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家族のカタチ
※本編をお読み頂く前に…
このお話は変な姉妹。というシリーズの別の世界線のお話です。
先に変な姉妹。シリーズを読んでからこちらのお話をお読みください。
進むしかないんだ───
歩んできた道は、崩れ落ちた。
後戻りは出来ない。
進むのは怖いけれど、
“あなたとなら”
って思った。
茨の道だとしても
一寸先すら見えない道だとしても
あなたが隣にいて、手を繋いで、笑っていてくれたら、何処までも行けそうな気がしたんだ。
─────────────────────
頬を撫でる風が冷たく感じる。
思えば木々は紅く色付き、日が落ちるのも早くなってきていた。
もうそんな季節になったのか、としみじみ思う。
しかし、我が家は季節など関係なく毎日のように熱く盛り上がっている。
それが変わらないことの絶対的な安心感をもたらしていた。
………
リビングに入ると、香ばしい鍋の匂いが食欲を刺激した。
「今日は鍋か」
そう呟くと、テーブルに皿を並べながら七瀬がこちらを見た。
「うん、お義姉さんと一緒に作ったんよ」
「姉ちゃん鍋作るのうまいからなぁ」
そういえば姉ちゃんは、鍋にはうるさかったな…。そんなことを思いながら椅子に座ると、見計らっていたかのようなタイミングで祐希と飛鳥が俺の隣に座った。
「あー!〇〇の隣取られた!」
姉ちゃんの声がリビングに響く。
いつもこの三人は俺の隣に座ろうとしていて俺が椅子に座るタイミングを見逃さまいと、目を光らせている。二日連続で俺の隣に座れていない姉ちゃんは、不満そうに頬を膨らませている。
「へへっ、おにーちゃんっ」
そう言って俺の左腕を何故か揉み回す祐希と、
「おい、何ニヤついてんだよ」
と、俺の右腕をつねる飛鳥。
ニヤついてないんだけどなぁ…。
「ほら、食べるで~」
七瀬の声でようやく二人が両腕を離す。
そして、皆で手を合わせてから
「いただきます」
と声を揃えて言う。
これが我が家の小さなルール。
「お肉お肉お肉~!!!」
肉の事しか頭にない姉ちゃんは、取り皿に肉ばっかり乗せていく。
何てセコい性格なんだろうか。
「ちょっと、お義姉さん!肉ばっかり取らない!」
そんな七瀬の声も鍋を前にした姉ちゃんには届かず…
「あんたら、野菜はしっかり食べるのよ!」
「姉ちゃん、特大ブーメラン」
この声も、美味しそうに肉を頬張る姉ちゃんには届いていないんだろう。
「はわわっ…!」
ふと左を向くと、祐希が箸を持ったまま口をポカーンと開けている。
「どうした、祐希?」
「お肉取ったらおねーちゃんに殺されそう…」
いくらなんでもそれは考えすぎだが…いたずら心が芽生えてしまった。
「そうだな…むしろ祐希が喰われるかもな…」
「ひぃっ!!」
思った通りの反応を見せてくれる祐希。
やっぱり祐希は面白いなぁ。
すると、会話を聞いていたのか姉ちゃんが不敵な笑みを浮かべた。
「がおーっ!」
「ひぎゃぁっ!」
両手を上げて威嚇した姉ちゃんを見て、思い切り声をあげた祐希は体を震わせている。
「もー、〇〇もお義姉さんもあんまり祐希をいじめない!」
「さーせん…」
「はー、祐希は面白いわねぇ」
全く反省の色を見せない姉ちゃんが再び箸を手に取る。
「祐希、ごめんな?」
そう言って鍋から取った肉を祐希に差し出すと、嬉しそうに口に含んだ。
「美味いか?」
「んー!」
満足そうに食べる祐希が可愛くて頭を撫でると、嬉しそうに目を細めた。
祐希を見ていたらこっちまで肉を食べたくなってしまった。
箸を手に取り、鍋に視線を戻す。
「…肉がない!!」
既に鍋から肉がなくなっていた。
「〇〇が悲しんでる!私の肉をお食べ!あーん!」
そう言って姉ちゃんが肉を差し出してくれたので、俺はご厚意に甘えてその肉を頂こうとしたのだが、口に入るその直前に肉が消えた。
「えっ?」
姉ちゃんと声を揃えて言う。
前を見ると、七瀬が美味しそうに肉を咀嚼していた。
満足そうにサムズアップを見せてくる七瀬。
「な、七瀬?」
「あんたねぇ!何で横取りすんのよ!!」
「〇〇にあーんなんて許しません!!」
「心が狭いのよ!!」
「お義姉さんにだけは言われたくないですね!!」
また言い争いが起こってしまった…。既に蚊帳の外となった俺は仕方なく野菜に手を伸ばした。
すると、横からスッと手が伸びてきて口元に肉が現れた。
「飛鳥?」
「は、早く食え…」
飛鳥は恥ずかしそうに目を伏せている。
「でも…」
「あ、あーん」
…どうやら拒否権はないらしい。
幸い姉ちゃんも七瀬も口喧嘩に夢中で飛鳥のしていることには気が付いていない。
俺は飛鳥に感謝しながら肉を口に含んだ。
「美味しいよ、飛鳥」
「別に私が作ったんじゃないし…」
と言いつつも、顔は綻んでいる。
言ったら怒られそうなので、言わないけど。
「あー!お義姉さん!飛鳥が〇〇にあーんしてました!!」
「はぁ!?」
二人の鋭い視線が飛鳥に向いたが、飛鳥はそれに相手することなく二人を見て優越感に浸った笑みを浮かべていた。
今日も我が家は平和です…。
………
食事を終え、食器類を洗う。
姉ちゃんと七瀬が食事の用意をしてくれたので、洗い物くらいはと名乗り出た。
珍しくリビングには誰もいない。
各々が自分の部屋で過ごしているようだ。
水が出る音と、食器同士が時々接触する音だけが静まり返ったリビングで鳴っていた。
そこに、リビングのドアが開いた音が加わった。
「姉ちゃん?」
「手伝いに来たよ~」
と、笑顔で駆け寄ってくる。
「ありがと。でも、もう終わるよ」
「ありゃ!」
握り拳を頭に当てる姉ちゃん。
普通にしてれば綺麗で良い姉なんだけどなぁ。
「ソファーで寛いでな?」
「んー、〇〇にくっついてる!」
そう言って、俺の背中にぴとっと張り付いた。
「洗い物しづらい」
「ぐへへ…」
「ゲスな笑い方しないの」
それでも何とか洗い物を終え、姉ちゃんと二人でソファーに座りテレビを見る。
「ねー、〇〇~。好きっ」
「はいはい、俺も好きだよ」
何度も言われると、返しも雑になってくる。
「ねぇー、ちゃんと目見て言ってよ~」
少しだけ、こういったやり取りがストレスに感じてきている自分がいる。
俺には七瀬がいるのに、いつまでこういうことをするつもりだろう。
「姉ちゃん、そろそろ弟離れしよ?」
真っ直ぐ目を見てそう伝える。
「私は弟としてじゃなくて、男として見てるんだよ?」
その言葉を聞いた瞬間、何だかいたたまれなくなった俺は思わず立ち上がった。
「姉ちゃん、あんまりからかわないで」
澄んだ瞳を見つめて言う。
しかし、姉ちゃんの目は嘘や冗談をついているようには見えなかった。
それがより焦燥感を駆り立てた。
何だか今日の姉ちゃんはおかしい。
そう思った俺は足早に部屋に戻ることを決意した。
しかしそれを察したのか、姉ちゃんは俺の手を即座に掴んだ。
ひんやりとしたか細い手。
振りほどくことが出来なかった。
リビングの空気がピンと張り詰めている。
徐々に音量を増す心音。
無言の間が数秒続いた後、スゥッと姉ちゃんが息を吸ったのが分かった。
“冗談なんかじゃないよ”
微かに震えた声で姉ちゃんはそう言った。
そんなこと、分かっている。
分かっているから、怖いんじゃないか───
振り向くことが、出来なかった。
今まで目を背けてきた得体の知れない怪物が目の前に出て来たようで、俺は思わず目を瞑った。
「証明したっていい」
突如、ソファーから立ち上がる音。
言葉の意味を理解した瞬間には、遅かった。
姉ちゃんは俺にキスをしていた。
五感全てが甘美の渦に巻き込まれているような感覚だった。
容姿端麗で、
脳を震わせるような吐息。
鼻孔をくすぐる甘い香り、柔らかい唇。
そして、絡まる舌が俺を酔わせた。
快楽の海に溺れてしまいそうだった。
「はぁっ、姉ちゃ───」
息つく暇もなく、求められる。
酸素が足りない。
姉ちゃんという存在に、頭の中を侵食されていくような気がした。
このままじゃ───
突き飛ばしてでも、離れなければ。
僅かな理性が大きな音で警鐘を鳴らしている。
宙を彷徨っている両腕を姉ちゃんの肩に置き突き飛ばす…はずだった。
しかし、それより先に姉ちゃんが俺をソファーに押し倒した。
そしてそのままマウントを取られて、
ただひたすらに、唇を貪られる。
あぁ、もう…駄目だ。
何も考えられない。
俺は抵抗をやめて、目を瞑った。
その時、足音が近付くのが分かった。
姉ちゃんは素早く俺から離れた。
俺は急いで起き上がって、不足していた酸素を一気に吸い込んだ。
「〇〇~、洗い物終わった~?」
「あ、あぁ。終わったよ…」
足音の正体は七瀬だった。
息切れか緊張か、心臓が大きく脈打っている。
「そっか!じゃあウチもテレビ見よー」
そう言って七瀬は俺の隣に座り込んだ。
右には七瀬、左には姉ちゃんが座っている。
いつもなら特段珍しくもない光景。
しかし、今回ばかりは緊張しないわけがなかった。
そして、口を閉ざしている姉ちゃんが今は何より恐ろしい。
「あっ、この芸人お義姉さん好きでしたよね!」
ネタ番組を見て、七瀬の視線が姉ちゃんに向く。
「うん、大好き」
いつもなら喜ぶのに、今日は全くそれがない。
俺には理由が明白だった。
しかし、それが分からない七瀬は疑問を覚えたのか、姉ちゃんを見て首を傾げた。
しかしその視線はすぐにテレビ画面へと戻された。
ふぅ、と小さく息をつく。
今回のことだけはバレてはいけない。
そんな気がしていた。
今までも姉ちゃんにキスされたことは何度かあった。
だがそれは、子供の頃や酔った勢いでのこと。姉弟のじゃれ合いの範疇だったように思う。
しかし今回ばかりは、間違いなくその一線を越えていた。
結果として俺は、七瀬が来るまで抵抗の一つも出来なかった。
所詮男と女。力の差は歴然。
突き放そうと思えば簡単に突き放せたはず。
仮に姉ちゃんを突き飛ばす事に抵抗があったとしても、他にいくらでも方法はあった。
もしかして、俺は。
そこまで考えて俺は頭の中に蔓延する邪な思いを振り払った。
さっきまでの事は忘れてしまおう。
丁度お笑い番組がやっているんだ、笑い飛ばせばいい。
意識をテレビ画面に集中させると、左手を握られた。
左側にいるのは…
姉ちゃんがテレビ画面に目を向けたまま、左手に指を絡ませてきていた。
その目はテレビ画面よりもっと別の所を見ているようで、感情が計り知れなかった。
こんな所を七瀬に見られたら───
冷や汗が一気に溢れ出た。
おかしい、姉ちゃんがおかしい。
どうしたんだよ…。
七瀬がこちらを向いたら、きっといつものように怒るだろう。
だが今回ばかりは言い逃れは出来ない。
そうなってしまう前に、この手を振り解かなければならない…
…なのに。
離せない。
姉ちゃんの力が強いだとか、そんなことじゃなくて。
まるで見えない鎖で繋がれているようだ。
その時、姉ちゃんが不敵に笑んだ。
全身に鳥肌が立った。
今まで生きてきた中で見たこともないような、恐ろしい笑みだった。
それが怖くなった俺は、姉ちゃんの手を振り解いて立ち上がった。
「うわっ、何?」
七瀬が不思議そうにこちらを見つめている。
「俺っ…寝るわ」
「そ、そう。ウチも後でいくね」
「うん…」
いつものように振る舞えていたかは、分からない。
七瀬を見る限り、緊張した面持ちを浮かべていたかもしれない。
それでも早くこの場から立ち去って、寝てしまいたかった。
「〇〇」
寝室へと向かう俺を呼び止める声がした。
ゆっくりと、振り向く。
すると姉ちゃんはいつもの明るい笑みを浮かべていた。
「おやすみ!」
「…うん、おやすみ」
その笑顔に、少しの安堵を覚えた。
きっと、寝て起きたら全て元通りになっている。
悪い夢でも見ているんだ。
何より、そう信じたかった───
………
寝巻に着替えて、ベッドに飛び込んだ。
頭の中がひどく混乱していた。
一人になったことによって、少しずつ頭は冷静さを取り戻していた。
そして、一気に後悔の念が押し寄せた。
恐らく最初のキスは防ぐことが出来なかった。
それでも、すぐに押し退けていたなら。
僅かながらもこの後悔は少なかったはずだ。
「何でっ…何でなんだよ…!」
姉ちゃんは俺のことを男として見ていた。
…本当は、前から分かっていたんだ。
それでも目を背けていれば、姉弟でいられると思ったから。
しかし、そんな考えは今日砂城の如く、脆く簡単に崩れ去った。
俺は、明日からどうしたらいいんだよ…。
いつも通り?
いつも通り接したとして、姉ちゃんは?
そんな考えが頭の中をグルグルと駆け巡る。
これ以上考えていたら、おかしくなってしまいそうだった。
…寝よう。
明日起きたらきっと元通りになっている。
俺は強く目を瞑った。
しかし今日という日に限って、中々寝付けなかった。
目は冴えて、暗闇の中に姉ちゃんとキスした時の映像が浮かび上がっている。
それは目を閉じても変わることはなかった。
「くそっ…」
「〇〇…?」
その時、七瀬が部屋に入ってきた。
「七瀬」
「良かった、起きてたんや」
安堵の息を浮かべた七瀬は、ゆっくりとベッドの中に潜り込んできた。
「体調悪い?」
「どうして?」
「何か辛そうな顔してた」
心臓が大きく跳ねたのがわかった。
「大丈夫、何もないよ」
「そう?なら良かった」
そう言って、七瀬は抱きついてきた。
小さな身体を抱きしめる。
さらさらの髪の毛、シャンプーの香り。
先程までの出来事を上書きするように、七瀬にキスをした。
「んっ…どうしたん急に?」
七瀬は驚きつつも、嬉しそうに笑みを浮かべている。
「七瀬…好きだよ」
「うん…ウチも」
俺は再び、七瀬にキスをした。
翌朝、目を覚ました頃には昨日のような鬱屈とした気分は大分薄まっていた。
隣で七瀬が安らかな寝息を立てている。
七瀬が寝ているということは、まだ早朝だ。
俺は七瀬を起こさないように、ゆっくりとベッドから抜け出してリビングに向かった。
リビングには陽が差し込んでいた。
いつもより少しだけ眩しくて、目を細めた。
コップに水を注いで、一気に飲み干す。
よく冷えたそれは、すぐに体に染み込んで喉を潤した。
そこに、リビングのドアが開く音がした。
七瀬が起きてきたのだろうか。
「おはよ」
「…姉ちゃん」
姉ちゃんは扉の傍に立ち尽くしたままだった。
目にはクマが浮かんでいる。
きっと俺と同じように色々と考え込んでいたのかもしれない。
「昨日言ったこと、後悔してないから…」
真っ直ぐな瞳に見つめられる。
それだけ言うと、姉ちゃんはリビングを後にした。
「何だよっ…」
夢じゃ、なかった。
分かってたよ、分かってたけど…。
手に持ったコップを乱雑に置く。
蛇口から水滴がポタリと落ちた。
そこに再び、ドアの開く音が聞こえる。
今度は誰だ…?
「んー、おはよ~」
七瀬が寝ぼけ眼を擦りながら現れた。
七瀬はまだ眠そうで、体も若干よろけていた。
「おはよう、七瀬」
「んぅ」
何とか平静を装って挨拶を交わす。
七瀬はフラフラと俺の元まで歩いて目の前で立ち止まった。
「七瀬?」
「…んーっ」
七瀬が口を突き出している。
これは…
「おはようのキス?」
「はよぉ」
そんなこと滅多にしないのに…。
寝惚け眼の七瀬と唇を交わす。
「えへへ、〇〇~」
やけに甘い声で抱きついてくる七瀬。
それがたまらなく可愛くて思い切り抱き寄せた。
「よしよし」
「んぅー、朝ご飯作る!」
「手伝うよ」
これでいい、これでいいんだ。
俺が愛しているのは、七瀬なんだから。
………
全員で食卓を囲む。
姉ちゃんはすっかりいつもの様子に戻っていて、朝の異変は何だったのかと疑いたくなるくらいだ。
「〇〇!あーんしてあげる!」
「私の前でそんなことさせると思います?」
「ケチケチ七瀬」
「余計なお世話です」
良かった、いつもの姉ちゃんだ。
このまま、どうかこのまま平穏な日々が続きますように…。
賑やかな食卓には似つかわしくない願いを、俺は心の中で願った。
「おにーちゃん!あーん!」
「祐希ぃっ!」
「ひっ!」
「朝からうるさい人達…」
祐希に飛鳥、そして七瀬のやり取りを見て思わず笑みが溢れた。
それからしばらく、姉ちゃんがあの時のような表情になることになく、今までの陽気な姉ちゃんに戻った。
そして、俺が願ったように平穏な日々は続いて、あの日の事なんてすっかり忘れかけていた。
しかし、ある日突然それは起こった。
きっかけは、本当に些細なことだった。
「洗い物しといてって言ったやんか!」
「やる暇なかったんだって!!」
「約束したやんか!」
「だからごめんって言ってるじゃんか!」
「もう知らん!」
「こっちのセリフだ!!」
事の発端は、七瀬が友達と遊んでくるからそれまでに溜まっている食器を洗っておいて、という約束を俺が守れなかったのだ。
だがもちろん俺にも言い分はある。
そもそも俺だって暇ではなかったのだ。
家の掃除もあったし、片付けておかなければならない仕事だってあった。そしてそれらがようやく終わって、いざ洗い物に取り掛かろうとした時に七瀬が帰ってきてシンクに残っている食器を見て怒ったわけだ。
ソファーに座ってテレビを見ていると、七瀬がバッグを持って再び外へ出ようとしていた。
「何処行くんだよ」
「友達の家。今日は泊まるから」
「おい、そんなに怒らなくてもいいじゃないか」
「知らん」
洗い物をしなかったことより、約束を破ってしまったことに相当怒っているらしい。
「おい、待てよ。洗い物ならちゃんとやるから」
七瀬が俺の言葉を聞くことはなく、そのままヒールを履いて出て行ってしまった。
「はぁ…何なんだよ…」
ソファーに勢い良く座る。
そんなに怒ることじゃないだろ。
俺にだってやることはあったんだし、わざと約束を破ったわけでもない。
何故そんなに怒られなければならないのだ。
正直、納得がいかない。
しかも、今日に限って祐希と飛鳥は共通の友達の家に泊まるらしく朝からいない。
そして七瀬が出てしまった今、今日この家で過ごすのは、俺と…
その瞬間、玄関のドアが開く音がした。
「たっだいまー!」
「姉ちゃん、おかえり」
「あれ?七瀬は?」
「ちょっと喧嘩しちゃって」
そこまで言って、姉ちゃんは察したらしい。
「そっか。じゃあ…二人きりだね!」
「…そうだね」
今、一瞬だけ、あの時の不敵な笑みを浮かべた気がしたが…気のせいだろうか。
姉ちゃんの笑みに翳りはなく、いつもの笑顔だった。
「じゃあお姉ちゃんがご飯作ってあげる!」
姉ちゃんはオムライスを作ってくれた。
昔から姉ちゃんの得意料理で、いつも俺は喜んで食べていた。
「美味しいよ」
「ふふ、ありがとっ!」
食後は俺が食器を洗うことにした。
せめてものお礼として。
「ねぇ、〇〇」
声色が違うことは、すぐに分かった。
上目遣いで見つめられる。
俺はすぐに、レバーを下げて水を止めた。
「どうしたの?」
シチュエーションに覚えがある。
声が少しだけ上ずったのが自分でも分かった。
「今日…この家に誰もいないよ?」
妖艶な笑み…意味するところは、すぐに分かった。
あの日の続きを、この人はしようとしている。
「ダメだ、姉ちゃん。俺達は姉弟なんだ」
「あの時は拒否もしなかったじゃない」
「あの時は…」
ダメだ、何も言い返せない。
「私は、〇〇が好き。愛してるの。一人の男として見てる」
やめてくれ、それ以上、何も言わないでくれ…。
「本当は私の気持ちに、気付いてるんでしょ?」
一歩、詰められる。
「私はずっと、〇〇の事を一人の男として見てたよ」
真っ直ぐで、迷いのない声だった。
それでも、
「姉ちゃん、俺達は───」
刹那、姉ちゃんが俺の口を塞いだ。
また、まただ。
また、飲まれる───今度こそ、自分の意志で姉ちゃんを突き放さなければならない。
分かって、いるのに。
快楽の渦が、俺を瞬く間に飲み込む。
少しずつ、理性が失われていく。
「ダメだっ、姉ちゃん───」
「ぷはぁ、うるさいお口ね」
ひたすらに唇を貪られる。
痺れるような快楽が脳を襲う。
理性で抑えつけている箍が音を立てて今にも外れてしまいそうだ。
ダメだ、気付くな。
この感情に気付いてはならない。
蓋をして、目を背けるんだ。
俺は、俺は───
「っ、姉ちゃん…!」
何とか、俺は姉ちゃんを引き離した。
ようやく引き離した姉ちゃんの頬に、一滴の涙がツーっと流れた。
その涙の意味するところが分からなくて、俺は息を切らしながらただただ姉ちゃんを見つめることしか出来なかった。
お互いの息が整った頃、ようやく姉ちゃんは口を開いた。
「好きなの…本気で愛してるの…」
頭の奥底で、何かが音を立てて崩れた。
気が付けば俺は、姉ちゃんの身体を抱き寄せていた。
「〇〇ッ───」
姉ちゃんの口を塞ぐ。
今は、今だけは。
なんて大して意味のない保険を掛ける。
ひたすらに、そこに存在する愛を求める。
行き場を無くした感傷も、抱き締める。
思い描いていた青写真が、黒く塗り潰されていく。
ポタリ、と水が一滴落ちた音がした。
俺達は場所を寝室へと変えた。
いつも、俺と七瀬が一緒に寝ているベッド。
そこに姉ちゃんを乱暴に押し倒した。
上から覆い被さって、全ての衣服を剥ぎ取る。
「〇〇…好きだよ」
耳元で囁かれる。
愛しさが溢れて、再び唇を貪った。
それからの事は、あまり覚えていない。
覚えているのは、
愛しき姉の嬌声と肉感。
そして、ひたすらに愛を求め、愛をぶつけ合ったことくらいだった。
………
目覚めてから最初に目に入ったのは、大きく伸びをする姉ちゃんの姿。
「んーっ!清々しい朝だね!」
確かに、昨日あれだけの夜を過ごした俺達には明るすぎるくらいの陽射しだった。
それが昨日の情事を鮮明に思い出させる。
「姉ちゃん、俺…」
姉ちゃんは優しい笑みを見せた。
「後悔してる?」
やけに澄んだ声だった。
汚れきってしまったせいだろうか。
「だって、だって…俺達は、姉弟で…血が繋がってて…家族なのに…!」
言葉を紡げば紡ぐほど、事の重大さに気付かされる。
俺のちっぽけな心が、今にも後悔の波に呑まれてしまいそうだった。
どんなに後悔したってもう戻れないんだ。
俺は道を踏み外したんだ。
“時間は戻すことが出来ない”
こんなにも当たり前の事に、今更気がつくなんて。
祐希の顔が、
飛鳥の顔が、
そして七瀬の顔が浮かんでくる。
俺は永遠に愛すると誓った人を…
「俺は七瀬をッ…!」
不意に、抱きしめられた。
華奢な体なのに、その時ばかりはとてつもなく大きく感じられて。
そして何より温かくて。
心の内に出来上がった背徳感という名の塊をゆっくりと溶かしていくようだった。
「姉ちゃん…」
気が付けば、涙が溢れていた。
「〇〇は気にしなくていいよ。全部…ぜーんぶ私が背負ってあげるから…」
その一言が重くのしかかった。
結局、俺達はどうしたって姉弟なんだ。
それでも、それでも───
“もう一回、シよ?”
返事なんて、するまでもなかった。
愛だとか、恋だとか、そんなありふれた物なんかではなかった。
定規なんかじゃ測れない形をした、薄汚れた何かだ。
けれど、目の前に広がる肢体は一切の穢れがない。
手を伸ばせば、簡単に飲み込まれるような渦が目の前に広がっている。
俺は、禁断の果実に触れた。
今まで歩んできた道はとうに崩れ去った。
もう、この道を進むしかないんだ。
いや、進むという表現は間違っているのかもしれない。
底の知れない闇の中を堕ち続けるんだ。
深淵すらも、俺を見てはくれないだろう。
それでも、良い。
あなたがいてくれれば、それで良いんだ。
「〇〇…」
「麻衣、好きだよ」
深く深く、口付けを交わした。
もう元には戻れない。
戻れなくたって、構わない。
あなたと一緒なら、喜んで堕ちて行こうじゃないか。
ふと見上げた秋空は、何だか薄暗くて、それでいて泣いている。
そんな気がした。
………
その数時間後、七瀬は帰ってきた。
そして、出迎えた俺の胸に飛び込んだ。
「ごめん…ウチが悪かった…」
すすり泣く七瀬の背中を優しく擦る。
「ううん、俺の方こそごめんな」
そう言って、強く抱き締めた。
何故だろう、七瀬が帰ってきて嬉しいはずなのに、手放しで喜べない自分がいる。
「良かったじゃない!仲直り出来て!」
そう言う姉ちゃんの表情は、俺にはフィクションに見えて仕方なかった。
「お義姉さんがそんなことを言うなんて昨日なんかあったんじゃ…」
心臓がドクンと跳ねた。
七瀬からしてみれば何気なく放った一言だっただろうが、昨日実の姉と一線を越えてしまった俺にとっては落ち着いていられるわけもなかった。
「ねっ!飛鳥も祐希もいないんだから無理矢理にでも襲えば良かった!」
「お義姉さんが言うと冗談に聞こえません!」
幸い、姉ちゃんの機転で難は逃れた。
ふぅ、と安堵の息をつく。
「今日の夕食は〇〇の好きなもん作るで!何がいい?」
「んー、じゃあ姉ちゃんのカレー」
「はい来たこれ!!」
「ちょっと!〇〇!!」
「はは、ごめんごめん」
皆笑顔で、幸せそうにしている。
けれどこれは、終わりの始まり。
姉ちゃんと俺の禁断の関係は、既に始まっているのだから。
終わりの始まり。
始まれば、必ず終わる。
ギリギリで均衡を保っているこの形はきっといつか呆気なく壊れてしまう。
そしてその時が近づいていることが、そう遠くない未来であることは分かっていた。
それでも俺は、あなたを───
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