鬱になった経緯、そして復活していった経緯
皆さんこんにちは、ケヴィンです。
過去の投稿で何度か触れていますが僕は一時期、鬱に陥りました。
しかし今では幸い元気になっています。
今回は鬱に陥った経緯、そして復活していった経緯について書いていこうと思います。
はじめに
最初にお伝えしないといけないことがあります。
「鬱」と言っても様々な症状や段階があります。
その中で僕は軽症の方だったと思っています。
ですのでもしかすると「それくらいの症状で何を大げさに・・・」と思う方もいるかもしれません。
特に僕よりも重い症状の方からすると不快に思う可能性もあります。
必ず上記についてご了承の上、読み進めてください。
ですが、これは僕が本当に経験したことです。
そして今は元気になりました。
同じ症状で苦しんでいる人がいたら「こうすれば良くなるかもしれない」という参考例になれば幸いです。
鬱なんて自分とは無縁の話だと思っていた
「誰でも鬱になる可能性はある」という話を耳にしたことはありませんか?
僕は小学校から高校にかけて海外で不慣れな生活を経験しました。
そんな経験もあり、母国語且つ同じ国籍の人達とのコミュニケーションを苦に思ったことはあまりありませんでした。
なので鬱なんて自分とは関係のない話だと思っていたのです。
そしてフリーランスになって仕事がうまくいかなくなったことは過去の投稿でも説明した通りです。
精神的に辛いことは認識していましたが、そんなことは当たり前だろうし、弱音なんて吐いてはいけないと思っていました。
友人との話で「これは鬱なのか」と気付いた
そんなある日、友人と会う機会がありました。
「最近調子どう?」なんていう何気ない会話からはじまり。
そこで自分が感じていることを話したのですが・・・
その友人は周りには隠していたのですが、奥さんが当時鬱で病院に通っていたそうなのです。
そして僕の症状は奥さんが本格的に鬱になる前の初期段階とまったく同じだと言われました。
症状①全てに対して無関心
元々僕には趣味がたくさんありました。
特に音楽制作とサウナ通い(サウナに関するウェブサイトも運営していまいた)は相当熱中していました。
しかしこれらのものごとに対して喜びを感じることがなくなってしまったのです。
趣味どころか人生全般に対して興味や向上心が無くなり、「全てどうでも良い」という気持ちになりました。
もう何もしたくない、ずっとベッドで寝ていたい。
そんな気持ちで過ごす時間が増えていきました。
症状②今までとまったく違う自分
そんな気持ちなので希望や高揚感を感じることも皆無です。
むしろ絶望的で常に泣きたい気持ちでした。
楽しい時間を過ごせる趣味もなくなり、週末の楽しみも何もありません。
あるのはただただ絶望的な未来です。
仕事で辛い思いをしたり、恋人に振られて落ち込んだりしたことはありましたが、この絶望感は今まで経験したことがない類のものでした。
すると日々だんだんボーっとするようになります。
何を食べるか?何を着るか?そんな些細なことも何十分も決められないようになります。
「なんで俺はこんなことも決められないんだ?俺どうしちゃったんだろ?」
そう思うたび、悲しくて泣きたくなったことを覚えています。
症状③起きたくない→眠れない
最初の頃はとにかくベッドから出たくありませんでした。
そうしようと思えば夕方までベッドを出なかったかもしれません。
しかし、さすがにそれはまずいだろうと思い遅くても昼には起きていたのですが。
再就職すると状況が変わり、今度はとにかく眠れなくなりました。
勤務中に居眠りしたら最悪なので「寝なくちゃ」と焦るのですが余計に眠れなくなるのです。
症状④誤ったストレス解消法
悪いことは重なるもので就職した会社で配属になった部署がパワハラ気質だったのです。
そのため上記の症状が更に悪化していきました。
そしてこうしたストレスを解消するために過剰に食べるようになってしまったのです。
今までの趣味も興味がなくなって、新しい趣味ももちろんできません。
とにかく「食べる」ということでしかストレスを発散できず、気が付くと10kg近く体重が増えていました。
病院には行ったけど・・・
友人からのアドバイスもあり病院に行きました。
「オレ、心療内科にいくなんてどうしちゃったんだろう・・・」と落ち込んでいたことも覚えています。
しかし、なにかしら手を打たなければいけません。
そして選んだ病院の先生はとてもやさしく、親身に話を聞いてくれました。
しかし徐々に分かったことがあります。
病院によっては、あるいは先生によっては違うかもしれません。
しかし僕が思ったのは、結局病院及び先生は僕の症状を聞いて薬を出してくれるだけです。
当たり前ですが僕の鬱の根源である仕事の悩みを解消してくれる訳ではありません。
何か僕が関心を持てるような趣味を勧めてくれるわけではありません。
眠れないなら眠れるようになる薬。
気分が落ち込んでいるなら抗うつ剤を処方してくれますが、あまり強いものは副作用もあるので慎重に弱い薬から使い始めました。
どん底の時期
フリーランス時代に鬱になりはじめましたが、一番症状が悪くなったのは再就職してからでした。
フリーランス時代ももちろん辛かったですが、良くも悪くも一人なので僕に対して攻撃する人はいません。
しかし就職先にはパワハラ気質の上司がいました。
ただでさえ夜も眠れず、悲壮的な精神状態なのに「お前つかえねえな!」や「おまえなんてやめちまえよ!いらねえよ!」といった暴言を吐かれました。
この時期が一番つらかったです。
鬱から抜け出すキッカケのキッカケ
症状はどんどん悪くなっていき、もう将来ずっとこんな精神状態で生きていくのかとも思っていました。
しかし、あるキッカケで少しずつ状況が好転していきました。
僕は都内の会社で営業職として再就職したのですが、都外の会社との打ち合わせがある時は社用車を使うことができました。
「都外の会社」といっても工場へ行くことがほとんどだったので、駅から遠い山奥だったり郊外であることがほとんどでした。
そうなると電車やバスだとアクセスしにくく、車を使うことが必須だったのです。
僕は免許を持っていましたが、2つのハードルがありました。
まず僕はペーパードライバーだったのです。
大学生の頃に免許を取りましたが、それから運転することは一度もありませんでした。
なので週末に教習所にいって、ペーパードライバー講習を受けることになったのです。
しかし僕はそれが嫌でした。
週末の時間を取られることも嫌でしたが、なにより車を運転することが恐怖だったのです。
精神状態がよくなかったので事故が怖いのはもちろん、下手な運転をして回りから「なんだコイツは」と思われることが本当に嫌でした。
話が少しそれますが上記のように「周りの目線が異常に気になる」というのも症状の一つとしてありました。
また教習所には周回バスで通ったのですが、このバスで過ごす時間がとても悲しかったこともよく覚えています。
とにかく1mmでもネガティブなことに紐づくとひたすら悲しくなってしまう時期でした。
話を戻すと。
最初はエンジンのつけ方も忘れていましたが、講習のお陰で徐々に運転できるようになりました。
二つ目のハードル
営業電話です。
インターネットで調べて可能性がありそうな会社の代表電話に電話を掛けるのですが、僕は営業電話が大の苦手でした。
それに社内で周りに聞かれるのも嫌でした。
「営業電話はナンパみたいなもんだ」と新卒の時、とある先輩に言われましたが、僕はナンパなんて一回もしたことがありません笑
だから本当に苦でした。
電話をするのももちろん嫌ですが、電話する先を探すのも大変なのです。
大体10件に掛けて、1件の割合でアポイントを取っていました。
均一に10件に1件アポイントが取れるのではなく、30本かけて1つもアポイントが取れない日もあります。
一方で3本かけただけで3つアポイントが取れた日もありました。
光が見え始めた瞬間
この二つのハードルを越えて、打ち合わせで外出ができるとこんなメリットがありました。
・パワハラ上司から離れて一人で過ごすことができる
・仕事ついでに今まで行ったことがない場所に旅行感覚で行ける
・パーキングエリアやショッピングモールに寄って息抜きできる
親と一緒に暮らしていた時は田舎だったので車で出かけることがほとんどでした。
しかし実家を出てからは都内に住んでいたこともあり、車は一切使わず電車中心の生活です。
正直、電車でアクセスできる都内や都内近郊の場所は行き尽くしていました。
それが車を使えるようになったことで、今まで行ったことが無い場所へ行けるようになったのです。
私生活も変わり始めた
僕は車を持っていなかったのですが、仕事で車を運転するようになったので、近所のカーシェアを利用するようになりました。
鬱から抜け出すキッカケになったのはズバリこのドライブだったと思っています。
カーシェアの登録を済ませたその日、初めて妻とアウトレットモールに出かけたのですが、その時の妻の笑顔を今でも忘れません。
その後、週末に様々な観光スポットを車で訪れるようになりました。
特に思い出深いのは東京ドイツ村を訪れた時です。
当時、我々夫婦は「将来犬を飼いたいね」という話をよくしていました。
そして犬を飼うならビーグルを買おうと決めていたのです。
すると東京ドイツ村の中に好きな犬を15分から30分程お散歩できるアトラクションがありました。
そして僕たちは真っ先にビーグル犬を借りて散歩したのですが、この時間に本当に癒されたことをよく覚えています。
その後もパターゴルフをしたり、他のアトラクションでも遊んで、その様子を収めたビデオをその後もよく見ていました。
この時期、自分の中で人生に希望や幸せが戻ってきたことを実感しました。
こうして趣味がなくなって何も楽しみがなくなった自分に、ドライブが新しい趣味になり、また人生に喜びが戻ってきたのです。
やっぱり趣味は大切
人生に活気を戻したのはドライブだけではありません。
僕は高校時代の友達の草野球チームに入っていましたが、しばらくイベントに参加していませんでした。
それがなぜかこの時「久々に行ってみようかな」と思い、とあるイベントに参加したのです。
すると久々の友達に会えたことも嬉しかったですし、野球の楽しさも思い出しました。
そのチームは不定期な活動だったので、その後僕は地元の草野球チームを探して加入しています。
野球で結果を出したいのでやめていたジョギングを再開し、筋トレもはじめて人生に更に活気が戻ってきました。
回復しただけでなく、前よりもっと人生が豊かになった
こうしてパワハラ部署の中でも仕事が軌道に乗り、私生活もドライブや野球で活気が戻ってきました。
そして半年ほど前にパワハラ気質の部署からホワイトな部署に異動になりました。
また子供も生まれて今は1歳半です。
マイカーも購入して週末は家族でドライブするのが定番です。
こうして絶望的な日々から抜け出して、幸せな日々を送れるようになりました。
まとめ
振り返るとパワハラを受けた日々は本当に辛かったですが、あの時間を耐えたからこそ今があると思います。
車に乗ることも当初は本当に本当に嫌でした。
でも、あれくらい半強制的に車を運転することを強いられない限り、車を運転することはなかったでしょう。
そしてドライブが僕を救ってくれました。
だから本当に何が救いになるか分かりません。
ただ1つ思うのはどれだけ絶望的でも仕事を辞めませんでしたし「続ける」ということが大切だと思います。
過去にも別の仕事で挫折しかけた時期がありましたが、その時も「とにかく続ける、辞めない」と思い仕事をつづけた結果、当時の会社、部署の中で一番仕事の量をこなせるようになりました。
中にはすぐに今の仕事を辞めた方が良い場合もあると思うので一概には言えませんが、私はこうして続けた結果良い方向に転換していった経験があります。
ということで今回は僕の鬱経験を書かせて頂きました。
それではまた次の投稿でお会いしましょう!