推しが地元にやってきた。
推しが地元にやって来た。
2024年5月16日、推しが地元でライブをすることになった。私の生まれ故郷栃木県宇都宮市で。勿論、宇都宮市文化会館大ホールで。
何が「勿論」なのかと言うと、栃木県でライブをするなら文化会館、文化会館で出来るなんてスター、「私の推し、文化会館でコンサートしたのよ」なんて親戚の集まりでちょっとした自慢が出来る、栃木県民にとって文化会館とはそういう場所なのだ。
それと同時に、すごく身近な場所でもある。私が生まれて初めて出たKAWAIオルガン教室の発表会は文化会館大ホールで行われたし、中学の部活の大会も文化会館の大ホールだった。今は亡き母方の祖母が大会を見に来てくれたことを今でも覚えている。私にとって文化会館は幼少期の思い出と共に存在する、そんな会場でもあるのだ。
前回のRILYS NIGHTで栃木はなかった。残念に思うと同時にまぁ当たり前だとも思った。何せ文化会館は交通の便が悪い。車のない人間がどうやって行くのだと本気で思っている。電車もバスも、ないわけではないがあれをあるというには無理がある程度だ。だからすぐに諦めがついた。ちなみにすぐに諦めるのは県民性だと思う。
けれど二度目のRILYS NIGHT、なんと栃木公演があったのだ。嘘だろ?!今市隆二が、我が故郷に?!激しく動揺して、訳が分からなくなって実母にLINEをして、とりあえず泣いて、翌日JSB LANDでお友達と会ってわあわあと大騒ぎをした。人生でこんなことが起こるなんて思いもしなかった。私の街に、推しが来る?!?!?!
さて去る2024年5月16日木曜日。天気は曇天。午前中は少し雨も降っていた。私は朝からずっと涙目で支度をして、父に送ってもらう車の中でもよく分からないことを喚き続け、そして物販列に並んでいる間は中学三年の時に文化会館の隣にある図書館に当時好きだった子と二人で自転車を漕いで勉強しに来たななんて思い出をうん十年ぶりに記憶の片隅から引っ張り出してくるくらい気が気でなかった。ちょうど見かけた百葉箱の写真も何故か撮った。それくらい動揺していた。ご当地ライジーの個数制限10に「そんなの転売ヤーしか買わないわ!5で十分よ5で!」とずっと思っていたのにまさかの10個満杯買った。自分用、母用父用叔母用地元の友人用エトセトラエトセトラで本当に10個全て御入用だった。10は適正な数だった。
その後友人たちと落ち合い食事をしたりお茶をしたのだが正直上の空だったと思う。せっかく地元に友人たちが来たのに失礼千万だった。けれどどうにもダメだった。私に取って隆二くんが文化会館に来るなんて、到底受け止められない事実だったのだ。
正直、嘘なんじゃないか夢なんじゃないかと発表されてから五ヶ月思い続けて来た。幕が開くその瞬間までずっとずっと怖かった。実はドッキリか何かで、RILYS NIGHT栃木公演なんてないんじゃないか。客席に座ってもまだそんなことを考え、ライジーをぎゅうと抱きしめて待っていた。ライジーは痛かったと思う、ごめんね。
そして、幕は開いた。嘘じゃなかった。本当に、今市隆二がそこにいた。
もうそこからのことは言葉になんて出来ない。ただただ勝手に涙が出て来た。全ての瞬間を目に焼き付けようと思い、息遣いひとつだって聞き逃したくなくて、今目の前にある奇跡をどんな小さなことでも忘れたくないと思った。
それと同時に、このライブを絶対に良いものにしたいと思った。隆二くんにとって今日のライブは良かったと思ってもらいたい。だから私はうんと声を出した。キャーとかヒューとかイエーとか、ここは出すべき場所という場所全てで喉が枯れるまで叫んだ。私は普段声を出さないタイプなのだけれど(それはコロナ禍よりも前からずっと)、歓声がライブを作るひとつの要素なのだと直前の山梨公演の二日間でまざまざと感じた私はとにかく必死だった。
隆二くんの歌に応えたい。観客があなたの歌に呼応しているのだと伝えたい。その一心で私は叫んだ。
私は自分の声が低いことが本当に小さな頃、幼稚園に入る前からずっとコンプレックスで、コンサートやライブで女の子の出す黄色い歓声が出せないことに自己嫌悪して、何十年もずっと黙ってライブを見て来た。けれど私は叫んだ。隆二くんにどうしても宇都宮公演を良かったと思ってもらいたかったから。
アンコールで隆二くんの名前を繰り返し叫びながら、何故だか泣けて来た。文化会館の椅子に座りながら、好きな人の名前を呼ぶ。大袈裟に感じるかもしれないが、本当に人生だと思った。私の今までの人生が走馬灯のように流れたし、今私はここにいる、そう思った。私の周りは誰も隆二くんの名前を呼ばなかった。歯痒かった。それでも私は名前を呼んだ。後ろの方ですごく頑張っていた女の子の声が聞こえた。ありがとうありがとうと心の中でお礼を言いながら私も叫んだ。低く籠った私の声はどこにも響かなかったかも知れないけれど、それでも私は照明が落ちるまで呼び続けた。だってこれは人生だから。
星屑のメモリーズはいつ何回聞いたって泣いてしまうけれど、今日という今日はもう本当に心の底から涙が出た。涙って体の真ん中から湧き上がるものなんだって初めて知った。沢山たくさん泣いて、一緒に歌って、ペンライトを振って、間違いなくあの瞬間私は幸せだった。この先私の愛が隆二くんから離れたとしても、今日のことを思い出して私は一生泣くだろう。そう思えるライブだった。
人の気持ちはうつろうものだし、私は割と飽きっぽい性格だ。だからいつまで隆二くんのことを好きかは分からない。それでも、今日のことは一生忘れない。
2024年5月16日、宇都宮市文化会館に今市隆二くんが来た。