note 一部屋一輪でよいという提案
コロナ下で今まで以上に花と寄り添う時間で
思い出したこと、考えたこと、
まとめたら人生の指針ができました。
「花を買って、その後どうしたらいいのか分からない」
「すぐに枯らしてしまう気がして怖い」
「そもそも花屋さんに自分が入っていいのかな?と思う」
同年代の子たちとお話すると、度々こんなことを少しさびしそうに言われます。
花を買うのは経済的に余裕がある層や年配の方、なぜなら花はぜいたく品だから。
そんな前提で語られることもあり、事実花の消費金額は若い世代ほど少ないのですが(総務省統計局)
花が買われない理由はまた違うところにある気がしていました。
例えばタピオカミルクティーは明らかに値段の高い嗜好品ですが、若者たちはこぞってこれを買い求めます。
またそれは特別ぜいたくというわけでもなく、彼らの日常に馴染んでいます。
そしてあくまで私の体感ですが、花を飾ること=素敵なこと という認識はどの世代にもあるように感じます。
自分で花を飾ってみたいけれど、気が引けてしまう。
若者が花を買わない理由は値段でもなく、コンテンツとしての力不足でもなく、お花を買って飾ることのハードルにあるのではないでしょうか。
〇「ハレ」と「ケ」と花
日本には古くから「ハレ」と「ケ」という概念があります。
「ハレ」はお祭り事、特別なこと。神様への感謝やお祈り事をこめて手を掛け、習わしを守り、きちんと丁寧に食事や着物を用意します。
「ケ」は日常、自分の暮らし。毎日のお料理や普段着、心の拠り所になるいつものことです。
ときどき手を抜いてみたり、自分なりにアレンジしてみたり、失敗してみたりと自由です。
花を買って飾ることは特別できちんとしなければいけないこと、不格好ではいけないこと、失敗してはいけないこと
つまり「ハレ」のことという感覚が、ハードルを作っている要素の一つになっているのではないかと考えます。
同級生たちよりは比較的花に慣れている私自身、いざお家で花を束ねて生けるとなると
「自分は間違っているのではないか」
「間違った生け方をしては怒られるのではないか」
「きちんとできなくて花に申し訳ない」
という気持ちが生じてきます。
彼らが気が引けてしまったり、上手くできなくてちょっとへこむ気持ちもよく分かるのです。
そんな体験から「自分は花を生ける素質がない」と話してくれる子もいます。
せっかく花を綺麗だ、飾りたい、と思ってくれているのに、もったいないことです。
「気負わなくて大丈夫だよ」と言ってあげたい。
そこで私はきちんとできなくてもいい、生活の中にゆるく馴染んだ楽しみ方をすればいい、
そんな「ケの花」を提案したいと思い立ちました。
〇「ケの花」の思想
「ケの花」の要素は大きく3つ
①きちんとしなくていい
②枯らしてもいい
③自分なりに楽しむ
①については大まかにお話したので、まずは②から解説します。
よく耳にする「枯らすのが怖い」「いつか萎れちゃうから」という意見への私なりの解決策、考え方です。
・お花の目的を考えてみる
お花はそもそも生殖器官であり、子孫を残すためのもの。
切り花となったお花は自ら種を作ることはできませんが
あなたがお花屋さんで花を買う
→ 需要を感じたお花屋さんがお花を仕入れる
→ 需要を感じた農家さん・種苗会社さんがそのお花をまた作ったり、交配で新たな花を生み出す
という風に、回りまわってそのお花の命は続いていきます。その花は子孫を残すという本望を達成できるのです。
もちろん農家さんがわが子のように育ててくださったお花ですから、最大限楽しんであげるのはとても大切なことなのですが
「きれい」と思って選んで買ってくれた、その時点で、お花の生に十分貢献しているのだと思うのです。
だから、お家についたら、あとは安心してお花との時間を楽しんでほしい。
・「ハレ」は瞬間的な美しさを楽しみ、「ケ」は花と生きることを味わう
そもそも披露宴やパーティーの装花、きちんとホテルに飾られたお花といった「ハレ」の花は切り戻したり水を変えたりと長期的に飾ることを想定していません。
お花の一番綺麗な状態を楽しみ、枯れていく姿を見せる前に片づけられます。
本来花は必ず枯れるものですが、それを見せないのが「ハレ」の花です。
対して、いつか枯れていくことを前提として、刻々と表情を変えていくお花と共に生活することを楽しむのが「ケ」の花と考えます。
「枯れの美」を味わうこととも言えますね。
枯れてしまったら、「ああ枯れたな。一緒に生きてくれてありがとう」と思えばいい。
それは当たり前のことで、何も引け目を感じることはありません。
・「ケ」の花の思い出
次に③自分なりに楽しむ、について。①きちんとしなくていい にも通じるかも。
「ケ」の花として私の記憶に鮮明なのが母が生ける花です。
庭から採ってきた花やもらった花を小さなジャム瓶に投げ入れて生け、切り戻しと水替えを気が付いたらして、
中の一つの花が枯れたならまた違う花と交換していました。
花束ともブーケともアレンジとも言わないような小瓶の花が
玄関に、キッチンに、出窓に、ピアノの上に、トイレの小窓に、本棚の中に置かれていました。
よく見ると茎にアブラムシがいたり、小さなクモがくっついていたり。
すごくきちんとしているわけではないけれど、飾ることを楽しんでいることがよく伝わってきて、今思えばそれもまとめて好きだったのです。
今でも実家に帰ると季節の花があちこち生けられています。
お花屋さんに飾るように完璧にしなくても、自分の日常の中で自分なりに楽しめばいい。
花の国日本協議会様がインスタで「#あれもこれも花瓶」の提案・キャンペーンをされていますが、まさにあんな感じです。
〇花を生けるという文化
長くなりましたが、最後にこれをお話しようと思います。
諸外国と比べ、日本には花を贈るという文化がありません。「日本人の男性は花を贈らない」というのもよく聞く話です。
ですが「花を贈る」文化はなくても、生け花のように「花を生ける」文化が日本にはあります。
「生ける」という言葉も日本ならではですよね。
英語では花を生けるというとき単に「put」「arrengement」と書くのではないでしょうか。
花との生活、自然を楽しむ文化が根付いている日本にこそ、「ケ」の花は馴染むと考えています。
〇一部屋一輪でよいという提案
きちんとしなくていい。枯らしてもいい。自分なりに楽しめばいい。
すごく綺麗に飾れなくても、たくさんの花でなくても、まずは一部屋一輪の花を自分なりに楽しめればいいと思います。
一束だけ買ってきて、手元にある瓶やコップに少しづづ分けて飾ってあげるのも素敵だと思います。
一輪だけの美しさがあるのも花の良いところです。
以上、まだお花のプロでもなく、全然知らないというわけでもない私なりの提案でした。
もしちょっといいねと思っていただけたら、こっそり教えてくださると幸いです。