『斑』 のこと


     「わたしね、恥ずかしかったんです」


なんもなか公演『斑』
終演いたしました。

ご来場いただき、また応援していただき
本当にありがとうございました。


また分かりづらい本を書きましたので


解説と

振り返りと

備忘録とを認めておこうと思います。



羞恥心が人を殺す。

生き死にの話を書こうと思った時に、自分に一番しっくり来るのはこれでした。

僕には僕の話しか書けないので、必然そこから表現者の話になり
あの形になりました。




     「描いてない話、描けない話。」



『斑』という物語は自問自答のお話です。

SNSでの他者の評価や、自分自身への重圧から追い詰められてしまった画家が

何も描かないまま個展を開きます。
当然売れない画家の個展に客なんて来ません。

さらに追い詰められてしまった画家は

自分を責める気持ちと、自分を生かす気持ちとを
幻覚として見始めました。

責める気持ちは、子供の頃仲良くしてくれたお姉さん『小さめの彼女』に

生かす気持ちは、すべての感情を素直に出す男『そのままな男』に


それぞれ形をなして男の前に現れます。


落ち込んでる時の自問自答に答えなんて出ません。

そのままぐるぐる考え続けて、どこにも行けなくなってしまうはずでした。



しかし、そこにお客さんとして『アンテナの刺さった女』が来ます。


自問自答に他者が加わることでようやく物語が転がり始めました。



     「頭にアンテナ刺してんの。 私もうおかしくって!」



アンテナの刺さった女は、HSP(生まれつき非常に感受性が強く敏感な気質もった人)
というわけではありません。

HSPは先天的なものですが
彼女の場合は、自分で自分にそれを課している人間でした。

それ故の外付けアンテナなのです。

彼女は似たような悩みを抱える画家にとても共感してしまいました。

残念ながら彼女はアンテナの才能があったのでしょう。
共感しすぎて、画家と同じ幻覚を見始めてしまいます。




     「ほっといていいから、それ」



本編中、『そのままな男』と『小さめの彼女』は入れ替わり立ち替わり
『アンテナの刺さった女』と会話していきます。

しかしこれらは幻覚によってそう見えているだけで実際には
画家とアンテナの二人の会話でしかないのです。

意識が混濁している画家にその自覚はありませんが
後々に「変な夢見た」くらいには思っているでしょう。

画家の頭の中では自分に対する否定と肯定、
過去のフラッシュバック等々が絶え間なく起こり
アンテナはそれに巻き込まれていきます。

しかし、そのことが『アンテナの刺さった女』に変化を促しました。


最終的に自らの境遇と意思を見つめ直した『アンテナの刺さった女』は
画家の唯一描いていた『キリン』の絵を買い取った上で破り

頭に刺さっていたアンテナを外し、外の世界へと出ていきます。



     「僕ね、絵が描きたいの」



この作品で一番伝えたかった部分は、
「生きていく」ということでした。

画家は『そのままな男』という意識の中では、
自分が「絵が描きたい人間」ということを自覚し認めています。

しかし、直後には「描かなくてもいい」とも言っています。

矛盾しているようですが、

これは生きていく上での『目的』と自分自身の『性質』の違いです。

つまり
「自分がどんな性質を持っていようが、何をして生きたっていい」

と『そのままな男』はここで言っているのです。


『そのままな男』にとっては「絵をやめる、やめない」ということは
どうでもいいことで

大事なことは『自分は絵が描きたいという意志を持つ人間だ』
という発見に対する喜びと、

そんな自分が『生きていくこと』だったからです。


だからこそ、「僕の話だよ。お姉さんのことは知らない。」と
他人である『アンテナの刺さった女』には一見薄情に伝えるのです。

自分がどんな人間かは、自分で気づくしかないのですから。



      「いい人でしょう?」




ストーリーの展開上、勘違いしやすいですが
アンテナが「恥ずかしかったこと」は、ホテルに連れ込まれそうになったことではありません。

むしろその後、善意の第三者によって
これまでの人生で命をかけてやってきた

『小説を書くこと』が、その集大成が

誰にも相手にされない、取るに足らないものだと
周知されたこと、それこそが


アンテナの「芸術家としての矜持」を

自殺を考えるほどに、深く深く傷つけたのです。


そしてそれは画家の
「白紙の写真が、自分が命をかけて描いた絵より評価された」時の気持ちに

とても近いものでした。



     「刺激があるってことは、傷つくってことです」



『アンテナの刺さった女』は、「生きていくことは傷ついていくことだ」と、
覚悟して、それでも生きていくことを選びます。

そして、人生が空虚なものかどうかは「生きてみて」から判断するとも言っています。

その覚悟や勇気が『小さめの彼女』には分からず、
『アンテナの刺さった女』には分かったのだと思います。

生きていけば「刺激」が傷つくだけのものではないことにも

アンテナは気づくでしょう。


人生は発見ですから。



     「私にはね、分からないよ」


『小さめの彼女』と『そのままな男』のモチーフは
中島敦の『山月記』からです。

『小さめの彼女』は、尊大な羞恥心と臆病な自尊心

『そのままな男』は、狂乱した男が成った虎

他者を見下し、それでいて他者に依存せずにはいられない心と
どこまでも自由にやりたいことだけを見つめる心は

多かれ少なかれ誰しも持っているのではないかと思います。

人の心はもう少し複雑ですが
二極化させることで分かりやすく自問自答を描けました。

死にきれもせず、
虎にもなりきれない男が
殻にこもってしまうイメージ

それが個展に引きこもってしまう男の姿の元でした。



     「こっわ」



『斑』では私のこれまでの人生での「呪い」や、

それに対する「回答」と「発見」を軸に執筆いたしました。

これが間違っているかどうなのか

そもそも他者に理解してもらえるものなのかも、正直分かりません。

ですが、とにかく形にすることが出来ました。

そのことについては多方面に感謝しかありません。

改めて皆様ありがとうございました。


これからも執筆や演劇は続けていきたいと思っていますので

またどこかでお目にかかれる日が来るでしょう。


私は、『表現がしたい人間』ですから。

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