想いの事実だけ、片道
大学生になるまで僕の生活に音楽はなくても困らない存在だった。
たまに「あ、これいいかも」と感じた曲を短期間で何回も聴きつぶし、飽きるのを繰り返すくらいだった。
夏休みに入る前のある日、小学生の頃から仲の良い友達がイノチミジカシコイセヨオトメを口ずさんでいた。あまりにもフレーズを繰り返すので、だんだんイライラしてきてその曲は誰の曲なのか聞いた。それが初めてのクリープハイプとの出会い。
流行りの露骨な「エモ」の演出だったり、ヤンキーが聴いてるような「一生幸せにする。死ぬ気でお前を守る。」的な曲が大嫌いな僕はおそるおそるイノチミジカシコイセヨオトメを聴いた。
なんぼ汚れたアタシでも
(女性目線の曲なんだ)
ピンサロ嬢になりました
(聞いたことないフレーズ!)
歌詞から下品さを全く感じなくて不思議だった。狙った「エモ」も感じなかった。
気になってもう1回聴いた。聴けば聴くほど曲を好きになっていく感覚は初めてだった。
夏休みになってから1番聴いた曲はラブホテルだった。メロディ好きだ、夏のせいにすればいいってフレーズ好きだ、
クリープハイプの曲は何回聴いても飽きず深みが増していく所が好きだ。
曲を聴きつぶしてきた僕からは想像できない感想だ。
僕が初めて行ったライブ、ニューヨークリープハイプでは「冬だけど夏の曲やります」とラブホテルをやってくれた。生演奏の衝撃に記憶が少し欠けている。
ここまで何かを好きになれてそれをリアルタイムで応援できる体験をクリープハイプは与えてくれた。
音楽が生活にはなくても困らないものから生活必需品となった。だけどこの言葉は4人には届かないでほしい。客観的に重い。想いを伝えたい気持ちが先行してしまった。
どうかバンドが健康で、
僕もライブに行けるように健康でいます。
日常に幸せをありがとう。
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