散文詩 雨/可愛い人(2010年)

その夢の向こう側で、あなたはわたしを知っている、あなたはわたしを呼んでいる、わたしの瞳を読んでいる――写真になった、記憶になった、わたしの瞳を、諳んじている、その髪の毛が揺れる、いつか、とても長い、激しい雨が降っていたのを憶えている、何度も、そこに貫かれる、つづけざまに降ってくる雨に打たれるように、何度も、その場所に貫かれる、そこでわたしたちは気付かないうちに、言葉でできた透明な網の目の中に囚われて、息もすることも出来ずに、ものになってしまったみたいに見える、そこでは生きているものは何もない――いつか見た夢のなかで、あなたの父親は仕事をなくした、あなたの母親は7月3日に死んだと聞かされた、あなたの部屋のドアにはすべてを解き明かしてくれると言い張る注意書きが書かれていて、あなたは人から長い物語を聞かされる嫌いだと書いてある、わたしは暗い森のなかを、いつまでも歩いている――それはわたしが、降りそそいでくる雨の中に、流れ続けている河の水面に、自分自身の、わたしたち自身の、鏡を見つけるようになるよりも、ずっと昔のこと――そう、少し前にあったことだった筈なのにずっと昔に感じられる、昨日の夜とても激しい雨音のせいでわたしは目が覚めた、その雨音の中に、わたしたちが別々にすごしてきた時間が、それからわたしたちの見た夢や幻が、まるで一つ一つがなぞめいた音色やきらめきを響かせている、美しい不純物になって、隠れているみたいで、とても懐かしい心持でいられた――きっとすべてが、世界中がものになって、いきているものの、何一つ無い空間に、変わってしまったとしても、わたしたちは水の中に生まれかわって、そこで生きていくことができるのかもしれない、そこでなら、わたしたちの種族がこれまで築き上げてきたものもみんな、とても透明に透き通った、しなやかな糸のつながりにしか、見えなくなるのかもしれない、わたしたちは、罠にかけるものもいなくなった、罠のなかにしがみついて、夜明けの光や黄昏の光を浴びながら、きらめいている雨のしずくと、変わらなくなる、そうして風が吹けばもうそこから見えなくなって、どこにもいなくなってしまう――そしたらわたしたちは世界中をめぐることができるだろう、すべてが、言葉よりもずっと確かにものになって、死んでいくことと生まれてくることの、暗いあわいの河の中を、魚のように、骨も体も、なにかしなやかな水晶のような物質に染め上げられて、何も見えずに、考える必要もなくなって――本当は魚よりももっと純粋な水のように、泳いでいくことが、できるでしょう――あなたのことを、遠いところに住んでいる、あなたのことを思うとそういうことを考える――だけれど、あなたは、あなたの記憶が夢見たあなた自身であるようなわたしが、あなたの見る夢の中に何度も入り込んで、あなたをずっと見つめていると、訴えていた――そうしてそのまま、わたしに向かって、自分でつけた切り裂き傷を、見せ付けるように、示しだしていた――その傷口は目のように、それは引き裂かれた花のように、それはわたしに向かって今何かを始めて告げようとして、そうしてそのまま、不安のあまりに、かすかに震えているくちもとみたいに――わたしのことを、見ていたの、それはとてもきれいだと思った――わたしはそんな風にわたしの記憶が夢見たわたし自身であるようなあなたが、どこかでわたしを呼んでいる声を聴いていた、まるでその声がわたし自身のものであるかのように――だけれどあなたはわたしじゃない、そうしてそんな風にわたしたちはきれいにすれ違ってしまうのでしょう、そうしてその向こう側にあなたがいるのを感じて美しいと思うのでしょう、だけれどあなたは、まるでわたしがそのことをさせたようにして、わたしのせいで、そうなったみたいな表情でもって、少し悔しそうな表情でもって――わたしに向かって、わたしを見据えて――言葉で作った自分の体を――傷付けて、いたの、自分の体に、壊れた言葉で、作った杭を、打ち込むみたいに――わたしにはそのことがとても可愛らしいとさえ思った、だってあなたはわたしじゃないから、わたしではないのに、いつかわたしがその場所にいたことを、あなたの場所に、いたことを――いつかの季節を、思い出させてくれるから――可愛い人――いつまでも、いつまでも、その場所ではいつまでも雨が降っている――とても遠い過去から、未来から、いつまでも、その音を聴きながら、耳を澄ましながら、その雨音を、暗い夜の闇の中に落ちていく、数限りない、無色で透明なしずくたちの、鳴いているみたいな、そうして何かを――果たされなかった、途切れてしまった、夢や願いを、訴えているみたいな、言葉にならない、暗い響きを、追いかけていると――わたしは少し、心がやすらぐ――そう、いつの日にか、この雨があがって、言葉もどこかに流れて消えたら、わたしたちはどこにもいなくなる、そうしてそのことが、なぜだかわたしにはとても懐かしい、だってそこには、誰もいないから――そうしてわたしは、ひとりになって――いつまでも届かないものが、もうすぐ近くにあるような、ひとつの予感になぞらうように、同じ一つの時間について、同じ一つの季節について――いつまでもいつまでも、話し続けるのを、やめないでいる――そう、今のわたしにはすべてがとてもよそよそしい、血の通っていない、言葉の牢獄にとらわれて、すべてがよそよそしい物体に変わってしまった空間に、いつまでもいつまでも、とらえられてしまっているようなような、気がする――そうして、ここには、あなたはいない――そう、わたしは寂しくなんてないのかもしれない、悲しくなんて、ないのかもしれない、何があっても、平気かもしれない――だけれど、なにかがわたしを赦してくれない、なにかがわたしを離してくれない、なにかがわたしを離させてくれない、なにかがあなたをあきらめさせてくれない、眠らせることも、未来を描くことも、赦されないまま――容赦のないまま、ひとつの声が、わたしの声を、どこかにむけて、押し出していくのを感じる――わたしはどこにいくのだろう――外では雨が降っている、そうしてその音を聴いていると、わたしの中にも、無色透明な水分が、いつまでもいつまでも降っているのを感じられる、雨の中に溶けていった時のかけらが、言葉にならない、時のかけらが、自分の声を聴いてもらうことのできる場所を見つけ出して、そうして歌っているのがわかる――曇り空から、暗い空から、降り注いでくる、冷たさのシャワーを浴びている地上で――その夢の中で、わたしたちは、混ざり合って、愛だとか憎しみだとか、怒りも不安も、喜びも悲しみも、美しさも醜さも、自分も他人も、真実も虚構も、名前も形も、色も重さも――何の区別もつかなくなって、人間ではなくなってしまう夢を見ていた――そうして、あなたは、まるでおとぎ話のなかに閉じ込められて、空想の中に、とりとめられて――自分の根拠を探しても、なんにも見つからないままで、自分自身を、形作っている風景の骨格が――たががゆるんで、間接が外れて、ひずんでいくのが、怖いと言って――訴えるようなまなざしで、わたしのことを、見ていたの、可愛い人――そうして、わたしは、自分自身を傷つけることも、まったくなしに、そんなことを、そういうことを、思うような人――幾重にも証明されて、反証された言葉が、水鏡のなかに映し出されて――いつかその水の中に溶け合って、死んでしまいたいとよく思った、それは無生物の中に、それはひとつに、還るということ――いつか、こんな風に強い雨が降った夜の中で、同じことを考えていた――わたしたちはどこにいくのだろう――わたしは、いちばんはじめに口にした言葉のあとで、誰かが予言した未来を変えることができるのかをよく考えていた、いつかわたしのせいで、誰かがひどく苦しんでいる様子を見るのが、わたしにはとてもやさしいと思った、それは、不幸の中にくずおれていくわたしの世界を、わたし自身に認めさせてくれることができるから――そんなわたしのまなざしを、そんなわたしの歌声を――あなたはとても、怖かったのだと思う――ううん、それだけじゃない、本当に、本当に不安で仕方がなかったのかもしれない――そうだったのなら、いいのにと思う、そう、そんな風だったらいいのにとよく思う――そうしたらわたしは少し安心するだろう、これはわたしの思い通りだと、自分に向かって、言い聞かせながら――だってその方が本当らしい、だってその方が、生きてるみたいな、感じがするから――わたしのことが、ほしいと言うなら、自分をあなたに差し出したかった、わたしのことが、いらないというなら、わたしはもうあなたの目につかない場所にまで、行きたいと思った――だけれどあなたは、ここにはいない、そうしてずっと、遠く離れた、今までと同じ、空間で、暮らしているみたいに見える、ずっと、同じに――過去という名の、鮮やかな緋色と、夜という名の、黒い色とが、混ざり合っていく、二色の溶き絵の具みたいに模様を作って――高い空から、冷ややかな雪が、降ってくる――そういう景色を連想させる、言葉の鎖に、仕切られて――心も体も、水晶みたいに、まるで光とかすかな震えでだけで、話をすることができるんだって、信じているみたいに見える、そういうふうに、つめたいそぶりで、しずかになって――わたしの姿が、自分の期待が、崩れるみたいに、預けたものが、なくなるみたいに、周りの景色が、壊れるみたいに、理由もなしに、不安になって――わたしのことを、怖がって、いたの、可愛い人、わたしの大切な、可愛らしい恋人――それなのにどうして、今でも、わたしのことを、そんな風に見ているの?それなのにどうして、あんな風にわたしのことを、追いかけていたの?――それなのにどうして、あんな風に、わたしのことを、憎んでいたの?――光のささない、夜の小部屋に閉じ込められて、自分を照らす、何かを探して――必死になって、手探りしている、年端もいかない、こどもみたいに―――

ずっと前から、わたしはいつでも、そばにいたのに。

(2010年執筆 2012年推敲)

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