即興小説アーカイブス:ドイツ式の美術館
※高校時代に書いた即興小説をアーカイブする試みです。
ドイツ式の美術館
横では「おねえちゃん」、「おとうさん」「おかあさん」が、三人で、さして急ぐでもなく丁寧に、愛でるように牛にブラシをかけていた。
私は寝不足の目に瞼が落ちるのを感じながら、心地よいまどろみに身を委ねる・・・。
先程ブラシをかけていた三人は、私の本当の家族ではない。
私の本当の家族は、二人とも茶色い髪をして、ワインとビールが大好きな、典型的なドイツ人というやつだ。
あるとき、本当のお父さん、お母さんと三人で美術館に出かけたとき、不思議なお面に出会ったのだ。何が不思議だったのかは説明できない。ただ引き込まれるようで、どこかにつながっていそうな、奥行きを感じるお面だったのだ。
普段美術に興味の無い私にも、これが価値あるものだとすぐにわかった。
しかしなんとも、狩猟民族がお祈りや呪いに使っていそうな、少なくとも巻き毛の貴族たちが家に飾ってワイングラスを傾けながら楽しむようなものではないような気がした。
禍々しさ。今私がいる家で読んだ本の中で、こんな表現を見かけた。
まさにそれなのだと思う。縦長で、とうてい人間が着けそうにはない形をして、鼻のあたりの位置を中心にして渦巻きが描かれている、不思議なお面だった。それいがいに形容のしようがないのだ。
それを眺めていたらいつの間にかここにいたという訳だ。私の名前がアリスなら、アリス in お面だ。
この世界はワンダーというようなこともない。ただただ現実の牧場と同じだと思う。行ったことはないから、わからないけれど。
ここのお姉ちゃんの名前は「アガタ」といった。お母さんは「アガーテ」お父さんは「アガートン」
なんだかいつかプレイした日本製ゲームの魔法の名前のようだ。きっと効果は酒を地面から湧かせる魔法だろう。
三人とも牛が好きで、アガタはときどき牛の上で本を読んでいるくらいだ。私もきっとその子なのだろう。牛は見たときから好感を持つことが出来た。
アガタは普段、本を読んでいるか、アガートンとアガーテに撫でられているか、寝ているか食べてるかのどれかだ。しかしそんなアガタが物思いにふけっているのを見たことがある。南の空を見て、ぼうっとしているのだ。
それ以外、その他の生活動作以外は誇張抜きでこれしか見ていない。
私たち家族いがいには牧場があるようで時々アガートンが仲間を呼んで家で酒盛りをしているので交流はきっとあるのだろう。その時はアガーテもビールを飲んで、それはそれは楽しい時間だった。
私たちは牛の世話をして、ビールを飲んで、そして一日を終える。その中でも牛は私たちに肉、ミルク・そしてお金を与えてくれる牛はペット以上に家族な存在だ。
普段はアガタに起こされて、それから素っ裸のアガートンとアガーテをたたき起こして、そのあたりで私も目が覚めてきて、一日の始まりとなる。
でも今日はちょっとだけ早起きをしようとアガタよりもずっと早寝をした。ランプにともった火を消した私をみて、アガタはちょっとだけむすっとしながら別の部屋に行ったのでそのあとも本を読んでいたのだろう。
そして夢もみないくらい深い眠りから目を覚ます。あたりはまだ暗く、これから夜明けが始まろうという頃だ。
私はアガタの寝顔でも拝んで、どんな起こし方をしてやろうか思案しようとした。
しかし、隣にアガタがいない。
いつも早起きなのは知っている。でも、私を起こすアガタはいつも、少しだけ眠そうで起こし方だってゆりおこす程度のものだ。いつもこんな時間から起きていたらもっと元気なのでは?
トイレにもいない、夫婦の寝室にもいない。居間にいるわけでもなく、書斎の机で寝ているわけでもない。こうなれば行き着くはずの場所は一つだ。
600kg程の体重を持つ成牛の鳴き声が畜舎内によく響いている。畜舎は二階建てになっていて、二階にはロールになった牧草が貯蔵されている。そこからは、南の空が良く見えるのだ。
「・・・・、・・・・・・・・、・・・・、お守りください、・・・・、追い払ってください。」
「アガタ?何を言っているの。」
はっ、と後ろを振り向いて私を見た。その顔は、妹を見る顔というよりは、警戒するような、見られてはいけない場面を見られてしまったような・・・そんな顔だった。まるで、顔見知りの人間に、素行の悪いところをみられてしまったような。
「・・・あなた、本当はなんて名前なの?」
私の問いに対し、アガタは語り出した。
「アガーテにね、私の昔をきいてみたの。昔はもっとやんちゃな赤ん坊だったそうよ。」
「アガートンにも聞いてみたの。昔からおとなしい子供だったそうよ。ねえ、あなたはあの二人の、私の昔を知っている?」
「ごめんなさい。」謝るよりほかなかった。きっとこの子は、わたしと同じではないのだから。
「ううん、いいのよ。」諦めたような、やっぱりね、という自嘲的な笑みを浮かべてアガタは顔を伏せた。
沈黙が流れる。日が昇ってきて、なんとか本を読むことが出来るくらいになった頃、アガタは本を開いて読み始めた。
「もう少し日が昇ったら、二人を起こしに行きましょ。」いくばくかの時間が流れた。
「ヴェラよ。アガタ。」
「・・・そう、ヴェラ、あなたに言うべきことがあるの。」
「何かしら。私に話してくれることがあるの?」
「そうよ。突拍子もない話だけど、あなたに真偽を確かめることはきっとできないわ。だから話すのよ。
二か月に一回、晩にね、南の空からぼろぬのが降ってくるのよ。実際にぼろぬののように見えるのよ、そのうちわかるわ。
それでね、ぼろぬのはあなたたちを連れ去って、どこかに行ってしまうの。南の空のどこか。それでいて朝になったら、またあななたちがいるの。でも、やっぱり違うあなたたちみたい。」
「そう・・・、さびしいのね。」
「そうね。それでね・・・、目をつむってくれないかしら。」
私は黙って、目をつむった。アガタがゆっくりと近づいて、何かを引きずりながら迫ってくるのがわかった。アガタが手に持っているのはそう重いものでもなく、しかし細く、長い。
それをアガタはゆっくりと私の手首に結ぶ。私の体は徐々に、手首につながったロープに引き上げられて爪先立ちをしなければならないほどになった。
「寂しいの・・・だから、ここにいて。」
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