自分のセクシャリティについて本気出して考えてみた

一、序章

できるだけ調べてみたけど、どういう分類なのかは見つけられなかった。

4要素に関してはこんな感じ。

身体的性…男

性自認…男

性的指向…どうやらここがとても面倒臭い

性表現…男


性的指向以外は本当にシンプルなので、性的指向にフォーカスしていく。

性的指向はどのような性に恋愛感情を抱くかってことらしい。

恋愛感情。

三十年以上生きてきたけど、たぶんまともに他人に恋愛感情を抱いたことが無い。

二、対女性

小学生の時までに、女の人のことが好きってのがあるにはあった。

ただ現実味が一つもなくて、相手のことをまともに見ていた記憶がない。

何となく言ってみただけという感じ。

小学生だしそんなもんと言えばそんなもんだけど、本当にそれだけでいいなら、今だって片想い中だ。

とてもフラットな意味で、それだけ。

というのも腑に落ちない理由が、確実に一つある。

その女の人たち全員に、そそられていなかった。

綺麗な表現がいいなら、ラブではなくライク。

触れたいとか、抱きしめたいとか一切思わない。

ストレートな表現でいいなら、全く勃たない。


小学生の時なら、それこそ問題は無いけど、三十代でそれはないだろう?

ここ二十年くらい、何度もそのことについて考えている。

マイノリティだったら珍しいことじゃないけれど。

結論としては女の人たちとは、友達になりたい。だけ。

どんなに深い仲になっても、絶対に勃たない。

仮に関係が発展したとしたならEDぶるか、

儀礼的に勃たせるか、どちらか。

相手に性的欲求をストレートにぶつけることはない。

なんならそれが礼儀みたいに思っちゃっている。

綺麗だと思うことも、可愛いと思うこともある。

ただ、綺麗だと思うのは努力や遺伝子、造形に対する礼賛で完結してしまうし、可愛いと思うのは本当に概念止まり。Kawaii。

小動物や赤ん坊と全く同じ。そこで完結する。

裸とか性的な姿を見ても、居た堪れなくなるのみ。

母親や親戚の子どものその姿を見た時と、完全に同じ反応。

三、対男性

小4。性の目覚めはたぶんそこ。

思い返してみると結局無関係なのだが、生えたのと同時期。

背がぐんと伸びるのも、毛が生えるのも、比較的早かった。

成長期が訪れたタイミングが、奇しくも女児と符合した。

精通もなんとそのタイミング。

小5になった頃には既にボーボーで、普通にオナニーしていた。

先に話した通り、女の人にそそられたことはない。

ズリネタは、その当時から一貫して男性だった。

ここだけ言えばただのゲイじゃん、ホモじゃん、なんだけども。

この辺はややこしいので後述するけど、ブレないのは、男相手には軽率に勃つこと。

色んなところを触りたいし、裸も見たいし、こねくり回したい。

気まぐれに試験的にノーマルなAV観ても、男優をその後ろからとか、女優さんに成り代わりたいとか、そういうことばかり考えてる。

四、性自認遍歴

アウティングは基本的にしないできているけど、圧倒的な男性への性的嗜好から、性自認は長らくゲイだった。

だけど当時からずっと、微妙に引っかかってはいた。

そもそも当時の時点で、上記4要素は整理されていない。自分の中では勿論のこと、社会的にも。

今ならちょっとググれば、4要素くらいには数秒で行き着く。

小4≒1999年。検索がそもそもできない。

まして、小学生が気軽に辿れる場所には。

検索できたとして、現在のような記事に辿り着けたか。

辿り着けたとして、成績は基本的に中の下、今でさえこんなにも日本語が不自由なのに。

そんな小学生がここまで理解できたか。

毎日のように考え、悩み、推敲してもこの程度。

当然ながら、色んなことに影響され、遠回りしてきた。

性自認もTS、性表現もゆくゆくは女性を目指すようになる、そういう人間なのかなと、何となく定義していた期間もそれなりにある。

例えば宇多田ヒカルさんのノンバイナリーの報道を見た時とか、何らかのきっかけで素直に自分と向き合い、いやいや性自認は男女どちらともしたくないぞと、確かに思った。

だけど、ステレオタイプな男性性を満たしていないからというだけで、まあこんなんでも男と自認していたいかなっていうのが今だったりする。

でもここは、たぶんこれからも幾度となく揺らぐと思う。


五、性表現


性表現は割とシンプル。これは早い段階から一貫している。

あくまで自己表現なので、理想が先行するが、

普通に男性向けのものを好きにセレクトする傾向。

あくまで傾向。

そもそも、男性らしさ、女性らしさにはなるべくなら固執したくない。

よって女性らしいから、という理由でセレクトすることはほぼ無い。

思い描くもの、選び取りたいものは一見、男性らしいものだが、自分が苦手な男性性は都合良く排除されている感じ。

その結果、傍から見てそこに女性性が帯びてくる可能性は大いにある。

究極、二択でその一方が自分の苦手な男性性を

帯びているくらいなら女性的なものを敢えて選ぶ、ということは大いにあると思うし。


六、性的指向がややこしいと結論づける理由1


先に言ってしまうと、そもそも家族観がややこしいからだ。

育ってきた家庭は、両親と兄と姉一人ずつ。

家の中の他人は、基本的に何らかの模範だった。

ジェンダーについて言うならば、性表現に対する手本だけは良い悪いどちらをとっても豊富だった。


両親は本人たちの間柄だけを言えば、いわゆる昭和的な、旧来的とも言える亭主関白家庭だ。

歳の離れた兄や姉から見ても、古い価値観に映っていたらしいほどには。

そんな兄姉もそれぞれマジョリティのようだし、男性としての手本、女性としての手本だった。

何が男性らしい、何が女性らしい、そしてどの程度縛られるべきではなく、どの程度倣うべきか、自分で選びやすい立場にいられた。

しかし、歳が離れたということもあり、どうしても家族の誰かが明確にノーとしたことに逆らうことはそうそうできない。

それでも彼らは甘やかしてくれた方ではあると思うが、ハードルがたとえ低くても、彼らの許容範囲を越えることはできない。

自分の考えは概ね是正される。生意気と一蹴されることなどもしばしば。

こうした不満が、家族というコミュニティに対する嫌悪感に繋がっていった。

父母を見て、自分が夫、父という立場にいずれなるのだ、ということに小学生段階から一貫して抵抗感を強かった。

父兄の男性性にも懐疑的だったし、家庭という容器の中の母姉が息苦しいはずなのに依存しているようにも見えていた。

所詮はどれも選択肢でしかないし、末っ子の立場だからこそ、その部分に対して自由な価値観を持てたというだけなのに。

家族など作りたくない。だから結婚もしたくない。

子作り、子育てなど以ての外。

根底にこれがある以上、理性の部分が働くうちはその発芽となる恋愛感情を芽生えさせられない。

やれ本能だ衝動だと皆無責任に言うけれど、自分の好意だの性欲だのってそんなに尊重すべきことなのか。

個人的には、例えば空を飛びたいだとか、人を殴りたいくらい淘汰すべき欲求になっている。


そんなものが根底にある以上、恋愛しろとか言われても、今からスワヒリ語だけを使って生活しろと言われてるのと同じレベルで、自分には困難なことだ。


七、性的志向がややこしいと結論付ける理由2


そもそも俺はスペックが低い。だから足掻いて踠いて醜く吠えた。

今まさに醜く吠えているわけだが。


昔から、できないことのほうが多かった。

末っ子である以上、自分だけができない環境に置かれやすくもあった。

努力して、できるようになったとしても及第点。

どころかスタートライン。

他人より秀でることなど何一つも無い。

とりあえず背伸びに背伸びを重ねて、できないことを糾弾され続けることから逃れること。

それが主目的なのだから、他人より秀でるところまでいけるわけがないのだ。

そのことに苛まれ、囚われ過ぎるところがあった。

そこから無限に生まれ続ける悔しさや遣る瀬無さを、競争相手である他男性への、逆恨みに転じさせるほどに。

自尊心や傲慢さがそこにあっても、露わにできるような機会は皆無なので、常に自己卑下している方が恥をかかずに済んだ。

結果、内心はミサンドリストでいる以外の生き方を選べなくなった。

これはもう、幼い時分から形成されていた。

このような醜悪な感情を常に持っている戒めとして、楽になる為の治療、病名を貰って、これは自分自身ではなく病気のせいなのだと責任転嫁することは絶対に許さないと決めている。

このような人間が、他人に性的な欲求をぶつけることは常に害だし、受け入れさせることは相手を害しているに他ならない。


男に劣情を抱くのは、行き場を失い続けた最後の攻撃性なのかもしれない。

ゲイとは、恋愛対象がたまたま同性なだけ。

相手を慈しみ、パートナーとして愛すことができる。

だから一種の暴力性を向けようとする人間が軽々しくゲイを自称してはいけない。

引っかかっていた部分は、まさにここだったのだと、今は思う。


八、まとめ


時々、不思議に思っていた。

関係を築くことに関して、より同性の方が苦手だった。

腹の中で逆恨みしているから。


小さな取っ掛かりを見つけては、僻んでいる。

そんな相手に、どうして勃起するのか。

こんな不良債権のような自分を押し付けることで、憂さを晴らしているからだ。

罪の意識を薄める為に、相手に攻めさせながら。

恨みを持っていない女性を加害しない為に、僕はいつの間にか反応しないようにできている。

一人で消えていく為に、生きてゆく。