんと書いておきたい。とにかく赤いブルゾンで居心地悪そうに訥々と歌う姿は今もYouTubeで見ることができるので見ればわかるさ。おそらく青春歌謡ってカテゴリーで最後のヒットを放ったのは渡辺徹だったんじゃないだろうか。のちにトレンディドラマ全盛期になり江口洋介や福山雅治といった「演じて歌う」方々に再び脚光があたるようになったが少なくても80年代って話だと思いつかない。82年までは「恋人も濡れる街角」など順当にヒットを重ねてきた中村雅敏俊も歌手活動はブレイクスルーに至らず、水谷豊もヒットという意味では「カリフォルニアコネクション」を越えることはできなかった。自身の作詞作曲による「なんて優しい時代」や伊勢正三によるメロウなシティ・ポップ歌謡「人魚の誘惑」など好きだったんだけどなー。


ここまでつらつらと書いてみましたが、あのとき春日くんに「遅れてんな」と言われなかったら音楽って分野に興味を持つことはなかったと思います。もしあのとき春日くんが口ずさむフレーズが渡辺徹の「約束」じゃなかったらボクはどうなってたんだろうか。「恋人も濡れる街角」やサザンオールスターズだったら人生変わってただろうか。そんなことを考えつつも最後に渡辺徹さんに哀悼の意を。俳優としても好きでしたけども歌手「渡辺徹」としての活動がなかったら今のボクはありません。ありがとうございました。ゆっくりお休みください。ちなみにウインナーはボクも「赤」派ですよ。

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