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人はなぜ不幸なラブストーリーに魅せられるのか

映画やドラマが大好きです。食べ物と同じように好き嫌いがないので、どんなジャンルでも面白そうなら飛びついていきます。

特に好きなジャンルは恋愛。「まともじゃないのは君も同じ」「愛の不時着」「ブリジャートン家」少し古いですが松嶋菜々子さんと堤真一さんが出演していた「やまとなでしこ」など、挙げ出したらたらキリがないですね。(オススメの作品があったらぜひ教えていただきたいです。小説やアニメでも全然OKです!」

今あげたものはハッピーエンドで終わるような作品ばかりです。しかし世の中にはバッドエンドで終わるようなラブストーリーも多く存在します。「愛がなんだ」「ウエストサイドストーリー」「秒速5センチメートル」などなど。これはつまり「愛は必ず勝つ」と同じくらい「愛なんて性欲を綺麗に言い換えただけじゃん」という見方を好む人も多いということです。ではなぜ人は愛が負ける物語を欲しているのでしょうか?今回はこの書籍に基づいて解説していきます。


作者の岸見さんと言えば「嫌われる勇気」で有名な作家さんですね。


不幸なラブストーリーが数多くある理由

早速ですが結論です。人間が不幸なラブストーリーを求めるのは、恋愛を避けるためです。

これ、面白いですよね。ラブストーリーを見ているのに、その本質は恋愛とは程遠いところにあります。ではなぜこういったことが起きるのでしょうか。

アドラー心理学でお馴染みのアドラーはこう言ってます。

「不幸なラブストーリーが数多くあるのは、おそらく読者がそれを利用するために求めるからである」 『人はなぜ神経症になるのか』より。

この「利用する」という行為が鍵となっています。当然ですが世の中は誰かと恋をする人間が数多くいます。しかしその一方で、恋愛や結婚を避ける人間もいます。

こういった人がいるのは様々な理由があると思いますが、一重に恋愛の難しさにあると言えます。

自分の思いが必ず相手に伝わるのであれば、誰も苦しい思いはしないので、恋愛や結婚を避ける理由はなくなるはずです。

しかし恋愛とは複雑なものです。時には自分の思いが相手に伝わらないこともあります。そんな経験をした人間であれば「もう恋なんてしない」と決心する人がいても不思議ではないですよね。

愛ゆえに人は苦しまねばならぬ!!」「愛ゆえに人は悲しまねばならぬ!!」【北斗の拳】よりサウザーのセリフ

ところで恋愛が上手くいかない理由は数多くあります。相手が一方的に悪いと思っていても、客観的に見れば自分にも至らない点が多くあった、なんてこともざらにあります。それらは全てたられば話であるため、正解なんてものはないのです。

しかし不幸なラブストーリーを求める人は、自分に何か問題があると思いたくないので、恋愛自体に価値がないと思わなければいけません。

これはウソップ童話の「酸っぱいぶどう」に出てくる狐と同じ考え方です。

お腹を空かせた狐がとぼとぼと歩いていると、ぶどうの木を見つけました。 
狐は喜んで何度も跳び上がってぶどうを手に入れようとしましたが、ぶどうの木は高くて狐にはとても届きません。 
とうとう諦めた狐は立ち去りざまに呟きました。 
「へん、どうせあのぶどうはすっぱいに決まっている。最初から食べる気なんてなかったもんね」 
※Pixiv百科事典より

不幸なラブストーリーもこの葡萄と同じです。つまり不幸なラブストーリーを好む人は作品を通して自分が恋愛に消極的なことを正当化したいのです。

不幸なラブストーリーを見れば、恋愛は困難なものだと感じるため、恋愛を避けようとするのです。

ここで重要なのは順序の問題です。恋愛が実際に困難なので恋愛を避けようとするのではありません。恋愛を避けるために恋愛は困難なものだと思わなければならないのです。そのためには「愛は勝つのではなく、必ず負けるべきなのです」


まとめ

人間が不幸なラブストーリーを求めるのは、物語を通して自分が恋愛に消極的なことを正当化するためである。








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