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シュメール×縄文人
お元気様です!シン・歴史沼チャンネルのきーです。
宇宙人が作ったともいわれる高度古代文明シュメール文明は縄文人がつくった!?
謎多きシュメール文明とはなんなのか?
中東のメソポタミアに生まれた高度な文明を築いたシュメール人と世界最古の文明を作った縄文人との関係について深掘りしていきます。
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シュメール文明とは?
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まず最初にシュメール文明とは、という話からしていきましょう。
みなさんは、世界四大文明とは、エジプト文明・中国文明・インダス文明・メソポタミア文明であると教科書で習った方も多いのではないでしょうか?
シュメール人はその中でもチグリス・ユーフラテス川で栄えたメソポタミア文明の初期の頃にいたとされる民族です。
現代から7000年以上前現代のイラク南部の地域で栄えたとされ、シュメール語と呼ばれる言語を話し、楔形文字を使っていました。
彼らの残した楔形文字の記録は古代エジプト文明の記録と並び世界最古の歴史資料であるとみなされています。
メソポタミア文明の礎を築いたシュメール人ですが、彼らは元々メソポタミアにいた原住民ではないといわれています。
紀元前3500年頃にメソポタミア南部のバビロニアへ移動してきたと考えられており、シュメール人の原住地は未だにわかっていないとされています。
そんなシュメール人は楔形文字を発明し、楔形文字はシュメール語が使われなくなってからもメソポタミア全域で使われ続けるくらい、汎用性の高い文字でした。
メソポタミア文明の繁栄を支えた楔形文字で記録されたものが、ギルガメッシュ叙事詩です。
ギルガメッシュ叙事詩とは古代メソポタミアにおける人類史最古の文学とも言われ、実在したとされる伝説的な王であるギルガメッシュを主人公とした英雄叙事詩です。
この叙事詩はシュメール語で語られていましたが、シュメール人が滅びた後はメソポタミア文明の諸民族の言葉に翻訳されて語り継がれ、楔形文字で粘土板に書かれたものが残されており、『旧約聖書』に残されているノアの方舟伝承の原型となる話も収められていることから世界最古の物語とされています。
世界最古の物語を作ったシュメール人は、ウルクと呼ばれる都市を建築し青銅器を用いた民族としても有名です。
それだけでなくシュメール人は、医学や高度な天文学の知識を持っていたとされシュメールの遺跡から800枚もの粘土板の医学書が、墓地跡からは手術痕のある頭蓋骨が、それぞれ発見されおり、一説には、この時代に白内障の手術も行われていたというから驚きです。
また治水と灌漑にも長けており、土壌が塩化しやすいチグリス・ユーフラテス川流域で農作物を大量生産するために、広大な土地の灌漑を行っています。
農耕のために天文学や数理学や現代でも使われる60進法など、先進的な文化を育てた人々でもありました。
さらにシュメールの都市は交易で栄え、市民は文化的な生活を送っていたようで、チグリス・ユーフラテス川流域は天然資源に乏しいため、シュメール人は青銅器などの生活物資を外部から調達し、そのかわり農産物を大量に生産し、物資と交換する交易を行っていました。
当時の文化を物語る記録に、ビールやワインを製造し愛好していたことや、ほかにも、当時すでに学校があり読み書きを教えていたことも、粘土板から判明しており、シュメールでは神官、職人、商人など、食糧生産者以外の職業が分化していたことがわかっています。
シュメール文明の7つの謎
シュメール文明とは、宇宙人が作ったとも噂されているほど古代において高度な文明を築きながら多くの謎を残しています。
古代世界の中で先進的な文明を誇ったシュメール人たちの謎に迫ってみましょう。
シュメール文明の謎:発祥が不明
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シュメール文明の最大の謎がその発祥が不明であることです。
彼らは歴史の中に突如として現れ現代の我々が使っているような進んだ技術や制度を作り出しました。
たとえば、太陽系の惑星をほぼ正確に知っていて肉眼では見えない天王星・海王星・冥王星の存在も知っていたそうです。
それだけじゃなくシュメール文明では世界最古の暦も使われており、月の満ち欠けを使用する太陰暦の正確さは驚異的で日食のタイミングはもちろん、様々な惑星の動きを細かく予想していました。
すでに陪審員制度や議会の二院制なんかもあったとされ、これだけの高度な文明を築いていながら、実はシュメール文明のもとになった文明というのは発見されていません。
優れた文明の前の段階としてその元となった文明が存在するのが普通です。
しかしシュメール文明にはそれがありませんでした。
さらにもっと謎を深めているのは、近隣の多民族の文化と類似する点もそれほどないことです。
このようにシュメール文明は突如として歴史に登場し、彼らが宇宙人「アナンヌキ」によって創造されたとの記述もあることからシュメール人の起源は宇宙人説を唱えられるまでにいたっています。
シュメール文明の謎:シュメール人の本土
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シュメール人は今からおよそ7000年前、紀元前3500年頃に現在のイラク・クウェート南部に広がるチグリス川とユーフラテス川の間にやってきて住み始めた人々であり、この地に起こった最古の都市文明メソポタミア文明の初期を担ったとされています。
人類文明の発展に大きく貢献しましたが、今もなおどこからやってきたのかは謎に包まれています。
この謎について一部の学者たちは考古学的なデータと残された文字などを手がかりに、シュメール人たちはもともと海岸沿いに住んでいた海の民だったのではないかと仮説を立てています。
その主張によると、シュメール人は川に沿って移動してきた結果、メソポタミアの地、チグリス川とユーフラテス川のデルタ地帯にたどり着き、最初の村を作って定着したのではと推測されています。
またこの仮説の通りだと、元々海岸沿いに住んでいたということで、シュメール人は優れた航海技術を持っていたのではないか、それによって川を難なく移動できたのではないか、そして船のドッキングに適した場所がデルタ地帯だったのではないかという仮説を論理的に導き出しました。
一方で、シュメール語では「国」と「山」に相当する言葉が同じ単語で示されていることから、シュメール人は山岳地帯に国家のようなものを築いて住んでいたと考える学者もいます。
この主張に従った場合、シュメール人の主な都市に建設された、巨大な聖塔「ジッグラト」が山のような形をしている理由が説明できます。
シュメール文明の謎:謎に包まれたシュメールの言語
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シュメール人がどこから来たのかわからない人々であるということはまた、彼らの言語的な起源も謎に包まれたままだということです。
シュメール人がメソポタミアの地にやってくるまで、そこにはセム系民族が住んでいましたが、シュメール人とこのセム系民族が使った言語には何の関係もないと考えられており、同時にこのことは、民族的にも容姿的にもこの地域に元々いた人々とシュメール人は異なることを意味しています。
さらに、シュメール語はシュメール人の間で統一されていなかったとも言われています。
つまり、男性、女性、漁師、羊飼いはそれぞれ違う方言を使っていたということであり、あれほど発達した都市国家を建設したのにも関わらず、言語が統一されていなかったという点も謎を呼ぶのです。
そしてシュメール語の発音に関してもまだまだ謎が多く残っていますが、現代の中国語のようにイントネーションやトーンを変えることで言葉に意味を持たせていたのではないかと考えられます。
一方で、幸いなことにシュメール人は文字が書かれた多くの石碑を残しています。
その石碑によって、シュメール人というのは他の民族によって使われていた言葉であり、シュメール人自身は自らを「ウンサンギガ(黒髪の民)」と呼んでおり、シュメール人の言語は聖なるものであり、「人間」が使うべき唯一無二の言葉であると考えていたのが分かっているそうなのです。
シュメール文明の謎:シュメールの国家
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シュメール文明並びにシュメール国家は、現在の国家と異なる点が多く、未だに謎に包まれています。
その大きな特徴として、1つの国で構成されているわけではないという点を挙げることができます。
ウルやウルクなどの多くの都市国家で成り立っており、言語、宗教、文化は共通していましたが、それぞれの都市国家が独自のルール、支配者、軍隊を保有していたのです。
同じシュメール人でありながら、都市国家は互いに戦ったり、同盟を組んだり、貿易を行うこともありました。
また、それぞれの都市国家には支配者が3人ずついたとされます。
最も権力のある人は「エン」と呼ばれ、王でもあり聖職者でもあり、このエンは女性であった可能性もあるのです。
エンの主な義務は、宗教的な行事をまとめること、また、時にはすべての神殿の面倒を見たり、コミュニティ全体の財産を管理することもありました。
そして戦争が起こると、シュメール人は「ルーガル」と呼ばれる軍隊の将軍のようなリーダーをもう一人選ぶことがあったようで、このルーガルの中で最も有名で、現在でも名前が知れ渡っているのが、ギルガメッシュ叙事詩の主人公である伝説的な王ギルガメッシュなのです。
シュメール文明の謎:シュメール人の神
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シュメール人は発達した宗教制度を持っており、天の神「アヌ」、地球の神「エンリル」、水の神「エンキ」の3柱を特に崇めていました。
そして、それぞれの都市国家にはその都市を守る神がいたのです。
例えば、エンリルはシュメール国家の中でもニップルという古代の都市で特に崇拝されており、その都市に住んでいた人々は、エンリルが農業に必要な様々な道具を人間に教えてくれ、また、都市建設の仕方やその都市の周囲を壁で覆うことを教えてくれたと崇めていたようです。
さらに、太陽の神ウトゥと、月の神ナンナもシュメール人にとっては重要な存在で、加えてシュメール文明の神殿において最も重要なのが女神のイナンナです。
このイナンナは、その後シュメールの宗教制度を真似たフェニキア人にはアルタルテと呼ばれたり、また、アッシリア人からはイシュタルと呼ばれた存在です。
イナンナは愛、繁栄、戦争の神であり、肉体的な愛と情熱の象徴です。
そのため、多くのシュメールの町では「天の結婚」という伝統があったとされ、王は土地を肥沃に保ち、市民や家畜の健康を願うため、女神イナンナを具現化した最も位の高い女司祭「イナンナ」と一晩を過ごすという儀式が存在したようです。
シュメール文明の謎:あまりにも長生きな王達
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シュメールの歴代の王が記されているシュメール王名表には、公式な王権や王が在位した期間や年数とともに記録されていますが、そこには謎なことが一つあります。
それは、初期の王達の在位期間は、人間の寿命をはるかに超えてありえないくらい長いことです。
例えば、エリドゥの王アルリムとアラルガルはそれぞれ、28,800年間と36,000年間在位したとあり、その後、後世にいくにつれ徐々に在位期間が短くなり、10人目ぐらいになると在位期間は1000年弱になり、さらに世代を重ねて有名なギルガメッシュになると126年と短くなっていくのです。
この点に関しては、「完全なる作り話」だという主張もあれば、「在位記録は事実に基づいており、最初の王達は神自身で、人間と徐々に関わっていった結果、王達の寿命も人間たちに近づいて短くなっていった」とする主張もあります。
また他の主張として、古代エジプトの例を参考にしたものがあります。
古代エジプトでは、「彼は110歳で亡くなった」といった表現をする時、その年齢は実際に亡くなった時の年齢を表しているのではなく、「どれだけ社会に貢献したのか」を表すことがあったと言います。
そのため、シュメール文明でも同じように、社会に対して特に大きな貢献をした王は、その在位期間が長く記録され、そのことは同時に、その王の「貢献度」を示しているのではないかという主張です。
このように、信じられないほどに長い初期シュメール王の在位期間に関しては、どの主張も裏付けがなく多くの謎が残ったままなのです。
古くから栄えていた縄文文明:実は高度だった縄文文明
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世界四大文明はだいたい今から8000年前に成立したものですが、実は日本の縄文時代は1万5000年ほど前から始まっており、これらを凌駕する古さを誇ります。
そしてただ昔からあるというだけでなくこれらの4つの文明に引けを取らない高度な文化をこの時代の日本列島民が有していたことが最新の考古学研究から分かってきました。
このような観点から縄文時代の日本列島の文明を縄文文明と呼び、従来考えられていたよりも高度な文化を持っていたであろうとする見解が近年注目されつつあります。
世界最古で高度な縄文文明のスゴさについてはこちらの動画で説明しています。
シュメール文明は縄文人が作った:世界最古の縄文文明
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実は日本人が大陸に渡っていきシュメール人の祖先となったという説も唱えられていることはご存じでしょうか?
これによるとまず日本の縄文文明は世界のどの文明よりも古いものであり、縄文文明は1万5000年以上も前に出現したと考えられていますが、シュメールの方は約6000年~7500年前です。
残っている遺跡の古さからしても、シュメールが日本の祖先なのではなく、逆に日本の方がシュメールの祖先なのではないかと考えても不自然ではありません
その根拠の一つとしてシュメールから出土した粘土板に刻まれたある言い伝えがあります
それによればシュメールの楽園であるディルムンは「日の出ずるところ」と形容され、メソポタミアより東方にあったとされます。
このディルムンというのがどこかということに関しては様々な説が唱えられていますが、日が昇る国が東の方を意味するのであれば日本はシュメールの東にあります。
それだけではなく、他のメソポタミア民族と異質な文化を持っていたシュメール人は自分たちのことを「ウンサンギガ(黒髪の民)」と呼んでいました。
これは日本人や縄文人の身体的特徴をとらえているとも言えます。
そして縄文時代は、新潟県の糸魚川産の翡翠が青森県の三内丸山遺跡で伊豆諸島南部の島にしかない貝を使ったアクセサリーが北海道で発見されるなど、広範囲な交易を行っていたことが分かってきました。
この縄文時代の広範囲の交易ができたのは、縄文人が舟を作り海や川に乗り出す海の民的な要素が強かったからであり、これはシュメール人たちはもともと海岸沿いに住んでいた海の民だったのではないかという仮説とも一致します。
縄文人が持っていた自然崇拝的な信仰のひとつは、山岳信仰という山を信仰の対象とする考えに発展していきますがこれはシュメール人の主な都市に建設された、巨大な聖塔「ジッグラト」が山のような形をしているのと何か関係あるのかもしれません。
このように世界最古の文明といわれているシュメール文明より、最新研究で判明している縄文文化の方が古く、縄文文化とシュメール文明との深い関りが指摘されており、もしかしたらシュメール文明の担い手は縄文人だったかもしれません。
シュメール文明と日本の共通点:シュメールの多神教と日本神道
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そのような日本の縄文文明と冒頭で紹介したシュメール文明には実は共通する点がいくつもあります。
例えば両者の共通点は宗教の分野にも存在します。
シュメール人は自然を神格化した多神教を信仰し、これは日本神道と同じです。
シュメール人たちの暮らした古代のバビロニアでは、天の神「アヌ」、地球の神「エンリル」、水の神「エンキ」の3人を特に崇めていましたが、これは日本神話の3貴子と呼ばれる太陽神アマテラス、月の神ツクヨミ、海原の神スサノオを連想させます。
そしてシュメールや古代バビロニアは三種の神器として、日像鏡(ひがたのかがみ)と月像の首飾りと武神の剣が登場しますが、日本にも三種の神器があり、それは太陽神アマテラスから授かる鏡と勾玉(まがたま)と剣で、勾玉が首飾りかもしれないので見事に一致します。
そして三種の神器のひとつである剣は、日本神話ではスサノオが8つの首を持つ八岐大蛇を倒した際に手に入れる剣ですが、シュメール神話では7つ首の巨大な蛇である『ムシュマッヘ』を倒して武人の剣を手に入れるのです。
シュメール文明と日本の共通点:スメラミコトと菊花紋
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シュメール文明と日本の共通点として最もよく言われるのが、天皇を表す日本の古語であるスメラミコトはシュメールから来ているのではないか?ということです。
天皇の古語は全てシュメール語で解釈できて、いずれも「天から降りた神」を意味しており、これはアマテラスの孫であるニニギノミコトが天皇家の祖となっていることとも一致します。
さらには天皇家の象徴である菊の花をかたどった紋章である十六菊花紋は、ネブカドネザル2世が築いたイシュタル門にあしらわれるなどシュメール人の築いたメソポタミア文明
にも同じようなものが見られます。
当時のイラク大統領だったサダム・フセインがバグダッド官邸で記者会見を開いたときに十六菊花紋がデザインされた腕輪をしており、ヨーロッパの記者が日本の皇室のものとよく似ているが何か関係あるのかを問われた際に、大統領は「もっと古代メソポタミアのことを勉強してほしいですね。この紋章は世界最古の文明を築いた私たちの祖先シュメール王朝時代の王族の紋章ですよ」と答えたエピソードは有名です。
シュメール文明と日本の共通点:言語における共通点
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メソポタミア周辺の言語とは異質のシュメール語ですが、実は日本語との共通点が多くあるのです。
その一つが両方とも膠着語があるということです。
膠着語とは、助詞や接辞などの機能語が、名詞・動詞などの自立語にくっついて、文が構成される言語のことで、「○○を」や「○○に」のように、単語を「を、に、が」などをくっつけていく文体系の言葉です。
シュメール語には日本語の「てにをは」に当たる言葉があるということなのです。
この特徴を持つ言語はモンゴル語、韓国語、トルコ語などがあり、メソポタミア地域の周辺民族が主に使っていたセム系の言語とは一線を画しています。
さらにシュメール文字は日本語と同じように、子音だけでなく母音も記して、日本の漢字かな交じりのような構造を持つことも分かってきています。
そして日本神話では、日本国土のことを豊葦原の瑞穂国や葦原の中つ国という名前で呼びますが、シュメール人は自分たちの国のことを「キエンギ」と呼び、これは豊かな葦の原の国という意味です。
このようにシュメールと日本には様々な共通点があり、古くから深いつながりがあるのではないかと言われています。
シュメール文明は縄文人が作った:アカホヤの大噴火
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しかしもしシュメール文明の担い手が縄文人たちなら、なぜわざわざ海を渡りユーラシア大陸を西へ西へ移動し、メソポタミアまでたどり着いたのかという謎が生まれませんか?
しかし実はそれは今から7300年前に起こった重大な事件が影響を及ぼしていました。
それはアカホヤの大噴火です。
このアカホヤの大噴火というのは鬼界カルデラと呼ばれる海底火山の噴火のことで、九州南部をほぼ壊滅させる大噴火で遠くの西日本などにも灰が降り注ぎ影響を及ぼしたとも言われています。
この噴火をきっかけに海外へと脱出する人が増えたようです。
この噴火で生き残り住む場所をなくして新天地を求め大陸に渡った縄文人の子孫がシュメール人ではないかと言われているのです。
これまで紹介したようにシュメール文明と日本の文明にあまりにも似たところが多いうえに、このシュメール文明が何の前触れもなく歴史に登場した時期と鬼界カルデラの噴火の時期があまりにも一致しています。
アカホヤの大噴火から逃れた縄文人は、東日本など比較的噴火の影響が少ない日本列島の土地に移住した人も多かったでしょうが、当時は国境などの概念もない時代です。
その一部の縄文人たちがその航海能力を駆使し海を渡り、メソポタミアにたどり着きシュメール文明を築いていったと考えることもできます。
まとめ
いかがだったでしょうか?
世界最古といわれる文明を築いた縄文人と宇宙がつくったともいわれる文明を築いたシュメール人とのつながりの深さを紹介しました。
ユーラシア大陸の東端にいた縄文人がシュメール文明を築いたキッカケになるのは、アカホヤの大噴火だといわれています。
ここは私の考察になりますが、縄文人がシュメール文明を作ったと考えるのはまだ早いのではないでしょうか?
アカホヤの大噴火ほどの噴火があれば、世界中に影響が表れていると思われます。
アカホヤの大噴火の影響で、世界中で異常気象や寒冷化が起こり、西日本の縄文人だけでなく世界中の人が住む場所を追われ、新天地を求めて世界中に散らばったと考えられます。
世界4大文明がそれぞれ同じ時期に生まれるのは、アカホヤの大噴火で世界中の人類が動き、ごちゃ混ぜになったあと定住できる場所であった大河を中心に人々が定住し始めたからではないでしょうか?
なのでシュメール文明を築いた人々がどこから来たのかわからないのも、アカホヤの大噴火で世界中の人類がぐちゃぐちゃなって移動してきたからでしょう。
その中に日本列島から来た縄文人がいなかったとは言えませんが、シュメール文明を作った全てが縄文人とまでは言えないのではないかな、と思います。
今日はここらへんでお別れです。
ご視聴いただきありがとうございました。
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ではまた、違う動画でお会いしましょう!
ばいばい!
この記事は私が運営しているYouTubeチャンネル【きーの歴史沼チャンネル】の動画を、テキストにしたものです。