ふるさと納税考・改

以前に「ふるさと納税考」という記事を書きましたが、
単に、何も考えない金持ちをdisっただけのようになってしまい、
ちょっとどうかと思ったので、もう少しまともなことを書こうかと。

いつ前回の補足をすれば、
住民税は累進課税ではないことは知っておいてほしいかと。

所得税は累進課税ですが、住民税は一律10%です。
なので、高所得者が過剰に負担させられていることはありません。

なので、「とてもたくさん払っているからいいだろう」という、
高所得者がよくいう論理は通用しないということ。

と、また高所得者のdisりが始まってしまいそうなのでこのくらいにして、
「ふるさと納税」について話すことがあって、
その時にふと出てきたことを今回は書こうかと。

そこまでたいした話ではないのですが、
つまり、今回の話は「受益者負担」がキーワードですよね。

そもそもの「ふるさと納税」のはじまりは、
地方出身者が進学や就職に際して都心に出てしまい、
そこから、「受益と負担の関係」が崩れているという話。

子どものころは、教育をはじめとして出身自治体の世話となり、
ある意味で「受益」を受ける一方だったわけです。

本来ならば、そのまま大人になって、その自治体で働き始めて、
所得税なりなんなりを収めることで「負担」をしていく。

そういった「出世払い」が期待されているわけですが、
結果的には、都会に出てしまったまま戻ってこないため、
見返りがなされないまま終わっていってしまう。

だから、「ふるさと」に恩返しするというのが「ふるさと納税」で、
もともとの発想はそのようなものだったはずなのです。

ただ、あくまでも「税」は住んでいる自治体に払うもので、
住んでいないところに税を納めるというのはなかなか難しいし、
どうやって「ふるさと」を認定するのかというのも問題で、
そこで「寄付」という形に収まったのでしょう。

それが、現在問題となっている「返礼品合戦」へとつながり、
その「返礼品合戦」が、本来あるべき「受益と負担の関係」を崩した。

「受益者負担」を実現させようとして「受益者負担」を壊した。

ということを考えたのです。

思った通りに制度を動かすのは難しいことがよくわかります。

人々の行動を方向付ける方法としては、
規制するか、インセンティブを与えるかでしょうけど、
そのインセンティブが今回は間違った方向に行ってしまったので、
規制の方向へと向かうわけですね。

日本は「恥」の文化だと言ったりもしますが、
そんなこと全くないなー、と思うようなことが最近多い気がします。

ただ、前回の記事にも書いていますが、
本来考えるべきは、地域振興をどうするかということ。

それはつまり、国全体の在り方を考えることでもあります。
そんなこと今の政治家・官僚には期待できないな。