【古代史の禁忌】謎の渡来人秦氏とユダヤの秘密
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歴史沼チャンネルのきーです。
今回は秦氏とユダヤというテーマで迫っていこうと思います。
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秦氏といえば、古代日本最大級の勢力を誇った渡来系氏族です。
そんな古代最大の氏族である、秦氏はユダヤとの関係が深いことはご存じでしょうか?
秦氏とユダヤには切っても切れない深い関りがあり、その関りは現在私たちが拝んでいる神社仏閣にひっそりと隠れています。
なので今回は、秦氏とユダヤというテーマで迫っていこうと思います。
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秦氏とは?
秦氏とは、記紀によると応神天皇の時代に日本にやってきた渡来系氏族だといわれています。
古代日本に機織りの技術や酒造りの技術、土木治水の技術などを伝えたとされる古代日本最大級の勢力を誇ったとされる氏族です。
前回の動画では、学術的に秦氏の正体に迫っていきましたが、今回はそんな秦氏はユダヤ教やキリスト教との深いつながりが指摘されているというところからご紹介しましょう。
(学術的な秦氏の定説について、興味のある方はこちらをご覧ください)
弓月国と秦氏
秦氏はどこから来たのか?という疑問は今、百済説と新羅説の2つが良く語られています。
しかし秦氏は、百済や新羅などの朝鮮半島に来る前に、中央アジアに存在した弓月国にいたのではないか?という説があります。
弓月国とは、中央アジアの現在のカザフスタン付近に1世紀~2世紀に存在したといわれているシルク ロードの北方ルート上にある国です。
この弓月国は、もともと紀元前 8 世紀に北イスラエル王国からアッシリア人に連れ去られた十部族 の中からガド族、ルベン族、マナセ族などが建てた国であると言われています。
そして431年エフェソス公会議で異端とされたネストリウス派キリスト教(景教)が拠点としていたといわれています。
※エフェソス公会議: キリスト教の教義に関する重要な第3回の公会議。キリストは神か?人か?で議論が行われ人性を主張するネストリウス派は異端とされた
秦氏は朝鮮半島に来る前はこの弓月国におり、ユダヤ教やネストリウス派キリスト教徒(景教徒)だったのではないか?と指摘されています。
指摘される理由としては、『日本書紀』や『新撰姓氏録』を読み解けば”秦氏の祖先は弓月君である”とされていることが有力でしょう。
秦氏がユダヤ教やネストリウス派キリスト教の影響が強い弓月国の出身だったとすると、当然ユダヤ教やネストリウス派キリスト教徒だった可能性があり、日本に渡来してきた際にもユダヤ教やネストリウス派キリスト教の神を拝んでいたと考えるのは自然です。
日本神道に浸透していく秦氏
秦氏は古代日本において、最大級の人口を誇り、その人口の多さから古代日本に多大なる影響を与えた氏族だといわれいます。
しかしみなさんは、そんな秦氏の人物をどれだけ知っているでしょうか?
古代史を少しかじった方なら、秦河勝という人物は出てくるかもしれませんが、その他の人物の名はあまり知られていません。
古代日本最大級の影響力を持っていながら、秦氏には謎が多い一つの理由としてあげられるのがヤマト朝廷の中央政治ではあまり活躍していないということがあげられます。
中央政治で活躍しなかったのは秦氏が渡来系であったという部分もありますが、秦氏自身が中央政治に食い込むよりも日本各地に分布し地方でその技術力を発揮して地方豪族として生きていったという側面があります。
なぜ渡来系である秦氏が日本各地で影響力を及ぼすことができたかというと、秦氏が日本神道へ溶け込んでいったことがあげられるではないでしょうか?
秦王国と八幡宮
みなさんは日本で一番信仰されている神社をご存じでしょうか?
その神社とは、八幡宮です。
全国に1万4000社以上あり、「はちまん様」「やはた様」と呼ばれ多くの日本人に信仰されている八幡宮は秦氏が大きな影響を与えています。
日本一の数を誇る八幡宮の総本社は、大分県宇佐市にある宇佐八幡宮です。
日本各地に分布していた秦氏ですが、そんな秦氏の中でも一大勢力を誇り『隋書』倭国伝に記されている”秦王国”とは宇佐神宮がある今の大分県ではないか?という説があるのです。
秦王国とは?
まず”秦王国”とはなにか?という話をしましょう。
”秦王国”とは、『隋書』倭国伝に「東夷倭国」として現れる土地のことをいいます。
『隋書』倭国伝には、
『斯(つくし)国(筑紫))の東に「秦王国(しんおうこく)」があって、住民は「華夏(かか)に同じ(中国人に似ていて)」』と記載されており、渡来系氏族である秦氏が多く居住していたといわれている、豊国、現在の大分県が秦王国ではないか?という説があるのです。
宇佐神宮の祖宮とモーセ伝承
秦王国を代表する宇佐神宮には起源とされいる神社があります。
その神社とは、薦(こも)神社です。
薦神社とは、宇佐神宮の北側にあり本殿の裏にある御澄池(みすみいけ)という池をご神体として祀っている不思議な神社です。
薦神社の御澄池(みすみいけ)には、不思議な伝説が残されています。
その伝承とは、
その昔、御澄池のきれいに澄んだ水の中から美しい幼い男子が姿を現し、池の岸辺に生えていた薦草(こもぐさ)の上に立ち、
「私こそがヤハタの神である。私のために薦草で方舟(はこぶね)を作り、御神体とせよ!」と告げた。
この伝説から、この神社では湖畔に生えている薦草を刈り取って、方舟を作り、これを薦枕と呼び、宇佐八幡宮に御神体として奉納しているというのです。
この伝説を聞いて、旧約聖書に詳しい方はピンとくる方もいらっしゃるかもしれません。
このエピソードはユダヤ人の指導者モーセの誕生のエピソードにそっくりなのです。
モーセ誕生のエピソードを簡単に説明しましょう。
エジプトに寄留していたユダヤ人を迫害するために、エジプトの王はユダヤ人のすべての男子の赤ん坊を殺すように命じました。
ところが、モーセの母親はわが子を殺すことができず隠すために、パピルスで編んだかごを作り、それを方舟にしてモーセを入れると、ナイル川に浮かべて流しました。
川から流れてきたモーセは王女に拾われ、成長し、その後イスラエルの民の指導者となっていくのです。
宇佐神宮の御神体のエピソードが、ユダヤ人の指導者であるモーセの誕生とそっくりなこと、そして宇佐神宮のある地域は”秦王国”と呼ばれ、秦氏がたくさん居住する地域だったことを考えると秦氏とユダヤとは深い関係で結ばれていることがわかります。
そうなってくると、宇佐神宮はユダヤの神を祀っている可能性も出てきますし、八幡宮を拝む多くの日本人はユダヤの神を拝んでいるのかもしれません。
京都の神社と秦氏
秦氏を語るうえで外せないのは、京都です。
京都は、秦氏が作り上げていった場所と言っても過言ではありませんし、平安京造営は秦氏の尽力があってこそだといわれています。
そんな秦氏の本拠地である京都には、秦氏とユダヤとの関りの深さを感じさせる神社がたくさんの残っています。
伏見稲荷大社と秦氏
まず京都を代表する神社の一つである、伏見稲荷大社の創建には秦氏が大きくかかわっています。
『山城国風土記』では、イナリの名前の由来について…
秦伊呂具という人物が稲作をして裕福な生活を送っていたある日、伊呂具が米でつくった餅を的として矢を射ったところ、その餅が白鳥に変わって飛び立ち、神社のある山に降りて稲が成長したため「稲成」から「稲荷」になり、これが伏見稲荷大社のはじまりであると記されています。
しかしこのイナリの語源が、秦氏がネストリウス派キリスト教徒であったことに着目されている説もあります。
それはイナリとは、ヘブライ語の「ナザレのイエス、ユダヤの王(INRI)」からきているのではないか?としている説です。
イエス・キリストの磔刑図には、そのほとんどに「INRI(インリ)」と書かれています。
これは「ナザレのイエス、ユダヤの王」を縮めた言葉であり、これはネストリウス派キリスト教徒であった秦氏に影響されているのではないか?といわれています。
祇園祭とユダヤ
秦氏がつくった作った都である京都の三大祭りの一つ、祇園祭にもユダヤとの関りが指摘されています。
祇園祭とは、疫病を鎮めるために行われいる祭で毎年7月に開催されている八坂神社のお祭りです。
まず祇園祭のギオンという言葉は、ヘブライ語の”シオン”が転じたものだといわれています。
※ヘブライ語:旧約聖書の時代のユダヤ人の言葉
シオンというのは、イスラエルの地パレスチナの地にもともとあったユダヤ人の拠点に戻ろう!というシオニズム運動の語源となった言葉です。
なので祇園祭は、イスラエルに戻っていくお祭りであり、いわゆるイスラエルの中心エルサレムへの聖地巡礼を意味する祭りかもしれません。
また祇園祭は、『旧約聖書』の「創成記」に出てくるノアの方舟のエピソードとの関りも指摘されています。
ノアの方舟のエピソードとは、神の契約を守っていたノアの一族だけ方舟にのって大洪水から救われた。という伝承です。
ユダヤ人もユダヤ教の三種の神器を納める箱アークのことを船と呼ぶことがあるそうです。
祇園祭は山車や山鉾が練り歩きますが、この山車はノアの方舟を模倣しているのではないか?と指摘されいます。
ノアの方舟伝承は、ノアたちがアララト山に降り大洪水から助かった日は7月17日だとされていますが、京都の祇園祭のクライマックスも7月17日に行われるという不思議なつながりもあります。
蚕ノ社と秦氏
秦氏とネストリウス派キリスト教徒(景教)の影響を色濃く残している神社が、秦氏の本拠地として有名な太秦に残っている蚕ノ社という神社です。
蚕ノ社の正式名称は、木嶋坐天照御魂(このしまにますあまてるみたま)神社といい、養蚕や機織りの技術を持ち込んだ秦氏にちなんで蚕ノ社と呼ばれています。
蚕ノ社の境内の中には、古くは湧水がわいており、元糺の池(もとただすのいけ)の上に神明型の石鳥居で、正三角形に配置されている三柱鳥居とよばれる鳥居があります。
この三柱鳥居が、キリスト教の三位一体を表しているのではないか?とも指摘されいます。
秦氏ゆかりの神社に、ユダヤやネストリウス派キリスト教の痕跡がのこっているということは、秦氏がユダヤやネストリウス派キリスト教と何らかの関係があったと考える方が自然なのではないでしょうか?
まとめ
いかがでしょうか?
今回は秦氏とユダヤというテーマで迫っていきました。
秦氏がユダヤだったのか?ネストリウス派キリスト教徒だったのか?ははっきりしていません。
しかし、秦氏が渡来系であることは間違いないですし、渡来系である秦氏が何らかの神を持ち込んだと考えることは不自然ではないのではないでしょうか?
その神がヤファエなのか、イエス・キリストなのかわかりませんが、秦氏がたくさん居住していたとされる地に『旧約聖書』のエピソードにそっくりな伝承が残っていることも確かです。
今回の動画の参考文献は、田中英道氏の著作『京都はユダヤ人秦氏がつくった』と坂東誠氏の著作『秦氏の謎とユダヤ人渡来伝説』です。
どちらも古代イスラエル渡来説と秦氏について学べる一冊となってます。
参考文献については、概要欄にリンクを貼っているので興味のある方は概要欄のリンクからチェックしてみてください。
今回の動画につかった台本も公開しています。
文字で今回の内容を読みたい!という方は、概要欄のリンクからチェックしてみてください!
今日はここらへんでお別れです。
ご視聴いただきありがとうございました。
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ではまた、違う動画でお会いしましょう!
ばいばい!
この記事は私が運営しているYouTubeチャンネル【きーの歴史本プレゼンチャンネル】の動画を、テキストにしたものです。
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