【はじめてのnote】氷河期世代♀、転生もしていないのに突然第二の人生を送り始めました!
退職した。
お勤め期間は丁度干支が二巡するほどの歳月になっていた。
長かったような、短かったような、でもやっぱり長かったような。
不思議な心持で、使用していなかった――出来なかったともいう――有給休暇を満喫している最中である。
それを過ぎてしまえば、11月からは晴れてお役御免となる。
円満退職かと訊かれれば、そうではなかったというのが正直なところだ。
だが自分自身驚くほどにすっきりしているのは、やるべき業務はいつだって、自信をもって完全にやり遂げていたと胸を張って言えるからなのだろう。
バタバタした最後ではあったが、私のあの場所での仕事は終わり。
なんとも在り来たりで、だがしかし妙な縁で続けてきた仕事だった。
さて。
では次の仕事は、これからの人生は、どうしようか。
先述した通り、決して円満とした退職だったのではないので、転職活動は疎か、次の職も現時点で決まっていない。
こちとら奇妙な専門業務を24年間走り続けてきてしまった、資格もスキルもない、気が付けばすっかりアラフィフの身である。
ちなみに正職員だったことも少なく、貯金すら退職後の問答無用に取られて行く税金で枯渇寸前となるだろう。
本来焦らなければいけないのだろうが、ふっきれた私は「まぁ、今まで雇用保険払ってきたわけだし、失業保険受給しながらのんびり次を探そう。出来たら資格もとりたいな」という心境に至ってしまった。
話は少し逸れるが、よくX(旧Twitter)で『失業したらこれをやらないと損します!まずは(次のポストは誘導)』といったポストが流れてくるが、「そんな簡単な話じゃないじゃん!!」と何度も叫ぶことになったので、アレは「ふーん、こんなものもあるんだ~」ぐらいに考えておいた方が絶対いい。
退職後、次の職が決まっていないとしたらこれだけ税金でとられていくし、個人都合退職の場合は基本的にすぐ支給されないから最低これぐらいは貯めておかないとヤバいぞ!とかが欲しかった。
そんな私は来月、人生初ハローワークに行くのが憂鬱である。調べてみたら手続きが大変に煩雑そうなのだ。
国の支援であるならば、こういう手続きこそマイナンバーでのオンライン化を切に希望してしまう。
話を戻そう。
我ながら頑張りに頑張り続けてきたわけだが
途中、頑張り過ぎて精神の前に身体が壊れた。
20代で頸椎と腰椎のヘルニアになり、30代で逆流性食道炎と食道裂孔ヘルニアを発症したほどだ。後者に至っては酒が好きなこともあり、食道がんの役満状態である。
精神的にストレスに強いと自負する人は本気で気を付けたほうがいい。ストレスの負荷がダイレクトに内臓にくる。ソースは私自身だ。
無論、どれも労災認定は認められなかった。
今回仕事を辞するに当たり、急且つ周囲に騒ぎ立てられたくなかったので、挨拶できたのは極一部の人達だけとなってしまったが、話せた人達から受けた餞の言葉は「すぐに働くな」「のんびりしろ」「よくやった」といったものしかなかった。
傍から見ていたらそんなにだったのか。みんなが同じことしか言わないので大笑いしまった。
完全に社畜根性が身についてしまっている。困ったものだなぁ。
最後はまさかの形での退職となったが、配属部署に問題があっただけであって、今でも勤め先自体は嫌っていない。
だからこそ所属部署がおかしくなってしまっても働き続けてしまったのだろうなと思う。
残念ながら、チャームの魔法は新しくなった上司や同僚たちの手によって完全に覚めてしまい、今に至ってしまった。
現在は地元に戻ってきているのだが、そこそこの田舎なので給金はどうしても低くなる。
だがこのように、元々給金の低かった氷河期人生だ。賞与すら貰えなかった期間の方が圧倒的に長い。
ここ数年は多少恵まれていたが、それでも正職員ではなく、賞与は固定。
また正職員には今後もできないとはっきりと言われ、更には退職騒ぎの最中にさらりと言われて驚いたが、三年後には退職させらる可能性すらあったらしい。
大変すまなさそうな顔をされたが、申し訳ないがびた一文の価値もない。
まぁ退職の切欠は、私が必要ではないのではないかという疑念から始まったので、危機センサーは正しく作動してくれたようだ。
若者の3年も大きいかもしれないが、アラフィフの3年もかなり大きい。
本人の確認もなく勝手な終わりを決められたまま飼殺されるのは御免であるし、何より片道2時間掛けて通勤する気力も完全になくなった。
有り体に言えば、心が折れたというか、モチベーションが消えた。当たり前である。
干支を二巡してもこんな扱いである。三巡しても変わらなかったろう。
正職員雇用後、上層部に目を付けられて遠方へ転勤となり、定年間際で戻ってきたが他部署掛け持ちで多忙を極め、定年後も延長雇用となっていたはずが、上司から一方的に契約終了とされ、翌年には職がなくなった知り合いがいたぐらいだ。
こんな不安定なものならば、正職員でなくてもいい、最低賃金でもいいのでのんびりしながら、意外にも楽しい地元ライフを送りたいというのが、今の第一目標となってしまった。
蓄えはまったくないので今流行りのFIREでは決してないが、気持ちは早期引退である。
だが滔々と語ってみたものの、こんな人生もまぁ、珍しいものではないだろう。
アラフィフと書いただけあって、現在進行形で氷河期真っ只中の人生である。
同じ場所では勤務してきたが、履歴書はぐちゃぐちゃだ。
理由は簡単で、24年間の大半が派遣・委託会社だったからである。
出向先が入札を行った結果、会社は変わるがそのまま残って欲しいと依頼されてずるずる残ってしまったという流れだ。
最後の5年間はその出向先に引き取られたが、まぁ結果は見ての通りある。
そんな、よくある人生のはずなのだが
働き続けてきた環境はどうやら面白かったらしく、何なら私の人生そのものが「盛ってるのか?」と疑われるぐらいには奇想天外らしい。
もうその話をする相手もいないのだなと思えば、文字として残してもいいのではないかという気がしてきたので、こうして拙文を承知でキーボードを叩き始めたわけである。
過去の話も現在の話も、そして未来の話も、のんびりと手慰みとして書き散らしていきたい。
過去の話については、何せ専門性の高い職だったので、多少フェイクはいれていくが身バレが大変に怖い。怖すぎる。
なのでここはひとつ、リアルタイムの以外の話は荒唐無稽なフィクションとしてお読みいただければ幸いだ。
noteの片隅にひっそりと置いたこの文章を、たまたま読んだ誰かの時間潰しになれば幸いであるし、更に先、文字として残したアルバムを読み返して笑う自分を想像したいと思う。
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