実験演目、その後
あの日、私は指示役として選ばれていた。裸足道の実験演目「暗闇の火遊び」、それは葉月静瑠が挑む、恐ろしくも美しい試練だった――。
私は葉月静瑠のファンだった。彼女が高校生の頃から、全国大会で活躍する彼女の姿に目を奪われていたし、プロになってからは彼女が取り上げられた記事を全て集め、彼女の出る演目も可能な限り見に行った。
プロ裸足道家の「実験演目」は通常は非公開だ。今回は演目の趣旨上、若干名のテスターが募られて、私はそれに当選した。プロ裸足道家にとって実験演目は特別な意味を持つものだ。その演目の危険性を身を以て実証する人体実験であり、安全上の保証は何もない。極めて過酷かつ危険で、それゆえに裸足道家は実験演目を尊ぶ。これに挑むことこそ裸足道家の誉れだ。
葉月静瑠の実験演目を観戦できるだけでも嬉しいのに、そこに指示役の一人として参加できるなんて! 私は一生分の運を使い果たしたとさえ思った。
後で知ったことだが、私は「Bランク」の指示役として選ばれていた。裸足道家は必ずしも死ぬ必要はないが、最大限に苦しみ抜いて欲しいし、裸足道家が死んでしまっても仕方ない――、そういう立ち位置のファンだ。他二人の指示役は「Aランク」で、彼らは私よりも過激で、裸足道家は最大限に苦しみ抜いた末にぜひ死ぬべきだと考えていた。私が選ばれたのは、この試練にごく僅かな、静瑠の生還の可能性をもたらすためだったのだろう。
演目が始まった当初、静瑠は笑顔すら浮かべていた。その笑顔が消える時を私は心待ちにしていた。焼けた鉄板の上に立つ彼女は、目隠しをしたまま、燃え上がる薪を必死に足裏で押して運んだ。私たち指示役はもちろん彼女を赤丸の方へと誘導した。赤丸はハズレだ。赤丸だと告げられた静瑠はクスッと笑って、「また、ご指示をお願いします」と私たちに言った。
彼女から笑顔が消えたのは、焚き火を二往復させた頃……開始から一時間が過ぎた辺りだった。静瑠の足裏は真っ赤に腫れ上がり、焼け爛れ始めていた。彼女が漏らす小さな呻きは次第に絶叫へと変わり、私の心を躍らせた。それでも私たちはウソの指示を送り続け、静瑠は健気に従い続けた。足裏が焼ける激痛を味わいながら無意味な往復を繰り返す彼女の姿を、私は本当に幸せな気持ちで見つめていた。
私は静瑠が苦しみの海で溺れ続ける姿を私たち指示役はたっぷりと楽んでいた。しかし、18時間が経過した頃、私の心境に変化が訪れた。彼女の足裏は焼け爛れ、皮膚が剥がれ落ちていた。意識も朦朧としているようだった。あの時、私は彼女が本当に死にそうなことに気づいた。彼女が苦しむ姿をもっと楽しみたい気持ちも依然あったが、彼女を失うことの喪失感も意識し始めていた。
静瑠の苦しみようは、単なる苦痛ではなく、裸足道の芸術性そのものを表しているかのように見えた。その結果がどれほど壮絶であろうと、それは彼女が裸足道の究極の美学を体現することだとも思っていた。彼女が死ぬまで苦しむことで、その芸術が完成されるのも立派な結末ではある。だが、私はその美しさを生きて証明する葉月静瑠の姿も見たかった。彼女がこの試練を乗り越え、次の挑戦に進む姿を見たかった。
しかし、他の二人の指示役には彼女を救う気などさらさらなかった。彼らはウソの指示を次々と出し、静瑠を混乱させ続けた。私は正しい指示を出そうとしたが、彼らの声に紛れて、彼女がそれに従うことは難しかった。激痛で意識が朦朧としていた静瑠は、錯綜する指示に惑い、赤丸に焚き火を運び続けた。私は彼女を救おうと焦っていたが、二人の指示役は彼女の無惨な姿を心の底から楽しんでいた。
数え切れない程に、無意味に焚き火を往復させ続けた静瑠だが、22時間が経過した頃には、激痛と絶望により体力と気力が底をついたようだった。もはや動くこともままならなくなったのだ。「赤丸だ」と告げられた瞬間、彼女は絶望的な悲鳴を上げ、吊り上げられた鎖に支えられるまま、その場で足をバタバタと跳ねさせて苦しんだ。まるで死ぬ直前のゴキブリのような姿だった。
彼女の足裏から焦げた肉の匂いが立ち上り、皮膚が焼ける音が空気を震わせた。痛みは彼女の声帯を引き裂き、絶叫が会場に響き渡った。しかし、次第に悲鳴もか細くなり、55度の鉄板の上に立ち尽くしたまま、じっくりと足裏を焼き尽くされていった。
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