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モッチー・ブルーに撃たれて〜漫画家・望月ミネタロウの冒険

最近うちのオーディオで鳴る音にガッツを感じない。


おそらくアンプを替えたせいだろう。とにかくイイ音を引き出してくれるヤツだった。だが、調子が悪かったのも事実で(なんにもいじってないのにレコードを鳴らしてるときにCDに切り替わったりのポルターガイスト現象)先日引退勧告を下し、もともと家にあったものに切り替えたところ、、まあガッツのない音を鳴らしてくれる。こんなペラペラな「砂の女」聞きたくねえよと叫びたくなる浅さ。南佳孝の「スタンダード・ナンバー」、イントロのピアノは高音特有のキーンとした音をさらに浅く浅く、、つまりつるんとしたエッジのない音。ロイ・エアーズ「Everybody loves the sunshine」とビル・ウィザーズ「+’Justments」とボクにはそれぞれお気に入りのアルバムあるんだが、この2枚をかけたとき情けなくて涙が出てきた。こんなんじゃねえよなァ、おい。この2年ばかしヘビロってたマーヴィン・ゲイの「I WANT YOU」かける気もしない辛さよ。


最近知り合ったハードオフをこよなく愛するミュージシャンとそんな会話をしてたら、まず都内近郊ベスト店舗10を理コメントしてもらった。「特にダントツ(©水島新司)なのが⚪︎⚪︎⚪︎⚪︎⚪︎⚪︎店ですね。ここ行かないのはダメ」とよきアドバイスもらったので黄金週間中に行くしかないよな。ええ、行きますとも。で、行った。アナログプレイヤー、欲しいやつ見つけたけど現在思案中。どうすっかなァ。


さて冒頭から稚拙なオーディオ話をしてみましたが、実はここんところ個人的にモッチー・ブームが到来している。もちろんブームって言っても基本ボクの中だけで完結してるだけなんですけどね。とりあえずモッチーの漫画は所有しておきたいじゃないですか。

モッチーとは望月峯太郎のこと。さいきんは望月ミネタロウ名義か。もちろんこの愛称はボクが勝手に呼んでるだけなのでアンオフィシャルな呼び名である。もちろん最新作もチェックしている。「没有漫画 没有人生」、まさかのエッセイ路線には驚いたけど淡々と日常を綴ってるのが読んでて気持ちがイイ。単行本化待ち遠しいんですけどね。時間かかるかなァ、、ページ数少ないし。だけど今、単行本化を待ち遠しく思うオレ的重要作品であることは間違いない。未読の方は読んでみたらよろし。エッセイな体裁ではあるけどまぎれもなく望月ミネタロウのマンガだから。


80年代後期、「バタアシ金魚」は読むものが(ボク的には)少なかったヤンマガ誌上で楽しみにしていた作品のひとつだ。映画もよかったけど続編「お茶の間」含めていまだに本棚の目立つ場所を占拠している。この時期のヤンマガ、すぎむらしんいちと並んでヤンマガ系ではボクの中でのツー・トップなんですよ。まず「バタアシ〜」時代の独特の揺れを含めた線の美しさよ。決して安定感があるわけじゃないけど、そこがイイんですよ。あの時期のモッチーが醸し出した線の揺れとこれまた独特のオフビート感あってこそ「バタアシ金魚」は青春漫画として今でも読み継がれるべき美しさがあるんじゃないかと勝手に解釈。ユルめのメロウなヒップホップのバックトラックをだらだら流してる気持ちよさに通じるというか。ライムなしでだらだらトラックたれ流しのチルなグッド・バイブス。一度も古びた作品だなんて感じたことないので未読のひとは読んだほうがいい。シティ・ポップでいうところの佐藤博「AWAKEING」の世界観に近いと思うんですけどね。ぼーっと音の波が奏でる心地よさに身を委ねるキモチよさと似通ってるというか。


ちなみに続編「お茶の間」、テレビドラマ化された際に主人公カヲルを演じたのは男闘呼組の成田昭次でした。ソノコ役は渡辺満里奈。読売テレビ制作だった気がするなァ、土曜ドラマ22時枠でさ。脚本が奥寺佐和子で割と骨子、キャスト含めてしっかりした作りのドラマだったのは覚えてます。主題歌が安全地帯だったんだな。岡本健一もライバル役で出演していたので、時期的にはまだ男闘呼組は活動休止してなかったんだなァ、なんて。不安定な青春ものって意味だと安達哲「キラキラ!」もボクは「バタアシ金魚」と並んでヤンマガ〜マガジン系の青シュン!漫画の代表格としておきたいですよね。ちなみに安達哲といえば「さくらの唄」は絶対だな、ランク的に。


そして、ちょうどこの「お茶の間」以降なんですよね。まず意表をついたホラー路線の「座敷女」。この作品あたりから女性キャラの描き方に変化があり、街を普通に歩いていそうなリアリティみたいなものが全面に押し出されている。男性キャラも同様。もともとファッション性のあるアイテムの書き込みはきっちりしていたのがさらに詳細に描かれ、シャツ1枚、スニーカーやブーツのリアルな造詣はごつごつして格好よかった。和製ホラーとしても秀逸すぎる作品なんですけど、登場人物の描き方がリアルなものに振れていけばいくほど「座敷女」の怖さは倍増って感じでした。


まるでタランティーノかアメリカンニューシネマな傑作「桃尻女と鮫肌男」を経て、パニックサスペンス大作「ドラゴンヘッド」も好きだった。まさかの大作指向に少々驚いたけど。ちなみに読んではいたけど単行本を持ってなかった「万祝」はようやくこないだ全巻コンプ。ミネタロウ名義に変わった「東京怪童」、フランスでも人気を得た山本周五郎原作の「ちいさこべえ」はもちろん持ってるしフェイバリットだ。「ちいさこべえ」は長さもちょうどいいんですよ。4巻であっさり終わるし、淡々と物語が進んでいく足し算ではなく究極の引き算の物語。描きこみも必要最低限。女の子も普通の女の子を淡々と描いている。過度な露出も過激な性描写もない。だけどエロいんだな。もともと「バタアシ〜」の頃からそういう味わいがある作家でしたけど。「座敷女」あたりから描き始めたモッチー流普通の女の子像がここにきてさらに進化を遂げたんじゃないかなァ、なんて。


そんな絶妙なエロスが嫌味なく描かれ海外でウケてるって話も納得。1ページ1ページが単体のイラストでも全然通用するクオリティだし、それでして「万祝」〜「東京怪童」あたりから顕著になったちょっと変なアングルが物語にリズムを与えているので、初期のオフビートさとは違ったグルーヴを醸し出していて、それはそれで心地よい。なんだろな、紙、電子それぞれ違う味わいを楽しめるというか。サブスクで聴いて気に入った音源をフィジカルで買って楽しむ感覚と近いのかも。


とまあ、ひとり勝手に望月ミネタロウMY BOOMを綴ってきましたけど、そんな流れで望月ミネタロウ以外で安達哲「キラキラ!」10数年ぶりに読んでみてえなあと思って本棚探すも、、、ない、、と気づいたのが数日前。またさあ、この辺の作品ってブックオフ行っても置いてねえんだわ。「そんなときこそ電子じゃん」って、その通りなんですけどね。思い出し買いが電子書籍のよいところだってことはわかりますよ。だけどさあ、20年以上、30年以上前の漫画を電子で買って読んでみても「うーん、、」てこと多いんです。必ずしもそうじゃねえっつうーか。石渡治が少年サンデーで連載してた「火の玉ボーイ」のバンド編だけ読みたくて先月電子で購入してみたものの、なんか違うんです。そりゃそうじゃん。ストーリー展開、コマ割りなどなど、、紙の誌面を想定して描かれた作品なんだもの。特に見開きが多い作品はつらいよ。いちいちタブレットを動かして1枚絵として読むって手があるのは知ってます。そういうことじゃねえんだ。見開き多用連続の車田正美「リングにかけろ」とかどうすんのさ。あれこそ電子用に仕様やり直し必須なんじゃねえかなと思います。なので必ずしも旧作はデジタルでって風潮は違うよね。やっぱ紙用で描かれた味わいは紙じゃなきゃ100%再現できませんよ。


音楽でいえばこうだ。サブスクで体験したことがない旧譜、新譜の波にヤラれてCDなりレコードなりを所有するって理想の流れだと思うんです。中にはサブスクonly体験があってもいい。実際ボクもそういうの多いし。数年前からはっきり分けたんですよね、この作品は電子、この作家は紙で持っておこうって。一枚絵で語れる作家はやっぱ持っていたいですよ。紙という存在できっちり本棚に並べておきたいもん。


とまあ、好き勝手書いてみたけど誰かボクの「バタアシ金魚」1巻の行方を知らないかい?ブームに流され書棚調べてみたら見事に1、2巻が欠けてんの。2巻は買い直しましたよ、ブックオフで。誰かに貸したんだろうなァ。1巻返してくんないかなあ、頼むよ、ホンマ。買ったほうが早いんだろうけどさ。心当たりあるひとはさっさとボクに返すように。電子書籍じゃ味わえんのよ。ボクはこの時代のヤングマガジンコミックスの装丁大好きだな。チャンピオンコミックスと並ぶグッドデザイン。どうせ返ってこないんだし、買い直しかね。どう思います?

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鈴木ダイスケ
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