モーニング・グローリー'95(朝、起きたらジャイアント馬場)。
目覚めると、そこにジャイアント馬場がいた。
そんなことあったらびっくりするじゃないですか。
目覚めたら、そこに広瀬すず(ヤバい)。
目覚めたら、そこに石原さとみ(泣く)。
目覚めたら、そこに杉咲花(うれしい)。
目覚めたら、そこに小沢仁志(こわい)。
目覚めたら、そこに本宮奏風(日本統一最高)。
驚きパターンはいろいろある。だけども
朝、目覚めたらジャイアント馬場のインパクトには敵わないだろう。
ちなみにコレは嘘のようなほんとの話。
ボクが実際体験した話である。
95年のことだ。
なんとかかんとか某レコード会社に潜り込むことに成功したのだが、現実は華々しいイメージとはかけ離れ、配属は大阪営業所で担当エリアは四国全域。
つまり1週間出張行きっぱなしである。ずーっとである。
だが、上司の目もなく、ただひたすら四国全域をまわるというのは今にして思えばとんでもないゼータクだったんじゃないか。担当エリアのレコード店をまわり、地方なので夜は早い。19時ぐらいには訪店業務も終了。合間に大好きな古本屋めぐりも出来るし、高松は讃岐うどんが旨いし徳島ならあの甘辛なラーメンに舌鼓、高知は昼からリーズナブルにカツオ三昧。松山エリアで道後温泉にこっそり忍び込んでも誰も文句言わない時代。会社から携帯持ちやがれ指令が下るのは翌年のことである。いや、道後温泉行ってないすよ(念のため)。
さて、いつも常宿としていたのがワシントンホテルグループだった。これは会社指令。ちなみにカードを作ってポイントを貯めると2万円キャッシュバックだったのでこのシステムはこっそり利用していた。給料も安かったし。コレ、当時のスタッフはみんなやってたな。
1995年、夏の高松のワシントンホテルにて。
四国エリア担当中、いつも仕事が終わると(当時はほとんど飲みに行かなかった)買い込んだ古本を部屋に持ち込み本を読んで静かに過ごしていた。地方の古本屋って実はセドリも(当時は)あんまりされてないから宝の山なんですよね。永島慎二の古本とか格安で買ったもんなー。タレント本コレクションもこの時期から始めたけど、のちに吉田豪さんの事務所に行ったとき、その蔵書量に圧倒されたのでこの趣味はもうやめた。まあ、それでもデータハウス社の「光GENJIへ」シリーズをコンプリートしたのは四国出張時代だったんじゃないかな。とにかく邦楽シーンが、日本の音楽業界がむちゃくちゃ活性化していたあの時代、ボクはほぼ毎日四国のどこかにいたんだ。週末だけ京都のワンルームマンションに帰って、月曜に大阪営業所に出社して、翌日にはまた四国。そりゃ毎月買っていたロッキンオン・ジャパンや噂の真相が心の拠り所になるよね。小林信彦や近田春夫の連載目当てで週刊文春を買い始めたのもこの頃だった。
チェックアウトが10時でそのタイミングには一度会社に業務連絡も義務づけられていたので無理やり起床、いつも半分寝ぼけて会社に電話するのが常だった。その日も電話を終え、珈琲でも飲もうとロビー近くのカフェエリアに足を伸ばすと全員白いジャージ姿の団体がカフェの半分ぐらいを占拠していた。まあそういうこともあるじゃないですかぐらいのテンションでボクは何の気なしにその団体さんのすぐ近くの席に陣取り、珈琲を注文した。
どうやら団体さんらは朝ごはんの時間だったらしい。タイムリミットはとっくに過ぎているがモーニングサービスを集団でゆっくり、ゆっくり摂っている。
全員が上下白いジャージだった記憶があるけどさだかではない。ボクのすぐ後ろの男はひとりで椅子を3席くっつけて使用し、特にゆっくりゆっくり食事をしているのがわかった。とにかく大きな背中だなあと寝ぼけた頭で思いつつ・・・あらためてえ?3席?分の椅子を使用してんの?
珈琲を飲みながらだんだん目が覚めてくる。何の気なしにその集団のそばのテーブルに座ったボクだが、どの人間もやたらガタイがよい、つーか、デカイ。3席使用しているその男はその中でもひときわ大きい、、、てゆうか、そのシルエット、後ろ姿だけどなんか見覚えがある、、、いや、あるというか、、。
ボクは特別プロレスファンでもなんでもないし、知識といえば梶原一騎/原田久仁信の「プロレススーパースター列伝」ぐらいのもの。もちろん「BI砲」編は読んでいたのでその大きな男のエピソードは梶原フィルターを通してのものだがよく知っている。たしか「夕焼けを見ていた男 梶原一騎伝」(斎藤貴男著)が新潮社から発刊されたばかりのタイミングだったんじゃないだろうか。この辺は記憶が曖昧なのでよく覚えていない。ちなみに梶原原作による「ジャイアント台風」(馬場が主人公のフィクションだらけの自伝漫画)はこの時点ではもちろん未読である。
テーブルがそばだったので会話は聞こえてくる。どうやらプロレスラーたちで巡業で高松に昨夜ついたらしい。3席使用しているその男は目の前のスーツ姿の男性にチケットの売れ行きを確認している。低く、くぐもった声で。そこでボクはようやく気がつく。ボクのすぐ後ろの席にいるのはあのジャイアント馬場だってことに。気がついて、ようやく目が覚めた。
よくよく確認するとモーニングサービスの目玉焼き、山盛りのクロワッサン、ボウルいっぱいのサラダをゆっくり摂っているのは馬場さんのみ。他の選手はもう食後のティータイムに切り替えている。その中で小橋健太がいたのは覚えている。
馬場さんはゆっくりゆっくりとクロワッサンを丁寧にちぎりながら口に入れ、目の前のスーツ姿の男の報告を聞いている。南海放送がどうとかこうとか、FM局でゲストがどうとかこうとか、ラジオスポットの効果がどうとか、切れ切れに聞こえてくる。その間、馬場さんはひたすらゆっくり食事を続ける。ボクは背中越しに全日本プロレスが占拠した、そのテーブルの緊張感をひとりで受けていた。もちろん野次馬根性もあるので、席を立つのがもったいないということもあったけど。
結局、ボクは馬場さんを正面からしっかり見据えることもなく、そのホテルロピーのカフェから離れることになる。たしか夕方には高知かどっかに入らなきゃいけなかったとか、いずれにせよなんらかのタイムリミットがあったんだろう。あとはさすがにあの緊張感に耐えきれなくなったというのもあったし笑。
いずれにせよ、朝イチのジャイアント馬場との遭遇は「元気がでるテレビ」における早朝バズーガー、または早朝ヘビメタ級のインパクトがあった、ということだけは記載しておきたい。下手なカフェインよりも、馬場正平である。背中越しに伝わるオーラ、緊張感はいまだに忘れることができない。
ああ、声をかけてサインぐらいもらっとけばよかった、、、なんて思ったけどすべてはあとの祭りである。高知行きのバスに乗りながら当時のボクはそんな後悔の念を持ちつつ高松をあとにしたんじゃなかったかなあ。
要するにジャイアント馬場と寝ぼけた頭でばっちり接近遭遇したという、それだけの話。だけどさ、こんなシチュエーション、滅多に経験できないよね。
ジャイアント馬場の背中を見ながらのモーニング珈琲。激レア体験だ。
ちなみにこの2年後に大阪ドームの楽屋裏トイレで、試合直前のアントニオ猪木と遭遇することになる。まあ、ほんとにそれだけの話なんですが、至近距離で見たアントニオ猪木の筋肉は神々しかったですよ。
ちなみにこの半年後に当時まだ全日本だった小橋健太に(着ぐるみを着たまま)山陰地方出張中にヘッドロックをかけられることになるがその話はまた今度。
(脳内BGM 思いがけないシチュエーション/崎谷健次郎 映画「いとしのエリー」主題歌)