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パニック障害と診断されてから、今まで

2016年の3月にパニック障害と診断されてから、早いものでもうすぐ4年が経とうとしている。4年前の自分は目の前が真っ暗になったし、なんとか前向きに捉えようとはしていたものの、4年後が想像できていなかったと思う。あと1年も経てば5年になってしまうし、4年という中途半端な区切りではあるものの、改めて経過を振り返ってみようと思い、この記事を書いています。

異変を感じたのは2月


2016年2月28日、初めて行ったワークショップで突如と異変を感じた。その日は電車で2時間かけて大阪まで行っていたのだけれど、初めての経験と、初めてのルートなこともあって朝から緊張していて、途中遅刻してしまったこともあり、お昼ご飯を食べずに会場であるシェアオフィスへ向かった。時間を見つけておにぎりを食べれればいいや、と軽く考えていたものの、ワークショップに取り組んでいる途中になんとも言いようのない違和感を感じた。会場全体が歪んで見えるというか、異空間に思えた。そしてとにかく落ち着きがなく、このままどうにかなってしまうんじゃないか、と思った。初めての感覚に驚いてしまい、一度会場を出て落ち着くことにした。大方お腹が空いていたから落ち着きがなくなったんだろう、と思い、おにぎりとその時いただいたお菓子を食べると症状は治まった。

その日の夜に昼間のあれは一体なんだったんだろう、とお風呂場で考えていると、またその感覚が襲ってきて、今度は動悸まで一緒についてきた。尋常じゃない心拍数で、このまま死んでしまう!と感じ、咄嗟にその場から抜け出した。これは一体なんなんだろう、心臓発作なのだろうか、と考えたのち、「もしかしてパニック障害ではないか?」と思った。姉がパニック障害だったので、症状は日頃から聞いていて、当てはまることがあった。実際、それがパニック発作だった。

母の勧めで当時働いていた京都のバイト先に近い病院の精神科に行き、「軽いパニック障害ですね」という診断が出た。診断が出たことには驚かなかったし、家族もやっぱりかという感じで、休養することを勧められた。その時は仕事や自分のスキルで悩んでいたことが多く、口下手なのが相まって誰にも相談できない状態だったりしてストレスを溜め込みがちだったのと、1年前からカフェオレを毎日のように飲んでいて、それに加えて空腹時の低血糖や初めての場所、緊張という様々な要因がトリガーとなって発症したのではないか、という説明が医師から伝えられた。この時診断していただいたお医者さんは現在もかかりつけの主治医で、大変お世話になっている。

医師の診断としては、症状が軽いのでとりあえず休んで様子を見ようとのことで、服薬の選択肢は選ばなかった。休養したら症状は治ってきたのだけれど、外を散歩している間やボーッとしている時は不安ではないものの、将来のことを考えたり、仕事に復帰するために低いままで止まっているスキルをなんとか上げなければ!と思うと急に具合が悪くなったりした。今はなんともないのだけれど、細かなデザインに集中していると急にフラフラしてきて倒れそうになったり、Macの画面を見ていると吐き気を感じて横になることが何回かあった。当時DeNAさんが主催されていたDelight UというUI/UXのオンラインスクールを受講していたのだけれど、体調が悪くなってしまい不満足な出来で課題を提出することが何度かあった。締め切りのプレッシャーが緊張感を思い出させてあまり良くない気がしたので、それからは自分で追い込みすぎない程度にデザインのリハビリをしていた。タイマーをセットして時間を決めて作業したり、それが大丈夫であれば伸ばしていったりと、医師のアドバイスに従って工夫していった。

そんなこんなで、仕事に復帰できる状態ではなかったので自宅療養をしながらリハビリを続けていたのだけれど、状態は振り子のように良くなったり悪くなったりを繰り返した。服薬治療に対して恐怖心があり、薬を飲むという選択肢をなかなか選べなかったことが災いして、遠出が出来ていたのに出来なくなったり、スーパーに入れていたのに入れなくなったり、お風呂が怖くなったり、コンビニのトイレですら命がけという状態になってしまい、常に「発作が起きたらどうしよう」を第一に考えるようになってしまった。毎日意味もなく不安に駆られ(そういう病気なのだけれど)、生きるか死ぬかの気分で過ごしていた。発作を起こしつつも、医師から教えられた認知行動療法や思考のコントロールが有効だったので、その実践をブログに書いたりしていた。とはいえ周囲の人、特に家族には大変な迷惑をかけてしまったので(今もだけれど)、振り返ってとても反省している。

3年目、フリーランスとして動き始める

このまま一体自分はどうなるのか、会社に復職できずにどうやって生きていくのか、と悶々と考えていたのだけれど、考えた末に「自宅で出来る範囲の仕事をしていこう」と考え、2017年の12月からフリーランスとして活動するようになった。デザインをすること自体が自分のトラウマになりかけていたけれど、自宅で、自分の責任の負える範囲であれば出来るのではないかという謎の自信があった。それからは継続してお仕事をいただくようになり、一度は滅びかけていた自尊心が再び戻ってきた。今思い返しても、あの時決断して良かったなぁ、と思う。

体調に関しては、2017年から2018年までがとにかく過酷で、日常の何もかもがトリガーになって発作を誘発していた。発作を起こすたびに鬱状態になり、1日に1回は必ず泣いていたし、どうしてこんなに涙が出るのかというくらい常に泣いていた。この期間の涙腺量と今を比較したら綺麗なグラフが生成されると思う。一番辛かったのは、普通に食事をしていて喉に何かが詰まったように感じ、それが原因でパニックになってしまい、2ヶ月ほどまともに食事を摂れない日が続いた。水ですら飲み込むことが恐ろしくなり、白米はお粥よりもっと柔らかい状態にしないと食べれなくなった。ラーメンを3時間近くかけて食べて家族に心配されたりした。体重が落ちていき気力が無くなっていった時は精神状態も一緒にどん底になったけど、人間というのは不思議なもので思い込みのせいなのか、好きなチョコレートだけは食べれたので食べれるものだけ食べていた。日にち薬なのか、今は普通に食事ができるし当時ほどの恐怖心はない。ただ食べるスピードは以前より格段にゆっくりになった。

遠方に外出できなくなると、まともに病院に行けなくなり、ヒーヒー言いながら病院に行ってもそこで発作を起こすという本末転倒な事態を引き起こしたりしたので、医師からオンライン診療を勧めてもらい、現在はCLINICSというアプリで2週間に1回自宅で診療をしてもらっている。これも酷い時はビデオ通話をしているだけで発作を起こしそうになるほどだったけど、今は全くそんなことはない。便利な世の中になったなぁと思う。

去年から服薬診療を始めたのだけれど、服薬から半年ほどで効果が出ていて、現在は以前に比べるとかなり精神的には落ち着いているし、発作のこともあまり考えなくなっている。なにより意味もなく不安で落ち着かないという症状が格段に減った。いまだに不得意なことは残っていて、遠方の外出もなかなか行けないし、仕事の打ち合わせは事情を話して音声通話やビデオ通話をフル活用させてもらっているし、大きなイベントやショッピングモールは苦手だし、日によって睡眠不足や気圧なんかが影響して体調が悪い日もある。それでも以前に比べれば前向きになっている。薬を怖がらずにもっと早く飲む決断をすればよかった、と思っているのだけれど、当時の自分はなんでも怖がっていたのでどうしようもないといえばどうしようもなかったかもしれない。

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ここ近年、パニック障害に罹患する人は増えているけれど、ちゃんと向き合えば付き合っていける病気なので、焦らずに少しずつ出来ることを増やしていってほしいと思う。相性の良いお医者さんと出会ったり、現状の自分に無理のないペースを考えて毎日を過ごしていけば、少しずつ改善していくと思います。自分もまだ出来ないことがたくさんあるので、自戒の意味もあるのだけれど、あまり悲観的にならず、好きなことを楽しんでほしいです。

今はデザインをする楽しさを味わうことができているし、パニック障害のことについて伝えたことがきっかけで繋がったご縁もあります。体調には気を配りつつ、無理のない範囲でこれからも仕事をしていきたいなぁと思っています。

自分の振り返りという意味もありつつ、身近にパニック障害になる人が増えているので、メッセージとしてこの記事を書いてみました。自分自身の経験でしかないですが、少しでも誰かのお役に立てれば幸いです。

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