見出し画像

初めてのエジプト旅行:一人旅 🇪🇬|アレクサンドリア - Day5

紆余曲折あったプライベートツアーのラスト(Day5)は、アレクサンドリアです。アレクサンドリアはエジプトの北部、地中海に面した港湾都市で紀元前331年にアレクサンダー大王によって創建されました。現在のアレクサンドリアは、古代ギリシャ文化→ローマ文化→キリスト教文化→イスラム文化と様々な歴史と文化が混ざり合って今に至る街です。地中海を眺めながら涼しい風に当たり、とても気持ちの良い街でした。

アレクサンドリア|先に事の顛末

前日、アスワン(アブ・シンベル神殿)からカイロに戻り、ツアー会社がセットしたホテルに宿泊。朝07:00のお迎えからツアーがスタートです。

Day5は、1にも2にもガイドさんが良かった事が、これまでのツアーでのモヤモヤのすべてを救いました。エジプト旅行前は、アレクサンドリア観光は「最後のおまけ」くらいにしか考えていませんでしたが、結果的にはここに行くことができて本当に良かったと思っています。幾重に重なる歴史の中で、異文化、異宗教が交わる場所であることを体感した1日となりました。

なお、アレクサンドリアの位置は↓こちら。最終日は、きちんとプライベートツアーでした笑。

アレクサンドリア|観光したところ

  • カタコンベのコム・エル・シュカファ(集合墓地の遺跡)(150EGP ※507円)

  • コム・アル・デッカ(劇場や浴場、学校の遺跡)(150EGP ※507円)

  • クィートベイ要塞(150EGP ※507円)

  • アレクサンドリア図書館(150EGP ※507円)

  • Athineos Restaurant(昼食 ※料金はツアーに含まれる)

アレクサンドリア|印象に残ったTOP3

  1. 担当のガイドさんが最高だった。

  2. 歴史上の様々な文化が重なり合って創られた意匠が興味深かった。

  3. 風が冷たくて気持ちよかった。

  4. 【番外編】海岸線で売ってたジェラートが地味に美味しい。

アレクサンドリア解説(ChatGPT-4o)

カタコンベのコム・エル・シュカファ(Kom el-Shoqafa)の内部。文化のMIXを感じるミイラ作りの壁画。

アレクサンドリアは、エジプト北部の地中海沿岸に位置する都市で、紀元前331年にアレクサンダー大王によって創設されました。この都市は、多様な文化が交差する重要な歴史的、文化的中心地として知られています。

▼古代ギリシャ文化

  • 創設者:アレクサンダー大王が都市を創設し、彼の名にちなんで名付けられました。

  • プトレマイオス朝:アレクサンダーの後、彼の将軍であったプトレマイオス1世がエジプトを支配し、アレクサンドリアを首都としました。プトレマイオス朝は、ギリシャ文化を強く取り入れ、都市はギリシャの学問、芸術、哲学の中心となりました。

▼ローマ文化

  • ローマ帝国の支配:紀元前30年にローマ帝国がエジプトを征服すると、アレクサンドリアはローマ帝国の一部となり、ローマ文化が流入しました。ローマ人は都市のインフラを整備し、公共浴場や劇場などのローマ式建築を導入しました。

  • アントニウスとクレオパトラ:アレクサンドリアは、ローマの政治家アントニウスとエジプト女王クレオパトラの愛の物語でも有名です。

▼キリスト教文化

  • 初期キリスト教の中心地:アレクサンドリアは、初期キリスト教の重要な拠点の一つでした。アレクサンドリア教会は、教義の発展において重要な役割を果たし、アレクサンドリアの聖マルコはこの都市の最初の司教とされています。

  • 神学と教育:アレクサンドリアは、キリスト教神学と教育の中心地であり、多くの著名な神学者や教父がここで活動しました。

▼イスラム文化

  • イスラム教の到来:642年にアラブ・イスラム軍がエジプトを征服し、アレクサンドリアもイスラム支配下に入りました。イスラム文化は、都市の建築、教育、宗教生活に大きな影響を与えました。

  • ファーティマ朝とマムルーク朝:アレクサンドリアは、ファーティマ朝やマムルーク朝など、イスラム王朝の支配を受け、これらの文化が都市の発展に寄与しました。

▼現代文化

  • 多文化都市:現在のアレクサンドリアは、ギリシャ、ローマ、キリスト教、イスラムの影響が融合した多文化都市です。都市の建築、教育機関、宗教施設などにこれらの歴史的影響が見られます。

  • アレクサンドリア図書館:古代の偉大な図書館であったアレクサンドリア図書館は、現代に再建され、学問と文化の中心地として再び注目されています。

アレクサンドリアは、その長い歴史を通じて、さまざまな文化が交差し、融合する場となってきました。これにより、現在のアレクサンドリアは、豊かな歴史的遺産と多様な文化が共存する都市となっています。

アレクサンドリア|思い出写真

ここからは、思い出の写真と共にアレクサンドリアの旅を振り返ってみたいと思います。

カタコンベのコム・エル・シュカファ(集合墓地の遺跡)

カタコンベのコム・エル・シュカファ(Kom el-Shoqafa)。地下墓地の遺跡で、ローマ時代(紀元2世紀頃)に築かれた。1900年に偶然発見され、地上から地下に螺旋階段で降りていく構造。
カタコンベのコム・エル・シュカファ(Kom el-Shoqafa)。地下3層にわたり、深さは約35メートル。地上からは想像もできない広さ。発見した時は驚いただろう。
カタコンベのコム・エル・シュカファ(Kom el-Shoqafa)。エジプト、ギリシャ、ローマの要素が組み合わさった内部。墓室や礼拝堂、食事室(トリクリニウム)などが配置されている。トリクリニウムでは故人を偲び宴会をしたらしく、発見当時はワインの瓶が山のように積まれていたらしい。
カタコンベのコム・エル・シュカファ(Kom el-Shoqafa)。モチーフはエジプトの雰囲気だが、レリーフの感じはローマっぽい。
カタコンベのコム・エル・シュカファ(Kom el-Shoqafa)。ニッチ(遺体を収めるための小さな空間)と呼ばれる墓室。払えるお金によって墓室の大きさが異なるらしい。日本人は火葬で遺骨が小さくなるので安く済むね!
カタコンベのコム・エル・シュカファ(Kom el-Shoqafa)から見つかった馬の骨。
カタコンベのコム・エル・シュカファ(Kom el-Shoqafa)。螺旋階段の中心にある井戸のような空間。
カタコンベのコム・エル・シュカファ(Kom el-Shoqafa)。内部は凝った造り。螺旋階段の斜めの構造が見てとれる。
カタコンベのコム・エル・シュカファ(Kom el-Shoqafa)。螺旋階段の一番奥は、土に埋まるように行き止まりになっている。
コム・アル・デッカ(Kom el-Dikka)。ローマ時代(紀元1世紀~3世紀)→ビザンチン時代(4世紀~7世紀)の遺跡で、ローマ劇場、公共浴場、住宅遺跡、ビザンチン時代のモザイクなどが遺る。

コム・アル・デッカ(劇場や浴場、学校の遺跡)

コム・アル・デッカ(Kom el-Dikka)。大きなお風呂があったらしい。テルマエロマエの世界。
コム・アル・デッカ(Kom el-Dikka)。
コム・アル・デッカ(Kom el-Dikka)。
コム・アル・デッカ(Kom el-Dikka)。絵を描く学生が結構いた。
コム・アル・デッカ(劇場や浴場、学校の遺跡)の犬と猫。暑いから日陰の取り合い。
コム・アル・デッカ(Kom el-Dikka)の植物。
コム・アル・デッカ(Kom el-Dikka)の植物。岩の隙間からたくましい。

クィートベイ要塞

クィートベイ要塞。THE 城!という風貌。1480年マムルーク朝時代のスルタン、アシュラフ・サイフ・アルディーン・クィートベイによって建設された。地震によって破壊され、今は海の中に眠るというファロスの灯台の遺跡の上に建てられている。
クィートベイ要塞の正門。正門の上に隙間があり、攻めてくる敵に上から熱湯や熱油などを注いで迎撃したとか。
クィートベイ要塞。内部にはモスクもあり、イスラム文化の影響が見て取れる。
クィートベイ要塞内部。トイレやキッチンなどもあり、籠城に備えた造りになっている。ゼルダの伝説に出てきそうな城内。
クィートベイ要塞からの眺め。監視用の小窓がたくさんあり、360度見渡せる造りに。今は、地中海の美しい景色が見られる。
クィートベイ要塞からの眺め。
クィートベイ要塞の城壁。
クィートベイ要塞。白い大理石でできた城はとても眩しい。
クィートベイ要塞からの眺め。

アレクサンドリア図書館

アレクサンドリア図書館。現代的でクールな外観。内部は一人で見学。
アレクサンドリア図書館。とても広い。勉強をしている学生さんが多い。段々状の内装と差し込む光が美しい。
アレクサンドリア図書館の展示。アートなんかも展示されている。これは活版印刷の文字。アラビア文字の構造がわかりやすい。
アレクサンドリア図書館の展示。活版印刷の文字。

アレクサンドリアでのランチと海岸散歩

見学を終えて「Athineos Restaurant」でランチタイム。海を眺めながらのランチは美味しかったなぁ。エジプト料理は全体的に微妙ではあったけれど、副菜は種類が多くて楽しめた。
お魚プレート。味はまぁまぁ。
「海辺に行きたい」という私のリクエストで海岸線へ。
アイスクリームはバナナ味。結構濃厚でめちゃくちゃ美味しかった。
大きくカーブする海岸線。カーブの先にクィートベイ要塞が見える。意外だったのが、気温は暑いのだけれど、風が冷たくて気持ちがいいこと。これが学校で勉強した「地中海性気候」というやつなのか?

プライベートツアーの振り返りとガイドさんの紹介

今回のツアーが最終的に良い思い出として終えることができたのは、何よりアククサンドリアのガイドをしてくれたムスタファさんのおかげだと思っています。

今回、Day1とDay2でガイドがあまりガイドの仕事をせず土産物屋に連れていくなど微妙だったことや、Day3とDay4はなぜかグループツアーになってしまうなど、モヤモヤが残るツアーになっていました。

そんな中、ムスタファさんは「これは君だけのツアーだ」と言ってくれて、土産物屋にも一切寄らず、両替でボラれそうな私を制止して「君が得るべき権利を守りなさい」と言って自らのお金でその時のきちんとしたレートで両替をしてくれました。遺跡の解説もとてもわかりやすく、アレクサンドリアの魅力を一生懸命教えてくれて、感謝しかありません。

アククサンドリアのガイドをしてくれたムスタファさん。

今回のプライベートツアーを振り返って思うのは、現地オプショナルツアーの集合体であったということです。観光地に合わせて毎回変わるガイドや2泊3日のクルーズ旅も、切り離すと全て個別のツアーとして存在しています。ガイドが執拗に高得点のクチコミレビューを書かせたがるのも、私が予約したような大元のツアー会社から仕事を取るためでしょう。おそらく、今回のムスタファさんはガイドさんの中でもランクが高く、オファー金額も他のガイドさんと比べて高いのではないかと思っています。

質の高いガイドさんと出会えるかどうかで、旅の満足度は大きく左右されます。最後がムスタファさんで本当に良かったと思っています。

アククサンドリアのガイドをしてくれたムスタファさん。

まとめ

いかがでしたでしょうか。
4泊5日のエジプト横断プライベートツアーもこれにて終了です。

アレクサンドリア〜アブ・シンベル神殿は、日本で例えると、札幌〜静岡間に相当するそうです。そりゃ雰囲気も人の雰囲気も変わりますよね。色々なトラブルもありましたが、短い期間でエジプトを北から南まで横断できたことは、素晴らしい思い出になりました。

エジプト観光最終日は、カイロで締めくくりとなります。初日、あまり良い思い出にならなかったカイロ観光をリベンジしたいと思っています。

岩をも割って咲く花のように、力強く生きなければと思うエジプトツアーであった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?