五度目の誕生日と消えない希死念慮

五度目の誕生日と消えない希死念慮の話。

今市隆二くんを好きになって迎える五度目の彼の誕生日。ケーキは苦手なので彼の好きな家系ラーメンを食べる。けれど中年の私は段々と家系ラーメンも体が受け付けなくなってきた。私は一体彼の誕生日をどう祝えばいいのだろうか。

私は世間に疎い。本当に世の中で流行っているものが分からない。子供の頃に俗に言う逆張りで流行っているものとかwみたいなことをしてしまったせいで、流行っているものの情報のキャッチの仕方も乗り方も全く分からないおばさんになってしまった。
そんなおばさんでもR.Y.U.S.E.I.くらいは知っていた。裏を返せばR.Y.U.S.E.I.以外何も知らなかった。2019年の段階で私は三代目が何人組かも知らなかった。
そんな私がひょんなことから今市隆二くんを推すことにした。きっかけは割愛する。定期的にバズって回ってくる文章の上手な人たちが面白おかしくドラマチックに出会いを書いているようには話せないから。私の人生にドラマは起こらない。
それでも私は2020年の春、世界中に閉塞感が蔓延する中で洗礼と祝福を受けたように隆二くんを好きになった。

ちょうどその頃は最初の緊急事態宣言の真っ只中で、私も狭い単身用マンションの一部屋で不安な日々を過ごしていた。私は子供の頃から体が弱く、さらに肺に疾患があるので肺炎になんて罹ったら多分助からないし故郷で暮らす両親も70近い高齢なのでかなり危ない、極めつけには親戚が罹患して亡くなった、そんな強烈なストレスを感じながら過ごしていてテコでも動かない豊満ボディが売りの私がたった3ヶ月で8kg痩せた。特にワクチンが出来るまでの一年間は不安で不安でおかしくなりそうだった。(ちなみにワクチンを接種した後で8kg太った)
その間、私の心の支えは完全に隆二くんだった。

2020年9月2日、彼を好きになって初めて迎える彼の誕生日、私は百合の花と小さなケーキを買った。在宅ワークをしていた粗末な机にそっとそれらを乗せて、アクスタを並べて写真を撮った。どこに公開することもないけれど、私は初めて彼の誕生日を祝った。嬉しかった。この世界に誕生日を祝いたい人が存在していることがすごく嬉しかった。彼が生きていることが嬉しかった。
生きている、ただそれだけで嬉しいと心の底から思った。

さて、ここからは本当に私の個人的な話になるが、私には希死念慮が消えないという悩みがある。とにかく死にたい。いつも、なにをしていても、とにかく死にたいのだ。頭がおかしいと自分でも思う。でも本当に死にたい。
過去には手首を切ったり大量服薬したり首を吊ってみたりもしたことがある。
ちなみに私は根本アホな人間なので、手首を切ったらとっても痛くて死ぬような深さでなんてとても切れなかったし、風邪薬をひと瓶お酒で飲んだら気持ち悪くて気持ち悪くて全部吐いてスッキリ元気になったし、首を吊った時はお恥ずかしや紐をかけたところが私の美味しそうな体の重みに耐え切れず壊れて尻餅をついた。一生格好がつかない、キメなきゃいけないときにキメられない人生だ。
でもそんなことをアクティブにしてみたのも20代前半までで、20代後半になるとなんとなく落ち着いた。希死念慮は常にあったけれど、どこかで「はいはいかまってちゃん乙」みたいな感じに自分自身なって行き、死にたいをベースに持ちながら案外普通に日常生活を送るようになっていた。普通に就職もしていたし毎日朝から晩まで正社員で働いている。
ちなみに三代目がデビューをしたことは何となく知っていた。なんかEXILE系らしい、みたいな良くある何も知らない世間の認識程度だが。

そもそも私が死にたいと思うようになったのは小学三年生、8歳のときだ。今思えば多分あの「死にたい」は死にたいではなかったのだろうけれど、あの頃抱えていた生きづらさやもやもやしたものをきちんと言語化出来ないまま「死にたい」という便利な言葉でラベリングしてしまった。これが全ての間違いだった。
死にたいって、実はすごく簡単で便利な思想だ。問題を分析しなくていい、対策立案しなくていい、是正処置もしなくていい、ただ全てを投げ出して命を捨てればそれで全て解決なのだから。無責任で愚かな思想。けれど私はそれをまだまだこれから色んなことを覚えていくはずの8歳で手に入れてしまったから、自分の感情の中身すらよく分からないで育ってしまう羽目になった。
だから今でも、私には自分の気持ちがよく分からない。本当は向き合って考えなければならなかった気持ちを全て死にたいで片付けて生きてきてしまったから。あれから何十年、私はずっと死にたい死にたいと思い続けて生きている。

隆二くんは繊細なひとだけれど、健やかな人のように私には見える。わからない、そう「見せてくれている」だけかも知れないけれど。でも私には健やかな人に見える。きっと彼は8歳の女の子が死にたいと思ったことも、その8歳の女の子が中年のおばさんになるまで死にたいと思い続けていることも、そしてなのに死なないことも、何一つ理解出来ないのだろうと思う。そんな人がいるなんて、想像したこともないのだろうと。そういう人がいたとして、それは何かとても悲しいこと辛いことがあって、どうにも耐えられなかったのだろうとドラマチックな出来事を想像して胸を痛めるのだろう。
こんな、ただの会社員が何のドラマも起きない平凡な人生をただ生きているだけでしんどくて死にたいと思っているなんていうことは、彼の世界にはないのだろうなと思う。ただ何となく、自分は生きるのに向いていないから死んでしまいたいなんて、考えたこともないのだろうな。
彼と私は(そういった意味で)住む世界の違う人間なのだ。隆二くんは私の人生にいなかったびっくりするほど健やかな人だ。

でも、だから私は彼が好きだ。健やかに生きてきた彼のことが眩しくて愛しい。私の染みついた希死念慮が消えることはないけれど、世の中にはこんなにも健やかに生きてこられた人がいるのだと思うとこの世界は捨てたもんじゃないのだと思えるから。こんな私にだって希望は必要だ。希望がないと人は生きていけない。

事実、隆二くんを好きになってからの私は格段にアクティブで明るくなった。別に元々暗い人間ではないしというより明るい人間ではあるのだが、何となくそうなりきれないところはずっとあった。だって死にたかったから。でも隆二くんを好きになって、今まで心にロックがかかって出来なかったことにチャレンジをしたり、怖くて踏み出せなかった新しいことも始めた。人をたくさん褒めるようになった。悪口を言わなくなった。好きな人には好きと伝えるようになった。
死にたい気持ちを抱えたまま、それでも明るく健やかに私も生きてみたいと思った。思えている。今もなお。
私は隆二くんを好きになる前とは別人になったと思う。自分の悪いところと向き合って、(直せているかは別として)直そうと努力している。小さな頃から死にたいの一言で片付けていた自分の生きづらさと向き合いながら、でもやっぱり死にたいと思ってしまう自分ごと愛していこうと今は思っている。
隆二くんが私を変えてくれた。それはきっとこの先、私の愛が隆二くんに向かなくなっても変わらずに残りつづける事実。私の人生にとって隆二くんは特別な人になった。いつかこのまま隆二くんを好きでいたら私の希死念慮もなくなるだろうかなんてあり得ない夢物語を見てしまうくらい、隆二くんは健やかで清らかな人だから。

毎年隆二くんの誕生日を祝って、今日は5回目の9月2日。私は相変わらず希死念慮に塗れて苦しいけれど、今日を迎えられてよかったと思う。隆二くんの38歳が幸せな歳であることを強く願う。

5回目の誕生日なんて区切りがいいから、私はこの気持ちをここに綴ることにした。隆二くんのような健やかな人をこんな希死念慮まみれの人間が好きになってしまったという罪悪感がこんなに長い文章を書かせた。
来年の今日、私が生きているかは分からない。けれど私が生きてようがいまいが彼の世界には関係ない。それが良い、深く考えなくて済むから。私が行かなくてもライブの席は埋まる。今年のRILYS NIGHTは本当にチケットが取れなかった。今日の武道館もなかなかに座席の出回りは少ない。その事実は安心と寂しさを同時に与えてくれる。私という群集の中の一人が消えたところで彼に影響はない。それくらいが心地良い。私は明日死ぬかもしれないけれど、明日私が死んだとて今市隆二は止まらない。それで良い。だって私は死にたいから。

彼が毎年の9月2日を幸せに迎えられたらいいと強く願う。彼が毎年沢山の人に誕生日を祝福されて、そしてこれから先花道だけを歩いていけることを私はここで祈っています。
愛を込めて。

2024.9.2

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