老いと恋と
パソコンやスマホをいじっている時に、間違って自分の顔が不意にドアップで映し出されることがあり、その気の抜けた顔に驚愕することがたまにありませんか?
「いやー老けた。」とか「気持ち悪。」とか「ブサっ。」とかね。
自分を美化していたことに驚かされますよ。本当に現実とは残酷で恐ろしいものです。そりゃアプリで盛りたくなるのも分かります。
50代になると、「モテたい。」とか「カッコイイ。」とかから解放されるといいますか、そういうものへの関心が薄れてしまったのでしょうね。そこから一気に老いが加速度を上げて、容赦無く醜い姿へと仕上がってしまったのです。張りのあった顔もたるみ、腹はポッコリと出ている始末。
だって、この年齢になると自分についつい甘くなる。太ると分かっているのに、から揚げについつい手が伸びる。重々分かっているんです。「駄目だよ。」って頭の中で言っている声も、ちゃんと聞こえてはいるんです。「でも、食べたい!」が勝っちゃうから食べちゃう。
カツカレーだってカロリーモンスターなの知ってるんです。でも、甘やかしてしまう。なんせ、カツカレーは裏切らない。初めて入る飲食店なんか、失敗したくないので、メニューにカツカレーがあったら確実に注文しちゃいますよ。愛や恋は裏切りもありますけど、カツカレーが私を裏切ったことなど一度もありません。それこそ無性の愛の形かもしれません。ならば私は受け入れるしかありません。カツカレーは愛そのものです。
モテなくて良いってことは、なんて素晴らしいんだ。我慢からも晴れて卒業!って、散々自分を甘やかした結果、気がつくと体重は18Kgも増量。髪の毛も腰がなく、額も上がりつつある。おまけに近頃じゃ膝も痛い。グルコサミンやらコンドロイチンやら毎日お世話になっています。
若い頃は、そりゃモテたくて努力してたんですよ。その努力している自分も愛おしいんです。揚げ物を我慢している自分が大好きなんです。もう自己愛というか、自己陶酔や自己暗示。人に好かれる前に、自分を好きにならなきゃモテる自分に近づけないのです。
そう考えると、今も昔も自分が可愛いというマインドからの行動だったのが、たった今判明してしまった。
だがしかし、冒頭の現実が待っていた。全然可愛くないじゃないか。なぜこんな自分を甘やかしてしまうのか、もう摩訶不思議だ。この醜態からの脱却は、自分に恋愛モードを取り戻すミッションを課すしかないぞ。
もう恋なんかをせにゃならんという事で、老いた身体で恋愛モードに埋没していくのですが、実体験なんてのは遠い昔の事ですから、なんともぼんやりとして、只々甘酸っぱいよなって記憶しかないのです。
「恋ってどんな感じだったろう?」
そうだ、片想いって良い感じだ。胸が締め付けられる感覚。それを取り戻したら、老いを止められるかもしれない。食事も喉が通らない想い。いや待て待て、カレーは飲み物になってしまったし、ご飯のおかわり自由だったら3杯は食べてしまう。1杯目は漬物で、2杯目はタルタルソースたっぷりのチキン南蛮で、3杯目はオプションの生卵でTKG。更に調子が良ければ4杯目は、変更したあさり汁のあさりをトッピングした出汁茶漬けでフィニッシュ。こんな食欲モンスターと化した私が、恋心を思い出せるのだろうか?
更に問題なのは、恋愛対象が居ない。スマホの写真フォルダにしたって、愛犬と飯写しかない。もはや恋愛を捨て、愛犬の癒しと自分への飯テロという人生を、ただひたすら突き進んでいるではないか。
いや待て、今更ながら失恋なんて恐怖でしかない。もはや恋愛に関しての勝算などないではないか。ならばどうする?
「作詞でもしてみるか。」
恋愛ソングを書いて、疑似恋愛による覚醒を目指すというミッションを発動してみる。テーマはやはり片想いが良いだろう。片思いといえば、なかなか想いを伝えられない感じが良いだろう。それを比喩的に表現するとしたら、ラムネ瓶が良い。ラムネ瓶のビー玉が、言い出せない想いに似ている。ラムネ瓶のビー玉は、瓶を割らないと出せない。それは自分の殻を破らないと告白出来ない隠喩として相応しい。
タイトルは[君とラムネ]にしよう。青春の感じがするではないか。甘い清涼感が漂ってきた。学生時代を思い返してみよう。意中の人は、遠くから眺める感じだ。電車の中や、バスの中、教室や体育館。校庭なんかもそう。常に視線の先にはその娘がいる。うん、なんて片想いの世界じゃないか。
その娘は天真爛漫な感じが良いかな。もう眩しいくらいキラキラとしている感じ。クラスのマドンナだろう。今時、マドンナって言うのか?まあ、そこら辺のジェネレーションギャップは割愛しておく。
キラキラと輝く存在。それに群がる男子。まるで、夜の街頭に引き寄せられた沢山の蛾のような生き物じゃないか。私達モテない男子は、蛾だったのか。そりゃ叶わぬ恋だ。せめて歌詞の中の男子は、キモさが出ないように注意を払おう。それで過去の蛾たちの想いを成仏させてあげなくてはならないのだ。
[君とラムネ]
夏の風が吹き込んだ 電車に揺られながら
流れる車窓に映る 君に見惚れていた
僕に気づいた君は 友達と駆け寄ってきて
「おはよう」と言って肩をぶつけてきた
握り締めた吊り革がどうにか
気持ちを落ち着かせようとしたけれど
もうキュンと来たね
陽射しが音を立てて 僕たちを包み込んだら
きらめいた君の笑顔で 僕の心はあっさり弾け飛んだ
もう急に来たね
去年の夏が嘘みたい 夏の副作用が心刺激するから
さあ恋を始めよう 予定ビッシリ詰め込んだら
真夏の太陽に透けて見えた ラムネのビー玉みたいに
出せない気持ちが 僕の心でカラカラ鳴っていた
神社の境内で友達と 偶然の出会いを待っていた
りんご飴を落とさぬ様に 君を探していた
手を振る君の姿 気が付いた僕のところへ
「見つけた」って駆け寄ってきてくれた
見慣れない下駄と浴衣姿が
君を大人色に染め上げていたのさ
もうキュンと来たね
柔らかな綿飴みたいに 溶けそうなこの想いが
きらめいた君の横顔で 僕は視線は君の虜になった
もう急に来たね
ああ僕は叫びたい 止められないこのときめきがほら
もう恋が始まる ソーダの刺激で弾け飛んだよ
意識し合う二人の沈黙に 三日月もキュンとしてるから
話せない時間に 風鈴が夜にチリリと鳴っていた
ひまわり畑をすり抜けて 入道雲を追いかけた
重ねた鼓動が続くように ペダルを漕いでいた
海に気づいた君は 耳元ではしゃいでいた
「頑張れ」と言って強く抱きしめてくれた
僕が握り締めていたのはこの時間だった
ずっと二人このまま居れたなら
もうキュンと来たね
恋心が音を立てて 僕たちを包み込んだら
きらめいた太陽の光で 僕らの心はあっさり弾け飛んだ
もう君に夢中
今年の夏は夢みたい 夏の副作用が心刺激するから
さあ恋は走り出した 予定ビッシリ詰め込んだら
真夏の太陽に透けて見えた 二人のラムネのビー玉が
君が好きだと 互いの心でカラカラ鳴っていた
よし、歌詞は書けた。
あぐらで書いていたから、膝が痛むけれど、こんなおじさんになっても、あの頃の気持ちを思い出せるものだ。あとは、自分の姿を見てもびっくりしない様に、アンチエイジングでも心掛けて、心まで老け込まない様に頑張ってみようか。勿論、モテようなんて烏滸がましいことは考えておりません。心のアンチエイジングは、忘れかけていたものを思い出させてくれた気がする。作詞をしてみると、なんだか心がウキウキしてきたようなきがする。歌詞はフィクションですが、そんな恋を体験したような、映画を一本観終わったような感じかな。続けてみるのも悪くないぞ。
でも、こうして書き終えると、夏だからカツカレーが食べたい。普通ならば、ラムネを飲みたくなるんだろか?
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