無題(理性と野生)
こんばんは。
昔から思うことがありまして、それについて問題提起するとかそんな大袈裟な話ではございませんが、みんなはどう思うんだろうなぁと思い至りこの記事を書いてみました。
思うことというのは、
「人間が持つ理性。よくよく考えると生物学的には変な機能説」
というものです。
自分も裡に秘めていた思い(疑問?)を初めて言語化しようと試みたので、この言い回しが的確かは正直わかりませんが、それは置いといて。
人間は紛れもなく生物です。
ですが人間は他の生物と違い、「理性」というある種厄介なストッパーのような機能を備えています。
端的に簡潔に言うならば「羽目外しすぎるなよ!」と本能を律する機能ですね。(機能という言葉が的確かは知りませんが…)
①「最近太ってきたから食べる量を控えよう」
②「眠いけど納期が間近だし、寝るのを我慢、徹夜しよう」
③「パートナーがいるから異性とのアバンチュールは控えよう」
と、こんな具合に誰もが己の欲望を律して我慢することが会ったかと思います。
上記の三項目は所謂、三大欲求に関する理性の働き方の例ですが。
地球上でもこの巨大すぎる欲望を抑え込めるのは人間くらいなのではと思う。
社会的動物である人間は基本的にあらゆるコミュニティ(例:家族、学校、会社…など)の中で群れる生き物です。理性が働いたほうがこのコミュニティの中で円滑に関係を構築できたりするのだろうなぁと思う。
これが人間のたどり着いた進化の果てならば、まぁ納得かなぁ。
しかし時代によっては、恰幅の良い女性が美しいとされる時もあったし、一夫多妻、あるいは多夫一妻が当たり前の時代があった。
要は時代によって「理性」の働き方は変わっていく。ということ。
そう考えると理性って案外薄っぺらいんだなぁと思う。
時代に適応していく能力が人間には必要で、理性とはそんな大層なものではなく、その時代の価値観や文化や世相を表す、ある種の鏡なんだなぁと
今朝、トイレに篭りながら思案に浸っていました。
おかげで出るのが遅くなり、家族に怒鳴られました。
うーん。ごめんね。
と、まぁここいらでさようなら。
おやすみなさい。